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兄よ、蒼き海に眠れ

佐江衆一/著

1,870円(税込)

発売日:2012/03/30

  • 書籍
  • 電子書籍あり

弟よ、たとえ日本が戦争に敗れても、お前たちは無事でいてくれ――特攻隊員の兄とその弟。戦争の悲惨を描く長編。

生命を惜しむということは、死を怖れることではない。大義のための死なら貴い。しかし……。瀬戸内の基地で「回天」特攻隊員として出撃を待つ兄は、たぎる想いと葛藤の日々を、日記と弟への手紙に綴った。学童疎開先から返事を書き続ける弟。だが東京大空襲で父母を、そして疎開先で妹を失う――著者渾身の書下ろし長編小説。

目次
序章 トンネルの向うのそのまた向う
第一章 母さん、ぼく、兄さんに負けないよ
第二章 志願者は二重丸をつけよ
第三章 お手伝いさせてください
第四章 犠牲ヲ踏ミ越エテ突進セヨ
第五章 天皇陛下、ぼく、切腹します
第六章 人は苦しむために生まれてきたのか
第七章 父さん、母さん、どこにいるの?
第八章 BE HERE NOW
第九章 声をなくしちまったぼく
第十章 海ゆかば水漬(みづ)く屍(かばね)
第十一章 どこへ帰ったらいいのですか?
第十二章 俺はまだ生きている
終章 兄よ、蒼(あお)き海に眠れ

書誌情報

読み仮名 アニヨアオキウミニネムレ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-309018-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,496円
電子書籍 配信開始日 2012/09/07

書評

波 2012年4月号より [佐江衆一『兄よ、蒼き海に眠れ』刊行記念特集] トンネルの向うの祈り

縄田一男

『兄よ、蒼き海に眠れ』は、先に刊行された『昭和質店の客』の姉妹篇ともいうべき作品である。
中山義秀文学賞を受賞したとき、“私は浅草の質屋の倅で”云々と語った作者にとって『昭和質店の客』は、これまで書かれた作品の中で最も自身の体験に近づいたものであった。が、それだけではなく、三人の質屋の客たちの人生を、現在→戦後→戦中、そして、最も楽しかった戦前の語らいの場で幕を閉じる、といった時間を逆行させてとらえるという技巧が凝らされており、これが抜群の効果をあげていた。私は、当時も現在も、日経の夕刊で歴史・時代小説の時評を担当しているが、この作品は、まぎれもなく、昭和という現代史を描いた歴史小説である、とゴリ押しして書評を載せてもらった。
そしていま、さらに作者自らの人生に肉薄した『兄よ、蒼き海に眠れ』を読了して、私はどこからこの作品の批評をはじめたらいいのか、頭がいっぱいになってしまったことを正直に記しておく。あれも書きたい、こうもいいたい――が、その興奮した頭を冷やすために、最もこの作品が盛り上りを見せる箇所を挙げるとすると、それはやはり、三月十日の東京大空襲のくだりであろう。
第七章では、父母を見失いつつ逃げる昭二と佐和子が現在進行形で描かれ、第八章では、これが〈善一郎の日記〉として客観的に整理され、第九章では、昭二の兄への語りかけ、というかたちで、佐和子の死と、それに伴い、昭二が声を失ってしまったことが綴られている。ある意味、この三章は、至極、冷静な筆致で描かれている。それは何故かといえば、ときとして作者は作中人物に対して冷酷にならなければならない――つまり、心の中でいくら涙を流していたとしても、文章でそれをやってはいけないからだ。作者が先に泣いてしまっては、読者が泣けなくなってしまうのである。
そして、この一巻を読んで、佐江衆一作品のほぼ全部の作品に共通するかもしれない、人の生き方や、人生における慈しみというものがほの見えた気がした。
それは、作中、幾度か繰り返して記される、
〈生命を惜しむということは、死を怖れることではない。〉
ということばではないのか。
私は、戦後も十年以上を経て生まれ、アジアの同胞を見捨て、アメリカの傘の下に入り、高度経済成長下、物質的繁栄の恩恵を受けて育った日本人の一人である。分かったなどということが不遜であるのは百も承知である。
だが、私の父も、あと二週間戦争が長引けば、間違いなく回天に乗っていた人間である。いまにして思えば、何故、父が一介のサラリーマンでありながら、あれほど無頼に徹した生き方をしたのか、その根底にあったものは理解できる。
そしてさらに、私が子供のとき、周囲には戦争をやってはいけない、と本気で思っている大人たちがたくさんいた。
小学校の音楽のY先生は、君が代の練習のとき、「これはいい曲なんだが、一箇所だけ違うんだ。“君が代”ではなく“民が代”でなくてはいけない」と語られた。
さらに、小学校の校歌を作詞したのは、金田一春彦氏であった。その中に、次のような一節が見られる。
すばらしい、すばらしい平和な朝だ
さあみんな学校へ行こう 学校へ行こう(下線引用者)
子供のときには分からなかった。だが、いまでこそ知る――そう書くからには、平和でない、いくつもの朝があったのだ、ということを。そしてさらに思う。決して大人の価値観を子供に押しつけたものではない。いつか自分たちのいうことを、子供たちが理解してくれる日のあることを、彼らは信じたのではあるまいか。
そして、トンネルの外とその彼方という、絶妙なコントラストはどうであろうか。序章において、年老いた昭二は孫娘から回天の特攻を「イラクやアフガニスタンの自爆テロみたいじゃない?」といわれて、思わずうろたえてしまう。
だが、トンネルの向うのそのまた向うに、どれだけの人間の尊い祈りがあったのであろうか。
私はここに佐江衆一の、作家以前の人間としての誠実が記されているような気がしてならない。

