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ぼくの記憶は80分しかもたない――あまりに悲しく暖かい奇跡の愛の物語。

博士の愛した数式

小川洋子/著

605円(税込)

本の仕様

発売日:2005/12/01

読み仮名 ハカセノアイシタスウシキ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-121523-5
C-CODE 0193
整理番号 お-45-3
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 605円
電子書籍 価格 484円
電子書籍 配信開始日 2010/08/01

[ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた──記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。

どういう本?

タイトロジー
(タイトルを読む)
 この世で博士が最も愛したのは、素数だった。素数というものが存在するのは私も一応知っていたが、それが愛する対象になるとは考えた試しもなかった。しかしいくら対象が突飛でも、彼の愛し方は正統的だった。相手を慈しみ、無償で尽くし、敬いの心を忘れず、時に愛撫し、時にひざまずきながら、常にそのそばから離れようとしなかった。(本書95ページ)
一行に出会う 僕の記憶は80分しかもたない。(本書21ぺージ)

著者プロフィール

小川洋子 オガワ・ヨウコ

1962(昭和37)年、岡山県生れ。早稲田大学第一文学部卒。1988年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。1991(平成3)年「妊娠カレンダー」で芥川賞受賞。2004年『博士の愛した数式』で読売文学賞、本屋大賞を受賞。『ブラフマンの埋葬』で泉鏡花文学賞、2006年『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞、2013年『ことり』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『薬指の標本』『琥珀のまたたき」など多数の小説、エッセイがある。フランスなど海外での評価も高い。

書評

滑稽で、切ない、心温まる物語

向井万起男

 2年半前、小川洋子さんの『博士の愛した数式』が単行本として世に出た。風変わりな物語だった。
 主人公は64歳の数学者。1975年以降の記憶は80分しか持てず、この世で最も愛しているのは素数(1と自分自身以外では割り切れない数)という人物だ。そんな数学者と若い家政婦の出会いから物語は始まるが、二人が何の心配もなく話せるのは数学についてだけときている。で、この物語には素数以外にも数学用語がやたらと出てくることになる。普通の人は聞いたこともない用語、もしくは学校を卒業してから口にすることなど滅多になかった用語だ。階乗、友愛数、完全数、ルート、虚数、π ……。
 こんな物語は大勢の読者を獲得できないと考えるのが常識だろう。数学という言葉を聞いただけで逃げ出してしまう人も多いし。ところが、この物語を大勢の人が読み、その大勢の人が更に大勢の人に読むことを薦め出した(私も、その大勢の中の一人)。昨年末、この物語が文庫化されたが、同じことが再び起こっているらしい。では、『博士の愛した数式』が常識を越えた理由は何なのか?
 コミュニケーションのツールとして国際的に最も有効なのは英語だと考えている人が多い。言語という狭い意味でのコミュニケーションに限れば、その考えは間違ってはいない。しかし、もっと広い意味でコミュニケーションを考えれば、数学が最も有効な場合もある。たとえば、大リーグ球団は日本人選手の採用を検討するとき、片言の英語を喋る選手と話し合うことから始めたりはしない。まずはデータを集めて選手の能力を数学的に吟味するはずだ。打率、出塁率、防御率……。
 国際的などというケチなスケールではなく、宇宙に目を向ければ、数学の凄味がもっとよくわかる。我々が地球外知的生命体と交信できる時がきたら何を用いて交信するだろうか。英語じゃダメだ。数学を使うしかない。数学は英語とは違って宇宙レベルでも普遍的だからだ(どこかの天体ではπが地球とは違うなんてことはないし、素数が存在しないなんてことはありえない)。これは昔から言われていることだ。カントやガウスは宇宙に向かってメッセージを送るなら数学を用いるべきだと指摘していたし、ガウスときたら具体的方法まで考案していた。カール・セーガンも、πや素数の配列が最も役立つことを書き、話し、そして映画にまでした。
 数学を適切に用いれば、どこの誰とでも普遍的なことを共有し、通じ合えるかもしれないのだ。このことを、『博士の愛した数式』は物語という形で鮮烈に伝えてくれている。……もちろん、数学のことを伝えるだけの物語なら大勢の人を魅了することなどできはしないが。
『博士の愛した数式』では、数学者の記憶が80分しか持たないので、家政婦は同じ会話を何度も数学者と繰り返すことになる、滑稽なほどに。数学者は江夏豊の大ファンだが、記憶が鮮明な1975年以前の阪神タイガース時代の江夏豊のことしか頭にない、滑稽なほどに。ところが、この滑稽さに、数学者の腕時計の裏に刻まれた284という数字と家政婦の誕生日2月20日(220)が友愛数であるという数学的設定や、江夏豊の背番号28が完全数であるという数学的事実が重なると、読者には何かしら強烈な想いが生じてくるのだ。どんな形であれ誰かと友となりえたときの温かみ、滑稽だろうが完全だろうが人は生き続けていくしかないという切なさ、記憶というものの儚さ……。何を想うかは読者によって違うだろうが、何かを強烈に想うことだけは確かだ。これが、『博士の愛した数式』が読者を魅了したもう一つの、そして大きな理由だろう。
 ところで、この物語が小泉堯史監督によって映画化された。稀にしかお目にかかれないタイプの名画だ。原作の物語とは細部がかなり違うのに感動的な映画に仕上がっているのだ。こういうタイプの映画は、原作に惚れ込み、自分が強烈に想ったことを大胆に描く勇気を持った人にしかつくれない。
 最後に、私は野球に関する数字のことなら何でも調べるのが好きなので、小川洋子さんと小泉堯史さんに訊いておきたい。家政婦の誕生日2月20日は長嶋茂雄の誕生日でもあるということを御存知でした? それから、江夏豊の生涯通算セーブ数193は素数だということを御存知でした?

