新潮社

試し読み
上田岳弘『太陽・惑星』

太陽

 厳密に言えば、太陽は燃えているわけではない。
 燃える、という現象は熱や炎を伴った急激な酸化を指すものであって、太陽の輝きはそのような物質と酸素が結合する現象とは違うものである。あれは、原子核同士が融合しているのだ。最も単純な元素であるところの水素原子四個が核融合し、ヘリウムへと変化する。その時、元の水素と出来上がったヘリウムの総質量に差異が生じ、差分の質量がエネルギーとして解放される。ばくだいなエネルギーと地球上の人々の目には映るが、それはあくまでも、日常生活の場において質量がエネルギーに転換されることがないためであって、つまりは慣れていないからだ。太陽にあってそれは、ありきたりな現象に過ぎない。むしろエネルギーは足りないという言い方もできる。核融合の連鎖によって太陽は輝き続けているのだが、太陽においてはそれもヘリウム同士の結合までしか進まない。もっと質量のある恒星であったなら、鉄くらいになってようやっと安定するのだが、太陽の場合そこまでいかない。エネルギーが足りない。ただ、太陽より質量のある恒星であっても、鉄より先に核融合を進めるとなると、鉄がかなり安定した物質であることもあり、これはもう相当なエネルギーが必要になる。木炭が燃焼を進めるにしたがって、周辺から中央部に向かって灰になっていくのとちょうど反対に、恒星は中央から鉄になっていく。鉄化しながら、輝き続けるのだ。そうして質量があるしきいちを越えると、いずれは自重に耐えられなくなる。押しつぶされ、爆発する。爆発のエネルギーによって鉄より重い元素へと核融合が進む。ウランにプルトニウム、イットリウム、ジルコニウム、ヨウ素、キセノン、セシウム、ランタン、銀、プラチナ。――そして、金。
 そのようにしてようやく金は生まれる。が、これはある閾値を越えた質量を持つ恒星の話であって、太陽のことではない。
 そのため、
 金だ
 金
 金
 金が必要だ
 と切実に願う、太陽から数えて3番目の惑星の住人、春日かすがはるおみの欲するものは太陽からは生まれない。もっとも、彼がこの時欲していたのは金であって金ではない。だが突き詰めて考えるとどちらでも良いとも言える。金は人々の社会にて高値で取引され、少量の金で多くの金を得ることができるからだ。しかしさらに突き詰めてみると、そのどちらをも必要としていないとも言える。この時の春日晴臣にとっては目の前のデリバリーヘルス嬢が彼の望みどおり性交をさせてくれるのであれば、そもそも金など必要ない。大学の教授職にある春日晴臣は毎月第2・第4金曜日は女を買うことに決めている。春日晴臣はこの日、通常通り講義を終えると彼の大学では専任教員のみに与えられる個室に戻って荷物をまとめ、電車に乗って新宿に出た。それから講義の合間に熱心に選んだデリバリーヘルス店に電話をかけ、女性を指名した。最初に尋ねた女性は既に予約で埋まっていたが、その程度であわてる春日晴臣ではない。このような状況も想定していた彼は、第1希望から第5希望までを選んでいた。第3希望まで振られ続けたが、第4希望の女性は空いていた。不満は残るものの、新宿のホテルにてデリヘル嬢の到着を待ちながら、春日晴臣はひざを揺すり始める。いわゆる貧乏ゆすりというものだが、若かりし頃の努力と忍耐が実って、今や大学の専任教授となった春日晴臣は国内平均所得の倍以上の給与を得ている。しかしじゅん教授から教授へと昇格した際に始めた投資の調子がかんばしくなく、近頃自由になる金は乏しい。信用枠を使った株取引で予想とは逆の値動きがあったのだ。明日の金に困るわけではないが、自由になる金が一定額を下回ると不安から目をらせなくなってしまう春日晴臣にとってみれば、おちおち女など買っている場合ではない。しかしながら、彼は買う。この習慣を守ろうとする意志は固い。
