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ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

塩野七生/著

3,300円(税込)

発売日:2017/01/27

  • 書籍

アテネに栄光をもたらした民主政の最大の敵は“ポピュリズム”だった――。

国内の力を結集することで大国ペルシアを打破した民主政アテネ。不世出の指導者ペリクレスの手腕により、エーゲ海の盟主として君臨し、その栄光は絶頂をむかえた。しかし、ペリクレス亡き後、デマゴーグが民衆を煽動するポピュリズムが台頭、アテネはスパルタとの不毛きわまる泥沼の戦争へと突き進んでしまうのだった――。

目次
第一部 ペリクレス時代(紀元前四六一年から四二九年までの三十三年間)
――現代からは、「民主政」(デモクラツィア)が、最も良く機能していたとされている時代――
前期(紀元前四六一年から四五一年までの十一年間)
ライヴァル・キモン/宿敵スパルタ/三十代のペリクレス/連続当選/武器は言語/若き権力者たち/ペリクレスの演説/地盤固め/究極の「デモクラツィア」/キモン、帰る/ライヴァル、退場
後期(紀元前四五〇年から四二九年までの二十二年間)
脱皮するペリクレス/「カリアスの平和」/パルテノン/アテネの労働者階級/「ペロポネソス同盟」と「デロス同盟」/「ギリシアの今後の平和を討議する会議」/スパルタとアテネの棲み分け/愛する人アスパシア/変化する「デロス同盟」/新市場開拓/サモス島事件/エーゲ海の北側/戦争は辺境から/拡散する戦線/「戦争」という魔物/それぞれの国の慎重派/「ペロポネソス戦役」/テーベ、動く/「戦役」の最初の年/ペリクレスの開戦演説/真意はどこに?/戦没者追悼演説/疫病の大流行/弾劾/久々の勝利/死
第二部 ペリクレス以後(紀元前四二九年から四〇四年までの二十六年間)
――「衆愚政」(デマゴジア)と呼ばれ、現代からは「民主政」が機能していなかったとされている時代――
前期(紀元前四二九年から四一三年までの十七年間)
なぜ衆愚政に?/扇動者(デマゴーグ)クレオン/スパルタの出方/レスボス問題/エスカレートする残酷/スパルタの敗北/アウトサイダー登用の始まり/戦線拡大/歴史家の誕生/スパルタからの申し出/「ニキアスの平和」/ギリシア人にとっての「平和」/若き指導者の登場/ソクラテス/青年政治家アルキビアデス/「四ヵ国同盟」/「マンティネアの会戦」/“オリンピック”表彰台独占/プラトンの『饗宴』/メロス問題/シチリア遠征/ヘルメス神像首斬り事件/出陣/出頭命令/シラクサ/「シラクサ攻防戦」/アルキビアデス、スパルタに/再び、アウトサイダー/助っ人到着/ニキアス一人/ニキアス、「おうち」に手紙を書く/増援軍の派遣/攻防の二年目/一度目の海戦/二度目の海戦/増援軍到着/月蝕/三度目の海戦/最後の海戦/脱出行/終焉
後期(紀元前四一二年から四〇四年までの九年間)
惨禍を知って/再起/エーゲ海の東/再び、アルキビアデス/政局不安/海将アルキビアデス/新税という失策/「トリエラルコン」/連戦連勝/再び民主政に/「愛した、憎んだ、それでも求めた」/リサンドロス/アルキビアデス、失脚/司令官たちの死刑/たった一度の海での敗北/アルキビアデス、暗殺/引揚げ者たち/無条件降伏
年表/図版出典一覧

書誌情報

読み仮名 ギリシアジンノモノガタリ02ミンシュセイノジュクセイトホウカイ
発行形態 書籍
判型 A5判変型
頁数 416ページ
ISBN 978-4-10-309640-5
C-CODE 0322
ジャンル 世界史
定価 3,300円