(なわた・かずお 文芸評論家)

インタビュー

波 2012年4月号より

[佐江衆一『兄よ、蒼き海に眠れ』刊行記念特集]
【インタビュー】小説で伝えたい、戦争の悲しみ
佐江衆一



――前作『昭和質店の客』では、東京浅草の質屋にかよう三人の客の戦争体験を書かれましたが、本作『兄よ、蒼き海に眠れ』は、やはり戦争の時代を、今度は「昭和質店」一家の兄弟を主人公に描いた、独立した小説になっています。
 私が生れたのは満州事変三年後の昭和九年一月で、今の天皇陛下誕生の半月後です。「皇太子さま、お生まれになった……」という歌がうたわれ、物心ついたときには南洋や満蒙への憧れが語られ、高揚した昭和の時代でした。質屋の息子だった私は、訪れる客が父と話をしているのを盗み聞きするのが好きなませた子供で、その幼児体験が私の文学の原点です。『昭和質店の客』では、満蒙開拓団に夢を抱いて満州に渡って終戦を迎えた家族や、ニューギニア戦線に送られた若者、その恋人の浅草のレヴューガールの、それぞれの戦争を書きました。『兄よ、蒼き海に眠れ』でも、戦争によって人生が変わっていく庶民の生と死を書きました。
――『兄よ、蒼き海に眠れ』は、学徒出陣して特攻隊員になる兄と、学童疎開しながら東京大空襲で両親を失ってしまう弟の物語です。これはご自身の戦争体験と重なっているのでしょうか。
 私自身、浅草の小学校五年生のときに宮城県白石町に学童疎開していて、この作品の弟昭二はまさに自分自身です。私は東京大空襲を経験していないのですが、そのとき両親を失って孤児になった友人がいて、もし彼ではなく自分が三月十日の大空襲の火の中を逃げていたら、という十分現実味のある想像で書きました。兄善一郎は大正十二年生れの大学生で、学業への志があるのですが学徒出陣で出征します。横須賀や北九州での訓練のあと、瀬戸内海の特攻基地で人間魚雷「回天」の搭乗員としての厳しい訓練を受けて出撃しながら故障で発進できず、再びの出撃を待って、終戦を迎えます。実は私には、私が生まれる二日前に亡くなった兄がいて、善一郎は、私が心のなかで育んできた亡き兄の像なのです。
――年の離れた兄と弟は、戦争によって離れ離れになり、別の運命を生きねばならないのですが、精一杯の切実な思いを、制約があるなかで、お互いへの手紙にしたためます。
 弟は、国を守るために戦いに行った海軍の兄を尊敬していて、疎開先では空腹と子ども同士のいじめもある辛い毎日なのに、自分も早く少年航空兵になってお国のために戦いたいと兄に書きます。兄も弟を思いやる励ましの手紙を書きますが、特攻に志願し祖国のために死ぬ覚悟をしながらも、訓練中に殉職していく者も多い人間魚雷「回天」の基地で出撃できぬ日々を過ごすうちに、人生への深い煩悶を感じ、その葛藤を日記に綴ります。兄と弟は内面で呼びかけ語りあってもいて、それぞれに悲しみ、怒り、悩んでいます。その魂の響きあいを読んで欲しいと思います。
――特攻隊員だった方々の書かれた文章を読まれたり、基地のあった瀬戸内海の大津島に取材にも行かれたのですね。
 実際に大津島の「回天」基地跡に立って静かな海を見ていると、六十六年前にこの場所で二十歳前後の若者たちが祖国のために、二度と戻れない「回天」兵器で訓練をし、出撃していったとは信じられません。資料としては「回天」特攻隊員の遺書や日記が遺っていますし、生き残った方が戦後六十年経ってから書かれた手記もあります。死を覚悟して死の直前に書かれた言葉と、時間が経ってやっと語ることが出来た言葉、それぞれが違った意味で胸の奥に突き刺さりました。
――この小説に託されたお気持ちを聞かせていただけますか。
 私より世代が上の先輩作家たちは、実際に戦争に行き、その体験から小説を書きました。私の世代は子供だったからこそ敏感に、戦争が負け戦になる前の庶民の明るさや高揚した空気を肌で感じています。これは自分の世代の作家が描いていかなければ伝えられない。戦争の高揚する空気のなかの骨に沁みるような悲しみの深さは、小説でしか表現できない。七十八歳の作家として、若い人たちに是非それを伝えたい。
(さえ・しゅういち 作家)

著者プロフィール

佐江衆一

サエ・シュウイチ

(1934-2020)1934年、東京生まれ。1960年、短篇「背」で作家デビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、『黄落』でドゥマゴ文学賞受賞。自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーに。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞受賞。著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『長きこの夜』『動かぬが勝』のほか、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』『エンディング・パラダイス』の昭和戦争三部作など。古武道技術師範。『野望の屍』は最後の作品として取り組んだ渾身の史伝である。2020年10月逝去。享年86。

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