 ドアがノックされ、乾いた室内に音が響く。春日晴臣は貧乏ゆすりをやめて立ち上がり、ドアを開く。目の前に立つ女性を見て、しめた、と思った。想定よりも整った顔立ちをしている。さらに言えば、春日晴臣好みでもあった。店のHP上の目元にぼかしが入った写真では、顔と体の輪郭から判断するしかないのだが、これは当たりだ。さすが俺だ。春日晴臣は女性の上から下までをじっくり見て自らの性欲をき立ててから、相手を招き入れる。狭い部屋である。ベッドわきには小さなサイドテーブルだけがあり、もない。女性は塗装のがれが目立つ合皮のバッグをテーブルの上に置き、上目遣いで春日晴臣を見る。アーモンド形の大きな目が口元の笑みに映える。シャワー浴びていいですか? と女性が聞いてくる。いいです、いいです、入りましょう、それにしても君かわいいね、今日はついてるよ、と春日晴臣は歯のすきから空気が抜けるようないつもの早口でまくし立て、衣服を脱ぎ始める。上着を脱いでベッドに置き、ベルトを外してするりとスラックスを脱ぐ。YシャツとTシャツを順番に脱ぐ。パンツも脱いで身に着けるものは靴下のみとなった。その格好で、ハンガーにTシャツを着せかけ、その上からYシャツを、さらにその上にスーツの上着をかける。スラックスは別のハンガーにかける。最後に靴下を脱ぐ。慣れたものだ。見ると、女性も既に全裸になっている。春日晴臣は女性の裸を見て意気消沈する。顔の美しさに比べ、体はそれほどでもない。春日晴臣は乳房に大きさを求めるタイプではないが、形と色にはこだわるタイプだ。服の上からではこればっかりはわからない。春日晴臣の見立てによると女性の胸はDカップかEカップはありそうだが、若いのに少し垂れ気味だ。乳首の色も黒ずんでいて興をがれる。でもまあいい、なんにせよ顔は非常に好みなのだから、と気を取り直して春日晴臣は女性の手を引っ張りシャワールームに入った。春日晴臣はここでさらにきょうめな事実に気づく。湯加減は大丈夫ですか? 他に洗って欲しいところはないですか? 機械的に要望を聞いてくる女性の左手首にピンク色の隆起が見える。おいおい、と春日晴臣は思う。彼はリストカット跡のある女性は苦手なのだった。受講する学生の中にもたまに同様の傷跡がある者をみかけるが、たいていは女性である。これは一般的な傾向だろうか? それとも俺が男の手首には注意を払っていないだけだろうか。いずれにしろ、リストカットをする人間の存在は彼をいらたせる。が、その苛立ちの根元に、彼は関心を持たないことにしている。春日晴臣は腹立ち紛れに、泡立てたせっけんで胸の辺りを淡々と洗っている女性の体を乱暴に抱き寄せ、滑る肌の感触を楽しむとともに、おもむろに女性の唇に自分のそれを合わせ、美しい顔を観察した。女性は抵抗しない。しかし女性の顔を観察する内、またしても興醒めな事実に気づく。なんだよ、整形かよ。こすれる鼻の感触、間近でみるとわかる目頭の切開跡、探せばもっとこんせきを見つけられるかもしれないが、これ以上気勢をそがれたくない春日晴臣は一度目をつぶり、それからゆっくりと開くと、もう観察するのをめることにして、ただ女の感触を楽しむことに決めた。下手に顔が好みであったから期待してしまっただけだ。整形だろうが、胸が多少垂れていようが、関係ない。トータルで考えると十分当たりといえる女じゃないか。第2と第4の金曜日にはしっかりと興奮しておかなければならない。春日晴臣は先にシャワールームを出て、タオルで体の水分をふき取り、ベッドに腰掛けて女性を待った。