書評

制度と個人の間にあるもの

待鳥聡史

 政治のあり方を決定づける要因は、制度か個人か。この問いかけへの答えはいつも難しいが、古代ギリシアの場合にはどうだったのだろうか。
 二度にわたるペルシア戦役で勝利を収め、ギリシア諸都市が繁栄の時代を迎えるところから、本書の叙述は始まる。その中心はアテネである。テミストクレスの構想により、外港ピレウスとの一体化、さらにエーゲ海諸都市とのデロス同盟創設を通じて、アテネはスパルタなどのライヴァル都市に大きな差をつけはじめた。
 それを引き継いだのがペリクレスであった。彼はデロス同盟結成の一五年後、紀元前四六二年にアテネの内閣に当たるストラテゴスに初めて選出され、三〇年以上にわたってトップリーダーであり続けた。時間的にも空間的にも広い視野から物事を考えられる彼の政治指導の下で、アテネは空前の平和と安定を謳歌する。
 しかし、一人の政治指導者の能力が高いだけでは、政治は安定しない。アテネは民主政だから、ストラテゴスは毎年改選される。ペリクレスも例外ではない。彼は市民を言葉で誘導することにより、その地位を維持して政策を展開したのだ、と著者は指摘する。
 言葉による誘導が成り立つには、誘導される市民の側にも、それを受け入れる柔軟性や理解力が必要となる。ペリクレスがツキディデスのいう「形は民主政体だが、実際はただ一人が支配した時代」を長く担えたのは、現状に自信があった時代のアテネ市民が、彼の言葉に安んじて多くを委ねたためであった。この点を評者なりに敷衍すれば、この時期のアテネでは、指導者と市民の間で課題や民主政のあり方についての価値観が共有されていたのである。こうしたとき、民主政は大きな力を発揮できる。
 同じことは対外関係にもいえた。アテネの宿敵であったスパルタではアルキダモス、ペルシアではアルタ・クセルクセスが、ペリクレスとほぼ同時期のトップリーダーであった。著者は彼らを「良識」の持ち主と評する。責任ある政治指導者の良識的な自己謙抑もまた、アテネのみならずギリシア全体の安定に大きく貢献した。
 ところが、優れた政治指導者と、それを支える市民の委任やライヴァルたちの良識がもたらした平和と繁栄は、意外なまでに脆かった。スパルタとのペロポネソス戦争は泥沼化し、蔓延する疫病によってペリクレス自身が没すると、扇動政治家たちが急速に支持を集める。デロス同盟の弱体化はペルシアに再びギリシアへの領土的関心を呼び起こさせた。
 ニキアスやアルキビアデスに率いられたアテネの弱体化は、まさに坂道を転がり落ちるような没落であった。この責を政治指導者の無能さに求めることはたやすい。だが著者は、彼らを支持したのがやはりアテネ市民であったことも忘れてはいない。ペリクレス没後のアテネは、社会経済的および軍事的な衰退につれて、中長期的展望を語って誘導する指導者に市民が多くを委ねられなくなっていた。民主政には次第に短慮が目立つようになる。
 古代ギリシアの経験は近代に入って再発見されるが、そこで当初追求されたのは、良識的な政治指導者と短慮に走らない市民であった。だがそれは、とりわけ民主政が人口や面積において大きな国家に導入されるときには確保困難であった。
 一八世紀後半以降のアメリカにおいて権力分立論と民主政の組み合わせが試みられ、この問題は制度によって一応の解決を見た。良識のない政治家や、目先のことに囚われる平凡な市民から成る社会であっても、権力が暴走しないようになったためである。近代民主政の広がりにとって、制度的フォーマットの確立が持つ意味は決定的であった。
 しかし、制度にも個人にも還元できない要素が、現在なお民主政のあり方に潜在的に大きな影響を与えていることも間違いない。民主政は不可避的に多数の人々が政治に関与する体制である以上、その作動について考える際には、政治指導者と市民の持つ価値観、すなわち「民主政の精神」が持つ意味を無視することはできないのである。
 リズムに富んだ著者の文体と、そこに活き活きと描き出される古代の人々の言葉や行動から、民主政の精神について思いをめぐらすことは、今日だからこそ大きな意味がある。

