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臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ

大江健三郎/著

1,540円(税込)

発売日:2007/11/20

  • 書籍

ひとりの女優、ふたりの男が生涯を賭けた夢の、ラストシーンが始まる。

かつてチャイルド・ポルノグラフィ疑惑を招いて消えていった一本の映画企画があった。
その仲間と美しき国際派女優が30年を経て再び、私の前に現れた。人生の最後に賭ける「おかしな老人」たちの新たなもくろみとは? ポオの美しい詩篇、枕草子、農民蜂起の伝承が破天荒なドラマを彩る、大江健三郎「後期の仕事(レイター・ワーク)」の白眉!

目次
序章 なんだ君はこんなところにいるのか
第一章 ミヒャエル・コールハース計画
第二章 芝居興行で御霊を鎮める
第三章 You can see my tummy.
第四章 「アナベル・リイ映画」無削除版
終章 月照るなべ/臈たしアナベル・リイ夢路に入り、星ひかるなべ/臈たしアナベル・リイが明眸俤にたつ

書誌情報

読み仮名 ロウタシアナベルリイソウケダチツミマカリツ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-303619-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,540円

インタビュー/対談/エッセイ

波 2007年12月号より 刊行記念インタビュー  大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』

大江健三郎

「成熟」を引っくり返す大冒険

テーマは映画製作、主人公は国際派女優。――大江健三郎氏が、「後期の仕事(レイター・ワーク)」の白眉と語る新作『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』の刊行に際し、7つの質問に答えていただきました。
――タイトルの中心にある、「アナベル・リイ」は、ポーが、詩の中に作り出した永遠の少女です。大江さんはこの詩を初めて読んだ十七歳のころから、アナベル・リイは、「自分から一瞬も去ったことがない」と書かれています。この小説を構想されたのは、いつごろ、どんなきっかけがあったのでしょうか。

詩を読んですぐは、言葉としてだけ、頭にあったんです。それも、日夏耿之介の訳と、占領軍のアメリカ文化センターで写して来た原文とがつながったかたちで……
臈たしアナベル・リイ
My beautiful Annabel Lee,
というのと、
……アナベル・リイ
さうけ立ちつ身まかりつ。
Chilling and killing my Annabel Lee.
それがしだいに視覚的なイメージとして、遠方の霧のなかに浮かび上ってくる。少年時にはそうでした。
ところが私のアナベル・リイは、青年時には若い娘として、壮年時にはまたそれなりの年齢の女性として、「成長」してゆく。内面的にも、人生の経験においても、私より幾らか年長の、しっかりした、かつは美しい女性として…… 壮年時というものは永いですからね、やはり霧のなかにいるそのイメージが、時をかけて年齢を加えてゆく。人生の傷痕というようなものも、威厳も加わる。しかしあいかわらず美しい。ユーモラスでもある……
そして私が、とうとう「晩年のスタイル」の小説を書く時だ、と考え始めた時に、ついに霧のなかからこちらに近付いて来てくれた……というふうでした。
小説のなかに、ポーとはまた別にエリオットの詩句を引用していますが、それを女言葉に訳すと、
《なんだ、あなたはこんなところにいるの?》と声をかけられた気がしました。

――小説技法上で自ら課したテーマはどんなことでしたか。

つまり、技法として、またそれとしっかりカラミあったテーマとしても、ということでしょうが、なによりも、――自分は、この女性のことを物語るんだ! ということだけでした。そして、松山のアメリカ文化センターでひとり夢想していた少年に、さあ、きみのアナベル・リイの、死と再生について書いてやる、書き方なら一生かけて準備してある、と呼びかける気持でした。
『ロリータ』は、幾度か読むたびに、そこではアナベル・リイが現実の少女として現われるだけに、いつもドキリとした。そして、そのドキリとする仕方が、こちらの年齢によって変ってくるので、いつかはこういうのじゃない自分のアナベル・リイを書く時が迫って来る、と予感していました。
それと、私のなかに、女優サクラさんのような女性像がずっとあったことも事実です。若く死んでしまうアナベル・リイとは逆に、永く生きるその女性を、自分も年齢をかさねるにつれて、当の私よりわずかに年長の、美しく、豊かな内面の、それでいてなにか危うい曲り角にいつも立っているような……しかも決して、自分の受ける傷に屈服しない、という女性像として……
私が一度だけ、その女性像の現実化とでもいうものに出会っていると感じたのは、二十年ほど前のニューヨークにおいてで、どういうきっかけだったか、エドワード・サイードと二人一緒に、彼女の友人になった。ノーベル賞の生理学・医学賞をもらった、魅力的な学者の奥さんです。私らは時どき、毎年といっていいくらい四人で会って(ニューヨークの最上の場所に、サイード・ルームというイスラム方式の部屋も作られたペントハウスがあるんです)、私は、自分のサクラさんと目の前の彼女をあわせたような女主人公の、小説の幾つかのシーンの話をしてみんなを楽しませたものです。そしてその小説の挿話はいつもハッピーエンドで……それが実際に書いた小説のしめくくりに、役割を果たしたように感じます。