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 さて、一通りのサービスを受け終えてからが春日晴臣の本領発揮である。射精を終えた春日晴臣は交渉を開始する。デリバリーヘルス店から禁じられている性交の要求である。もちろんただでとは言わない。いくらだと受けてもらえるのか? 駄目ですよ、と女性は答える。金の授受の伴う性行為は店から禁じられているだけでなく、そもそも違法だ。もちろん春日晴臣もそんなことは百も承知である。しかしながら百戦練磨の春日晴臣はその程度ではあきらめない。金を積んでみせ、といっても二、三千円単位の小刻みで増やしていき、落とし所を探る。春日晴臣の経験によれば、難色を示す女性であっても半数程度は金額次第で受けてくれる。今回の女はいかにも押しに弱そうだからいけるだろうと踏んでいたが、女性はなかなか首を縦に振らない。春日晴臣はシチュエーションそのものに興奮を覚えだす。ついつい歯止めがかなくなり、気がつけば十万円を提示していた。これは破格の金額である。通常の料金に加えて五千円程度、高くてもせいぜい二万円、それを超えた場合は縁がなかったものと諦めて深追いしないのが常だったが、この時は違った。投資で負けが込んでいたことも影響したのかもしれない。金のことが気になって仕方がないのに、女を買うための金額をやみくもにり上げていくことが妙に気持ちいいのだ。だが、春日晴臣に十万円もの手持ちはない。銀行口座にはあるが、投資の状況にかんがみるとおいしょうを求められる可能性もあり、動かしたくない。ああ、と春日晴臣は嘆息する。
 金だ
 金
 金
 金が必要だ
 もっと莫大な金が。だがそうこうする内に、倒錯した興奮も徐々に収まってきて、十万円は高すぎると考え直す。金を積めばなんとかなると思っている俺と、汚物でも見るような目付きで首を横に振り続ける美しい女。そして俺は金が足りない挙げ句に、要求を引っ込めるのだ。さらにこの場から去り家に帰ってしまえば、俺の人生にはなんの影響も出ない。女や金にからむ劣情が満たされ、彼はあんに浸る。二人は黙々と服を着込み、ホテルを後にする。

 春日晴臣の相手をした女性、たかはしとうは一人になるとデリバリーヘルス店に連絡を入れる。暗転したディスプレイに映る自分の顔を意外なものでも見るようにしばし見詰めてから、それをバッグにしまい、待機所として使われている坂の途上の古いマンションの一室に戻った。高橋塔子はその店で「ほのか」という名前で登録されている。「ほのか」の前にも彼女は別の名前を持っていた。つい先月まで彼女は「やなぎはら」としてアイドルになるための準備にいそしんでいたのだった。春日晴臣は整形手術跡を見逃さなかったが、それも芸能界デビューの下準備の一つだった。もちろん顔を整えるだけでアイドルになれるわけではない。いつの世も大衆が求めるのは話題性である。それも、高レベルの幸福や不幸に対しての許容度を表す数値、いわゆるグジャラート指数が平均65以上と、先進国の中でも比較的高い日本においては、相当にひねった話題を提供する必要がある。二十歳になりたての高橋塔子を新宿で拾った芸能事務所の社長は、特徴的な経歴が欲しいと考え、彼女の身の上話を根気よく聞き出そうとした。そしてゆいいつ引き出せた、裕福な父子家庭で育ったという彼女のの話を拝借して、「斜陽貧乏アイドル」というキャッチフレーズと柳原未央香の半生のエピソードを作りあげていった。「貧乏アイドルを超えるインパクト! 人には言えないなぞの五年間を経た後にデビュー。お母さまを探してます」という触れ込みで、十五~二十歳の間は謎の期間とされ、テレビや雑誌の取材で聞かれても「それはちょっと言えないです」と答えることになっていた。芸能事務所がその線でプロモーションをかけると、漫画雑誌と深夜のテレビ番組が話に乗ってきてデビューが決定した。前者では柳原未央香の斜陽エピソードを交えたグラビアを、後者では本人が演じる半生の再現VTRを取り上げてもらえることになり、双方とも撮影を終えていた。だが結局それらが日の目をみることはなかった。デビューが差し迫ったある日、数年前から「貧乏アイドル」として活動していた女性が自殺し、グラビアもテレビも自粛のため話がなくなってしまったのだ。
