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石川啄木

ドナルド・キーン/著 、角地幸男/訳

880円(税込)

発売日:2022/06/27

  • 文庫
  • 電子書籍あり

貧しさにあえぎながら、その烈しい精神を歌に、日記に、刻み続けた生涯を描いた傑作評伝。

僧侶の「私生児」として生まれたのち、文学と恋愛に心を奪われて中学を中退。北海道を彷徨う漂泊の日々。転職につぐ転職。友から借銭して娼婦と遊んで妻を苦しめ、放蕩の限りを尽くしたかと思えば社会主義に傾倒する――。貧しさに喘ぎつつ、引き裂かれるほどの烈しい精神を歌に刻印した劇的な生涯。膨大な資料をもとに、感傷的な歌を残した夭折詩人というイメージを覆す生彩豊かな傑作評伝。

目次
第一章 自信と反抗
第二章 上京、失意、結婚
第三章 渋民村で代用教員となる
第四章 一家離散、北海道へ
第五章 函館の四カ月、札幌に二週間
第六章 小樽でも我儘を通す
第七章 釧路の極寒
第八章 小説の失意、短歌の昂揚
第九章 朝日新聞の校正係となる
第十章 傑作『ローマ字日記』
第十一章 啄木の悲哀、節子の悲哀
第十二章 悲嘆の中の『一握の砂』の成功
第十三章 二つの「詩論」
第十四章 大逆事件、入院
第十五章 最期の日々
最終章 死せるのちの啄木

参考文献
解説 私達自身のような「夭折の天才」 平野啓一郎

書誌情報

読み仮名 イシカワタクボク
シリーズ名 新潮文庫
装幀 石川啄木「近代日本人の肖像」(国立国会図書館)を加工して作成/カバー写真、ドナルド・キーン 田村邦男(新潮社写真部)/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 528ページ
ISBN 978-4-10-131358-0
C-CODE 0195
整理番号 き-30-8
ジャンル 文学・評論
定価 880円
電子書籍 価格 880円
電子書籍 配信開始日 2022/06/27

書評

父は本質的に詩人だった

キーン誠己

 今年は父ドナルド・キーンの生誕百年の年です。神奈川近代文学館などで回顧展が開かれますが、その父が晩年に選んだテーマが正岡子規であり、石川啄木でした。
 ドナルド・キーンは三島由紀夫川端康成安部公房をはじめとした同時代の小説家たちと深い関係を切り結んだことで知られていますが、文学への関心は小説にとどまらず、詩への愛情は子どもの頃からのものだったと思います。彼は本質的に詩人だったのではないかと思うくらいです。父が亡くなったあとの書斎を眺めてみると、ひしひしとそう感じられました。俳句も詠みました。
 子規の墓がある東京北区・大龍寺は住まいの近くですので、散歩がてら、よくお参りに行きました。また、啄木は渋民尋常高等小学校の代用教員をしていましたので、父と同じく教師でもありました。この二人に対しては特別な感情を持っていたでしょう。小説家の平野啓一郎さんに対しては、こんなふうに語っていたそうです。“『正岡子規』はどちらかというと、書かなければならないと思って書いた本でした。けれども、今連載している『石川啄木』は、書きたいと思って書いている本です”と。
 二人とも明治に生きた詩人として、伝統的な日本の文芸の危機を肌で感じた人々です。子規は士族の出であり、啄木については「最初の現代人」と父は見なしていましたので、二人は好対照ではありますが、日本語そのものの危機と相対したという点では共通しています。父は『正岡子規』にこう書いています。
〈子規が偉大なのは、著名な俳人が欠如し、また西洋の影響下にある新しい詩形式の人気によって俳句が消滅の危機に晒されていた時に、新しい俳句の様式を創造して同世代を刺激し、近代日本文学の重要な要素として俳句を守ったからである。もし子規が俳句を作らず、批評的エッセイを書かなかったならば、短歌と同じく俳句もまた、生きた詩歌の形式ではなくなった連歌のように、好古趣味の人たちの遊びに過ぎないものになっていたかもしれない。〉
 しかしいまや俳句は日本にとどまらず、HAIKUと呼ばれて世界中で愛される存在になりました。子規がそのことを知ったらどれだけ驚くことでしょう。
 啄木については、こう書いています。
〈啄木は今から一世紀も前に死に、その後の日本が大きく変化を遂げたにもかかわらず、その詩歌や日記を読むと、まるで啄木が我々と同時代の人間のように見える。読みながら、我々は啄木と自分を隔てるものをまったく感じない。〉〈千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ啄木は、日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「自伝」として使った。啄木が日記で我々に示したのは、極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある一人の人間の肖像である。啄木は、「最初の現代日本人」と呼ばれるにふさわしい。〉
 啄木の短歌だけではなく、ローマ字で綴られた『ローマ字日記』を重んじて「傑作」とまで評したのは、紫式部や海軍情報士官だった時に読んだ日本兵の日記から日本文学の道に入った父らしいと言えるかもしれません。
 ところで、彼が『正岡子規』を「新潮」に連載したのが2011年のことです。同じく「新潮」に『石川啄木』を連載したのが2014年から2015年にかけてで、それぞれ八九歳、九二、三歳の時ということになります。父は九〇歳を越えても驚異的な集中力と持続力を発揮できる人でした。朝起きて雑事が済むと書斎に籠り、何時間でも資料を読み、仕事をしました。休憩するのは私が食事の準備ができましたよと声をかける時くらい。夜の一時を過ぎても仕事を切り上げないようなことも頻繁にあって、「お父さん、これ以上は無理になりますよ」と言っても、「僕は無理が大好きです」とにっこり返されたことをよく覚えています。
 明るい人でもありました。書斎に籠って『ローマ字日記』などを読んでいるかと思うと、「面白いなあ、ちょっとここを読んでみなさい」といって嬉しそうに飛び出してくるのです。そうした明るい好奇心が、集中力と持続力の源泉だったのかもしれません。(談)