(まちどり・さとし 京都大学教授)
波 2017年2月号より
単行本刊行時掲載

「民主主義」の真実

佐伯啓思

 私はギリシャの歴史にはまったく不案内なので、本書の一読者ではあっても、とても書評などできる立場にはない。にもかかわらず古代ギリシャに関心をもつのは、今日、われわれが当然のものとして疑わない民主主義という政治制度を確立したその原点を知りたいからである。いったいどうして、かの地でそれは生まれたのか。そもそもそれはどういう政治だったのか。このことがずっと気になっていた。
 いやその前に、そもそも「それ」は民主主義だったのだろうか、という疑問がある。デモクラシーのもとになるデモクラティアとは、「デモスの支配」であるから、文字通りには「民衆政治」といった政治形態を意味している。この単純な一事を思い起こしても、それはせいぜい「民主政」というべきもので、「民主主義」と訳する方がおかしいのだ。だがとりわけ戦後の日本では、デモクラシーは人権主義やら平和主義とひとくくりにされて、疑う余地のない正義にまで仕立て上げられてしまっている。
 もともとデモクラシー(民主政)とは断じてそんな理想的な「主義」ではなかった。アテネが生み出し確立したデモクラシー(民主政)を、現代風の「民主主義」によって理解してはならない。塩野七生さんの『ギリシア人の物語』の第一巻が「民主政のはじまり」という副題を持ち、今回刊行される第二巻が「民主政の成熟と崩壊」と題されているように、ギリシャを語ることは、民主政のアテネの興亡を描くことを意味する。そしてこの場合にいっそう大事なことに、この「民主政アテネの興亡」を描くことは、ギリシャを舞台にした絶え間ない戦争と、つかのまの平和を描くことなのである。
 だから、アテネの民主政をアテネだけで理解することは許されず、その興亡も戦争を抜きにしては捉えられない。それゆえ、本書の記述の大部分は、ギリシャ全土を見渡した戦争や、戦争の回避をめぐる出来事や、そこに登場する人物を描くことに費やされている。アテネの民主政を理解するためにも、何よりもまずわれわれは、ギリシャ全土のおおよその地理を理解しておかなければならないのだ。この地理学と地政学とを前提にしてはじめて、本書の第一巻が扱うペルシャ戦役や第二巻が主題とするペロポネソス戦争の意味を理解することができる。
 本書をひもとけば、われわれはアテネの民主政の構造を理解することができる。第一に、アテネの政治は、活発に行われた植民地化活動と不可分であった。しかも、その多くは海岸部の諸都市の植民地化であり、その結果、アテネは海洋交易を通じた巨大な経済圏を確立した。第二に、植民地化にせよ、戦争にせよ、造船が必要になる。そこで造船技術が発展する。特にアテネでは三段層ガレー船が次々と建造され、その漕ぎ手は下層市民であった。市民であるところが、奴隷を漕ぎ手にしたスパルタとの違いである。なぜなら市民は兵士であり、民主政は、市民つまり兵士を多量に供給できたのである。「軍事大国アテネ」と「経済大国アテネ」と「民主政アテネ」は不可分であった。
 第三に、アテネの民主政は、最終決定は市民集会でなされるものの、実際には、「ストラテゴス」という指導者によって率いられた。そして、ストラテゴスは将軍であり、戦争の英雄である。また、テミストクレスを除けば、ほぼすべて有力な名家の出身であった。アテネ民主政は、実はあまり民主的でない指導者に率いられたのであった。第四に、アテネの政治は、次々と有力な指導者をうみだしていった。これはアテネ民主政の柔軟さと社会の活発さを意味している。しかし、逆にまた、どんな有能な指導者であれ、敗戦などという失敗によってたちまち失脚するのである。つまり、民主政は人気主義(ポピュラーリズム)へと堕してしまうのだ。最後に、盛期のアテネを支えたものは、強力な独立心と誇りであったが、同時にそれは、暴慢さや慢心にもなりかねないのである。
 本書は、政治というものが、いかに戦争と深くかかわっているかを如実にしめしている。ペルシャ戦役に勝利して大国にのしあがったアテネは、決して望みはしないスパルタとの戦争へ引きずり込まれてゆく。自らの慢心のために、アテネはわずか二十五年ですべてを失うのだ。二五〇〇年も前のギリシャを舞台に、あまり馴染みのない人物までもが生き生きと動き出すのは、いつもながらの塩野さんの語り口の妙味によることは言うまでもない。

(さえき・けいし 社会思想家)
波 2017年1月号より
単行本刊行時掲載

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著者プロフィール

塩野七生

シオノ・ナナミ

1937年7月7日、東京生れ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006 年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008ー2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊完結。2013年、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。2017年、「ギリシア人の物語」シリーズ全3巻を完結させた。

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