 一度ミソがついてしまうと、再び売り出しのための気運を高めるのは難しくなる。加えて、芸能事務所社長のあいそうは、2011年3月11日の地震以降流れが変わったことを感じ取っていた。不幸を売り物にするのは以前ほど簡単ではないだろう。面白おかしく、非人道的なレベルすれすれまでおちゃらけてやれば売れるはずだと確信があったのも、既に過去のことだ。完全に流れがない、と彼は判断した。今では、さてどのように撤退するか、という考えに移行している。売り出しの準備にかかった金をどのように回収するか。どのように高橋塔子を納得させるか。愛田創太のくどくどしい言い訳を聞かずとも、高橋塔子は彼の意図を読み取ることができた。手首の傷跡をでる彼女は、柳原未央香の名をとうに手放していた。親友の死をきっかけに十代で出奔した彼女は、様々な名前をまとっては捨てて生きてきた。愛田創太と知り合った新宿のキャバクラではおりと名乗り、その前の店でも別の偽名を持っていた。さらに言えば親元にいるころから、彼女は親友との間では、本名とは別の名前で呼び合っていた。捨てた名前とともに、それに付着したあかのようなものも脱ぎ去れると二人は思っていた。どこかに近付いているような気もしたが、それが好ましい場所なのかどうか彼女たちにはわからなかった。今ではもう、最初に付けられた名前を思い出すことすらなくなっている。
「柳原未央香」は背負った不幸を隠さないことで奇をてらう方針であったため、リストカット痕も隠さない予定だった。アイドルとしての彼女は自傷癖を克服したという設定になっており、そう決められると実際にリストカットをやらなくなりもした。傷跡を指摘されたなら、「そうなんですよ。つらいことが多すぎて」と答えることになっていた。これは受けるはずだ、と2011年3月11日以前の愛田創太は考えていたのだが、確かに地震が起こらなければ勝算は十分にあったかもしれない。と言うのも、当時の日本において人々の平均グジャラート指数は上昇の一途をたどり、あのままの調子なら70を超えることは間違いなかったからだ。だが震災の影響で平均グジャラート指数が一気に低下した。その場合、アイドルが不幸せを、それも少女の内にぎゃくたいを受けていたことを売りにして世間の目を引くのは、あまりにも不謹慎ということになる。結果として、柳原未央香の売り出しにかかった資金を回収するために、高橋塔子はほのかとしてデリバリーヘルス店で働かねばならなくなった。おおやけに共有されない不幸は弱者の下に留まり、彼または彼女を傷つけ続けることになる。日本の平均グジャラート指数が今後再び順調な上昇に転じていくことを考えると、一部の人間だけに負担を強いるというのは不当なことだと言える。
 直接的には愛田創太の口車に乗った形だが、高橋塔子は愛田創太が説得に使った言葉を覚えていない。覚えているのはその時の彼の表情だけだ。その表情は彼女にとってみのあるものだった。目を見開き、鼻孔をひろげ、こちらを圧しようとする顔。逃れようとしても、逃げたその先に同じ顔をした者が必ず待ち受けている。出奔してからこちら、散々目にしてきた顔だ。高橋塔子はいつしか、男たちの欲求に巻き込まれる自分の身体からだや感情を、ごとのように扱うことができるようになっていた。しかし何かの拍子に強い感情が吹き荒れ、普段の従順さから一転し、全部を拒絶することしかできなくなる場合があった。さきほど春日晴臣がねちねちと金額を吊り上げていった時も、彼女の脳裏はふんで真っ赤に燃え上がり、自分の値段のこうとうぶりにあきれることもなかった。ホテルを離れた今でも肺が膨張したようなむかつきがある。高橋塔子は金のことをけんしている。すべての金が人を従わせることを存在目的としていると彼女はしているようだが、それはかたよった見方であるとも言える。