(きーん・せいき 浄瑠璃三味線奏者)
波 2022年7月号より

「非凡な人物」の肖像

松浦寿輝

 石川啄木は、人口に膾炙した幾首かの感傷的な短歌によって今日われわれが何となく思い込んでいるような、劣等感にまみれた女々しいマイナー・ポエットだったわけではない。人生の敗北をしみじみと嘆じる涙もろい啄木。それは一面の真実だが、彼はまた戦闘的な批評家であり、国の行く末を憂える気鋭の社会思想家であり、文壇に打って出ようとしている野心的な作家志望者でもあった。
 歌人としての啄木にしてからがすでに、その豊かな天稟を全面的に開花させたわけではない。平明な言葉遣いによる啄木の人生詠の、誰しもの共感をよび、一読すればただちに愛誦せずにいられなくなってしまう優しくも哀しい歌風は、当時の近代詩歌の文脈に置いて見るかぎり彼の独創であり、もし早逝によってキャリアが断ち切られなければ、その後の人生経験の蓄積、詩魂の深まり、技倆の上達によって、彼は紛れもない大歌人として大成していたかもしれない。昭和、平成の若者などと比べて明治人が一般にいかに早熟であったとはいえ、享年二十六でのあまりに早すぎる死は、啄木に十全な成熟を許さず、多くの可能性の芽を彼のうちに鎖したまま、その芽吹きと生長の機会を永久に奪ってしまったのだ。啄木は、そのあまりに短い生涯に多くを苦しみ、多くを愛し、多くを創造し遂げた、きわめて複雑な人物であった。
 本書は、広範な資料を駆使し、この密度の高い生の軌跡を克明に追った、生彩豊かな評伝である。転居に次ぐ転居、転職に次ぐ転職を重ねる啄木の屈曲に満ちた人生行路を、ドナルド・キーンは、明晰で客観的な叙述の背後に温かな同情を隠しつつ、逐一辿り上げてゆく。啄木自身の創作の流れはもとより、明治末にはまだ僻遠の地であった北海道の諸都市における新聞人たちの人間模様、その後の日本のナショナリズムの過激化と開戦への途を準備した、大逆事件という決定的出来事に対する若き知識人啄木の反応など、興趣の尽きない読み物になっている。
 キーン氏は、すでにその浩瀚な記念碑的名著『百代の過客――日記にみる日本人』の、続篇(近代篇)の方で、啄木に充実した一章を割き、彼の日記、とりわけ1909年4月から始まるローマ字日記の比類のない面白さに注目していた。啄木がローマ字で日記をつけはじめた動機は、直接には妻に読ませたくなかったというものだ。娼家での放蕩が赤裸々に語られている以上、十分に理解可能な理由ではある。が、もしそれを秘密にしておきたいのなら、いっさい口外しなければよいだけの話であろう。明らかに彼はそれを言葉で表現したかったのだ。
 隠したい、しかしまた露わにしたい。この引き裂かれから、ローマ字表記という「異化」作用を経た、異形の言文一致体散文が産まれ落ちた。キーン氏は本書で、単なる日記ではなく「文学作品に仕立てられた」この特異なテクストを、「傑作」と評価しつつ、啄木の実生活の諸事情の文脈に置き直し、そこに内蔵された赤裸々な心理の動きを微細に跡づけている。
 エッセイ「一利己主義者と友人との対話」末尾の「人は歌の形は小さくて不便だといふが、おれは小さいから却つて便利だと思つてゐる。さうぢやないか」と始まる一節を、キーン氏は本書の冒頭と終り近くの二度にわたって引用している(第一章と第十三章)。人生のささやかな瞬間にふとよぎって消えてゆくはかない思い。「一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい」。その「いとしさ」を表現するには「手間暇のいらない歌」がもっとも適した器だと言ったうえで、奇妙なことに啄木は、「しかしその歌も滅亡する。理窟からでなく内部から滅亡する」と続ける。「おれは初めから歌に全生命を託さうと思つたことなんかない。[中略]おれはおれを愛してはゐるが、其のおれ自身だつてあまり信用してはゐない」。
 繰り返すが、まことに複雑で喰えない男であったと言うほかはない。本書は、愛惜と共感の籠もった筆遣いで描き上げられた、この「非凡な人物」の鮮烈にして躍動感溢れるポートレートである。

(まつうら・ひさき 作家)
波 2016年3月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

ドナルド・キーン

Keene,Donald Lawrence

(1922-2019)ニューヨーク生れ。コロンビア大学名誉教授。日本文学の研究、海外への紹介などの功績によって1962(昭和37)年、菊池寛賞、1983年、山片蟠桃賞、1990(平成2)年、全米文芸評論家賞、1993年、勲二等旭日重光章を受章。2002年、文化功労者に選ばれる。2008年、文化勲章を受章。2012年、日本国籍を取得。『百代の過客』(読売文学賞、日本文学大賞)『日本人の美意識』『日本の作家』『日本文学史(全18巻)』『明治天皇』(毎日出版文化賞)など著書多数。

角地幸男

カクチ・ユキオ

1948(昭和23)年、東京生れ。早稲田大学仏文科卒。ジャパンタイムズ編集局勤務を経て、城西短期大学教授を務めた。

判型違い(単行本)

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