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不明解日本語辞典

高橋秀実/著

649円(税込)

発売日:2018/05/29

  • 文庫
  • 電子書籍あり

えっ、32語から「日本語」を考える!?
何気ない日常語を深く掘り下げる辞典風エッセイ。

「普通」って何? 「ちょっと」って何? 「っていうか」って何?……。毎日何気なく使っている日本語の意味を深くマジメに掘り進むと、摩訶不思議な言葉の作用に行き当たる。あまたの辞典類の頁をめくり、日本語の持つあいまいさ、難解さに真正面から果敢に挑む著者――時に茫然と立ち尽くしながらも、自ら選んだ32語を手掛かりに、言葉の海へと漕ぎ出して行く。ユニークな辞典風エッセイ。

目次
はじめに――言えば言われる
【あ】――あ、どうも
【いま】――いまって、いつ?
【うそ】――ぜんぶうそかも
【えー】――えー、ところで、しかし
【きく】――きくは力要らず
【ちょっと】――ちょっとの加減
【ちがう】――ちがうは違う
【っていうか】――っていうかみたいな
【なに】――ニッポンのなに
【意見】――特に意見はありません
【リスク】――リスクというリスク
【社会】――もっともらしい社会
【普通】――普通の体質
【適当】――適当に答える
【論理的】――論理的で思考停止
【存在】――勿体ぶる存在
【才能】――才能と努力
【出世】――出世を解読
【景気】――景気はどう?
【健康】――問答無用の健康印
【秘密】――秘密の教え
【信】――どうにも信じられない
【つかれ】――神様もおつかれさま
【つまらない】――つまらないと言ってはいけない
【スッキリ】――スッキリしないわけ
【すみません】――あやまってもすみません
【すき】――好きも嫌いもありません
【こころ】――こりこりのこころ
【しあわせ】――しあわせの帳尻
【バカ】――本当のバカ
【日本】――なんとなく日本
【私】――原因は私なのである。
おわりに――不明解ゆえに
参考・引用文献
解説 武田徹

書誌情報

読み仮名 フメイカイニホンゴジテン
シリーズ名 新潮文庫
装幀 佃二葉/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 352ページ
ISBN 978-4-10-133557-5
C-CODE 0195
整理番号 た-86-7
ジャンル 言語学
定価 649円
電子書籍 価格 649円
電子書籍 配信開始日 2018/11/16

インタビュー/対談/エッセイ

言葉の海で溺れて来ました

高橋秀実

――これまでにない内容の本ですが、本書の特徴は?

 言葉というのは、通常は文脈の中にあるんですが、それを切り取ると不可解なものになります。前後に文章があるならすっと頭に入るけど、そこだけ切り取ると、ものすごい違和感に襲われるんですね。「これは長さ1メートルです」とセンテンスで言われれば理解できますが、「長さ」だけだと、「長さって何?」となる。その「何」っていうのも「何?」ということになり、どんどん迷宮に入っていく。今回はその言葉の迷宮にあえて入ってみようと。
 妻が私に「ちょっと話があるんだけど」と言う時は、絶対に「ちょっと」じゃないんです。「少し話があるんだけど」という時は短時間なんですけど、「ちょっと」だとかなり深刻な話になる。だから、「ちょっと」というのは「かなりのこと」。下手すると話は翌朝まで続きますから。少なくとも「少し」ではない。ですので、言葉自体に意味があると考えると、ちょっと違うんじゃないかと。
 最近の辞書って、「まえがき」に「この辞書は10万数千語を収録して、今使われている言葉もできる限り網羅した」とかなんとか、誇らしげなんですよ。でも、一昔前の辞書は違った。私が好きなのは『大言海』で、編纂者の大槻文彦さんが序文を書いているんですが、それを読むと、「おのがまなびの浅きを恥じ責むるのみ」とかある。どうしても語源がわからないので、専門家の家に訪ねていったけど留守だった。電車の中で方言を耳にしてその人に意味を問いつめたら迷惑がられた。古い言葉は、なんとかなるけど、新しい言葉になるとさっぱりわからないから、あとの人にお任せする、みたいなことが書いてあるんです。諸橋轍次さんの『大漢和辞典』も、間違いがきっとあるんで、後の人、よろしくお願いします、みたいなことが書いてある。いずれにしても「すみません」という感じなんですね。
『大言海』って、「言葉の海」。言葉について考えると海に溺れるようだ、ということなんです。私は今回、その海に溺れたんです、ずぶずぶに。だから、この本は、私はこんなふうに溺れましたという記録でもある。『はい、泳げません』日本語バージョンみたいな(笑)。読者の方はたぶん、通常の辞書のように、「あっ、そういうことか」みたいには絶対にならなくて、一緒に溺れることになります。申し訳ないんですけど。

――32語はどうやって選んだんですか?