――この小説では、映画が重要な働きをしていますね。

確かにね。製作中のものをふくめ、いくつもの映画が出てきます。初めに、少女時代のサクラさんを性的に傷つけていたとわかる、若い進駐軍兵士による「アナベル・リイ映画」。国際女優として一流になったサクラさんのために企画されていた、クライストの原作によるドイツ中世の復讐譚、幕末の百姓一揆の話。最後のものが、サクラさんの一人芝居の映画として実現するんですが……
これは一揆の犠牲になった物語のヒロインと、彼女を演じる、鬱病に苦しんだ女優ともどもの地獄めぐりと、そこからの解放を描いて、小説全体のハッピイ・エンドをなします。そこに星空が出てくるのは、ダンテの『神曲』地獄篇の最後の、さあ、煉獄へ上ろう、という一行からきています。
――かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて。岩波文庫の訳です。

――老年に入った男たちは、「成熟」を体験しながらも、いまだ若々しい世界を生きていると感じます。

いまも話した大切な友人サイードの遺著『晩年のスタイル』の翻訳が出たところですが、それは老年の芸術家が、よくある「成熟」を引っくり返すような、大冒険に出る……その不思議の分析です。私は今度の作品を、七十代に入った自分にとって……多分、お終いの二冊のひとつと思います。それだけに、逆に若々しいところを押し出しすぎているかも知れません。しかし、自分としては、このまま死ぬまで若々しく、という意気込みです。(笑)

――今回、書下ろしや一挙掲載でなく、文芸誌の毎月連載という形を選ばれたのは?

私はね、世界の文学シーンのなかでギネスブック級に珍しい、文芸誌メディアで育った作家です。あともうひとつ、と考えてる小説も、文芸誌に載せる約束です。毎月の〆切があって、そのたびに編集者や校閲者との話合いに集中する。あまり多くではありませんが、励ましや思いがけない書きそこないへの指摘も届く。終ると、もう一度全体の見直しを、作品完成の昂揚感のなかでやることができる……
昭和を代表した文豪三島由紀夫、そして私では、作品にも人生にも、ひとカケラの共通点もありませんが、三島氏が、大長篇の文芸誌連載を終えた直後、アレを決行した気持はわかります。

――大江さんの作品にとって、詩は大きなエネルギー源ですが、今回は散文作品も多く登場します。『ミヒャエル・コールハースの運命』から『ロリータ』、そして『枕草子』まで。これらの作品から受けた創作上の力には、どんなものがありましたか。

『ロリータ』で逆光のなかにチラチラする、しかし見逃しがたいアナベル・リイ像。彼女がドイツの地方で育ったような、そして彼女を表現する、古今の大女優を想わせるコールハースの妻のことは書いています。『枕草子』についてだけ、憐れな女の「木守」という身分のことにしかふれていないので、その八七段について話しましょう。
日本文学の古典解説は、芸術院の権威たちにゆだねますが(丸谷才一氏の本だけは、世界文学や、その前衛にも目配りがしてあって、すべて私の教科書ですけど)、この短かい章は、書き出しの妙に始まり、朝廷に出入りする物乞い女の話しぶりのおかしみをね、「はなやぎみやびかなり」とするような、苛烈でいて無邪気な気もする表現者のイロニーもある。そして、朝廷総ぐるみの、雪の消え残りをめぐる競い合いのあげく、清少納言の正直な傷心の声にあわせ、「上」と中宮の笑い声に、移り行く権力の愁いも聞きとれないではない、結び。そうした物語の進行にあわせてね、さきの物乞い女からはすっかり書き分けてある、しかし身分はあまり変らぬ「木守」という女の、脇役としてのつつましい(しかも必死の)献身とか、多面的に書き込んであるんです。これだけの短篇小説はそれこそ世界古今にマレです。

――大江作品には、「おれ/きみ」で呼び合う仲の、語り手の「わたし」に歯に衣着せぬ物言いをする男がでてきますが。

そうです。私の小説が五十年をかけて達成した独創があるとすれば、語り手と物語の主要人物との、この風変りな「語りの関係」かも知れません。
しかし実際の私の人生を振り返ると、まったく単純な進み行きで、かつ人付き合いも極端に少なかった人生ですが、……私としてはつねに敬愛をこめて友情を抱く人たちがいて、そのような関係だった。しかし、かれらはこの十数年、続けざまに亡くなってゆきました。それでも、ともかくかれらと親しく時代を共有した、そしてかれらの個人的な面影を書きえたということだけで(「おれ/きみ」とは違う、しかも親身に会話してもらえた師匠(パトロン)たちもふくめて)、私は自分の人生と文学につき、サイードが最後の病床で示したという「意志的な楽観主義」をもって、こういいたいと思います。
――ともかくも、よかった!
(おおえ・けんざぶろう 作家)


著者プロフィール

大江健三郎

オオエ・ケンザブロウ

(1935-2023)1935(昭和10)年、愛媛県生れ。東京大学文学部仏文科卒業。在学中に「奇妙な仕事」で注目され、1958年「飼育」で芥川賞を受賞。1994(平成6)年ノーベル文学賞受賞。主な作品に『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『懐かしい年への手紙』『「燃えあがる緑の木」三部作』『「おかしな二人組(スゥード・カップル)」三部作』『水死』『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』などがある。

判型違い(文庫)

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