(むかい・まきお 医師)
波 2006年2月号より

Nの秘密

堀江敏幸

 一九九二年三月、語り手の「私」は、所属している家政婦紹介組合から、ひとりの風変わりな老人のもとで働くよう命じられる。義姉の敷地の離れで暮らしているこの老人は数学者で、大学でも教えていたのだが、十七年前に交通事故で脳を強打し、わずか八○分しか記憶が持続しないという障害に見舞われていた。確実に覚えているのは一九七五年までの出来事と専門分野の数学にかかわることだけで、現在の日々の細部はたちまち忘れてしまうから、「私」は仕事に出向くたびに自己紹介をし、求められるまま靴のサイズや生年月日を反復しなければならない。数字にとりつかれた六十四歳のその男は、やがて「博士」と呼ばれることになる。
 ところが「私」に十歳の息子がいると知り、学校帰りに立ち寄らせて、頭部が平らでルート記号に似ているからとの理由で彼をルートと命名し、三人で夕食を共にするようになってから、博士の態度に微妙な変化がうまれる。これまで他者とのまじわりを妨げてきた数字への過度な愛情が、今度は「私」やルートとの親密さを保つための大切な道具になっていくのだ。つめたい抽象の世界に血がかよい、専門用語がほとんど詩のような響きをもって、「私」のなかで息づきはじめる。
 博士はルートに、初歩的な数学の概念を、じつにやわらかくかみくだいて、数に対する愛と畏敬の念を芽生えさせた。家事を片づけながら、「私」はその様子をとてもおだやかな気持ちでながめている。これはなにかに似ていはしないだろうか? そう、家族に似ているのだ。それも、本名では呼ばれず記号として登場する母子が、縁もゆかりもないもうひとりの老人と、擬似家族を形成しているのである。「私」は高校三年で未婚の母となり、ルートは父親を知らずに育った。「私」自身の母親も妻のある男性を愛し、女手ひとつで娘を育ててきたひとだから、母娘はここで相似の関係にあるのだが、父の不在という線をひけば、「私」とルートも線対称になる。さらに博士は、「私」にとって父であり、夫であり、ルートの友だちとして身近な知己ともなっている。彼ら三人は、一と自分自身以外には約数をもたない正の整数、すなわちあの孤独な素数の親族にほかならず、たった一本の命綱をたぐりあって奇跡的に出会った、本当の家族よりも家族らしい家族なのだ。
 しかし、頼りなげな家長の役を振られている博士は、そのつど疑似家族の記憶を消去し、更新していかなければならない。数字をめぐる楽しい会話も、ルートの怪我をまえにした動揺も、料理をしている「私」が「好きだ」という、そこだけ突出した印象をあたえる告白めいた言葉の艶も、すべて八○分の制約のなかで反復される芝居のひとこまになってしまう。芝居の台本を支えるのは、数字と野球だ。博士は実際の野球場へいったことも、ラジオ中継を耳にしたこともない、もっぱら新聞と野球カードのデータを中心にしたいびつだが純粋な野球愛好家で、阪神時代の江夏豊の熱烈なファンだった。
 一九七五年で記憶が途絶えている博士の頭のなかで、この稀代の左腕の背番号は28のままだ。二一球のドラマを演じた広島時代の26はありえないし、おなじ28番でもその二年後あたりから活躍しはじめた巨人の新浦も存在しない。疑似家族にとって、一九七五年以後の江夏豊は禁忌の主題であり、不在でありながら確実に存在しているゼロに等しい重みを持っている。そればかりではない。全盛期の江夏の背番号28は、自身を除くすべての約数を足していくと28になる「完全数」だというのだ。輝かしい記録をつぎつぎに樹立し、「数字」を塗り替えていった男に、これほどふさわしい背番号があるだろうか?
 博士の記憶容量はやがて飽和し、疑似家族の幸福は、きれいに消失する。完全数を背負った男の影が、彼らのその後にどんな影響を及ぼしていくのか、それをここで明かすわけにはいかないけれど、博士が若き日に本気で愛し、いまもすぐ近くから遠巻きに見守ってくれている女性のイニシャルがNだということにだけは触れておこう。Nはすなわち、NUMBERの略号だ。これなくして美しい数式は成り立たない究極の文字。しかしNにはどんな数字だって入れられるのだ。記憶をなくした空っぽの頭脳のやさしさと、それはまったく同義なのである。

(ほりえ・としゆき 作家)
波 2003年9月号より
単行本刊行時掲載

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