 たとえば、担当編集者から「どうも」はどうですかと提案があって、調べてみると、「どうも」は「どうもこうも」の略らしい。すると、あんまり話が展開しない。どうせ溺れるなら、溺れがいのある深海みたいなところで溺れたいから「どうも」は「あ」の中に入れたんです。「あ」のほうが深みにはまりそうで。
 なるべく、日常的に使っている短めの言葉のほうがいいですね。気がついたのは、たとえば「ちょっと」について編集者と話していて、「今回、ちょっとにしようと思ったんですけど、ちょっとよくわかんなくて、そちらでもちょっと資料ないですか?」「わかりました。じゃあ、僕のほうでもちょっと調べてみます」みたいに「ちょっと」が連鎖していくんですね。「っていうか」もそうですね。「っていうか」というのをやろうと思っているっていうか、みたいに(笑)。言葉を対象化できないっていうか、溺れちゃう。批判するつもりが、自分で口にしてしまう現象に襲われる。

――「辞典」と銘打っているわりには32語しかありません。たぶん世界で一番語彙の少ない辞典になりましたね。

 普通、10万語網羅、ですからね。妻がキャッチコピーをつくったんです。
「これさえマスターすれば、あなたも立派な日本人!」
 要するに、ラジオ体操みたいなもので、音楽聴いただけで体を動かすことができたら、あなたも日本人、みたいな語彙ばかりです。
 外国語を勉強する時に、よくありがちなのは、文法から入るでしょ。まず、ルールを学んで、言葉を覚えていこうとする。私、それはちょっと間違っているような気がするんです。たとえばサッカーを覚える時、まずボールがあって、ボールをゴールに入れることが最重要ですよね。ルールを覚えることじゃない。ゴールをねらっているうちに、こういうルールがあるからそれはやっちゃダメよ、というふうに、後で教わればいいわけなんです。
 それと同じで、言葉というのも最大の目的は相手に何かを伝えること。後で、こういうルールがあるんだと覚えればいいんであって、ルールを勉強しても言葉はマスターできない。
 たとえば英語でも、SVOCとか、三単現を覚えたって話せない。それより、アメリカ英語だったら、とりあえず相手をほめる。great! marvelous! fantastic! とか。讃える言葉を連発しているうちに道が開けてくる。で、そのうち文法があって、ああ、そういう言い方はダメなんだと学ぶわけですよ。
 スペイン語もそう。私は、entoncesがキーワードな気がした。日本語でいうと、「そして」「だから」みたいな言葉。とりあえずentoncesと言っておけば間が持つ。エントンセス、エントンセスと言っていれば、だんだんスペイン語を話しているふうになってくるんです。
 では、日本語の場合、それはどんな言葉なのかというと、「っていうか」とか「なに?」でしょう。「なにがなにしてさ」「えっ、なにがなにしたの?」みたいな。外国人力士が日本語を早くきれいに覚えられるのは、文法を無視しているからじゃないですか。まず「なにがなにしてなんとやら」を覚える。単語を覚えなくても、「なにがなにしたから」と言うだけで、わかったりするんです。たとえば、昼前に、「いやあ、なにがなにしてないから」と言えば、「まだちゃんこができてないから」とわかっちゃうみたいな。そういう、日本人が繰り返し使っている「ちょっと」「えー」「すみません」みたいな短い言葉を厳選したのが本書なんです。

――「おわりに」の中で、奥様との会話がヒントになっているとありました。(ここで栄美夫人登場)

(栄美)家で仕事をすることが多いので、とにかく二人でよく会話しますね。彼がえんえんと喋っていて、それを私が記憶するみたいな関係。原稿について、ああじゃないか、こうじゃないかと、いろんなことを考えていて、それを私に吐き出すんですね。正直、面白くないと、「だから何?」とか訊いちゃう。彼、溺れているからわからないんですよ。すると、悔しいもんだから、私が面白がるまで、試行錯誤するんです。
(秀実)私がさんざん話した後、彼女が「それで私のことは愛してるの?」と訊いたりするんです(笑)。「もちろんだよ」「愛するあまりだよ」と答えますけどね。話の腰を折られているようですが、やっぱり「愛」がないとダメですね。夫婦の会話ですし。
(栄美)私は浮き輪みたいなもんですよ。私は溺れたくないし、海も泳ぎたくない……。

――最後に、この本で何を感じてほしいですか?

 もっと会話しましょう、かな。賀茂真淵の言葉を借りるなら、声のまにまに言をなそう。日本語は、不明解だからこそ、会話しましょう、ですかね。

(たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)
波 2015年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

高橋秀実

タカハシ・ヒデミネ

1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『TOKYO外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『男は邪魔!』『不明解日本語辞典』『パワースポットはここですね』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『道徳教室 いい人じゃなきゃダメですか』など。

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