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 大抵の人間は金をなるべく多く集めようとするものだが、中には金を作ろうとした者までかつていたのだ。錬金術師と呼ばれる者たちのことである。古代ギリシア時代、アリストテレスが万物は、火、地、空気、水、の4つの元素から出来ていると見做し、元素を分解し組み直せばあらゆる物質が生成できるのではないかと発想したことからそれは始まった。試行錯誤の結果出来上がったものは金ではなく、かっこうな混ざりもの、鈍く光るしんちゅうに近い物質だった。その後イスラム世界へと引き継がれ、魔術的な様相を呈しはじめた錬金術は、最も濃密なコミュニケーションの一つであるところの戦争によって西ヨーロッパに伝わる。金を得ようとする過程で、様々な成果が別に上がった。蒸留技術が進歩して高純度のアルコールの精製が可能となった。火薬も偶然に発明された。硝酸、硫酸、塩酸、王水等の科学的効用のある溶液が発見された。錬金術師たちが溶液の研究に勤しんだのは「万物溶解液」を作ろうとしたからだ。物質を溶かし、4つの元素に分解することで、あらゆる物質を生成する端緒とする。だが硫酸で物質を溶かし込んだところで、4つの元素に分解できるわけもない。そもそも元素は4つだけではなかったし、核融合させなければ金は作れないのである。西洋に伝わった錬金術は袋小路に入り込むことになる。一方、東洋で別個に発祥した錬金術は、仙人へといたる道であると考えられていた。不老不死の薬「仙丹」の生成が東洋錬金術の目的であり、金の生成はあくまで仙人になるまでの生活費を得る手段とされていた。西洋錬金術においても、「エリクサー」と呼ばれる不老不死の妙薬の生成が究極目標の一つとされていたのだが、東西の錬金術はともに、不老不死の妙薬はおろか金の生成にも至らなかった。金を作れるほどに核融合を進めるには、太陽でも足りないほどの莫大なエネルギーが必要なのである。極限まで挑戦し、それでもできなかった以上、別の方法を模索するより他ないだろう。例えば、春日晴臣の所属する大学から離れること1万4000km、アフリカ大陸中央部でドンゴ・ディオンムが金を得るために取った方法は、金を生成するよりもはるかに効率的だった。

 ドンゴ・ディオンムは金を得るのに生物の繁殖を利用した。彼が生産したのはもっとも身近で、かつ高値で売れる生物であるところの人間だった。ドンゴ・ディオンム自身も同じ種に属しているのだが、彼は同族意識にとらわれない観点に立ってぎょうに精を出していた。六人兄弟の3番目の子供として生まれたドンゴ・ディオンムは、時のフランス政府の気まぐれな援助によって近所に建てられた学校に八歳からの三年間通った。学業の成績は常に一番優秀だったが、そんなことは両親にとってはどうでも良いことであったし、そうである以上当の本人にもどうでも良いことのように思えた。もしも、学校に通わなくなった一年後に実施されたIQテストをドンゴ・ディオンムが受けていたなら、彼は圧倒的なスコアをたたき出したはずだった。特待生としてフランスに渡り稼ぎの良い弁護士になったディオマンシ・ファルの幸運は、ドンゴ・ディオンムにこそ訪れるべきものだったのだ。だが現実には彼は兄弟と同じ扱いを受け、農園で働かされた。もしあのまま学校に残っていたならば、比較にならない量の金を得ていたかもしれないのに、残念なことだ。ただし、稼ぎ出した金の量に着目するとしたならば、結果的にはドンゴ・ディオンムも十分健闘したと言える。彼には彼の錬金術があったからだ。自らの体を用いて女性を妊娠させ出産した子供を販売することで金を得る。この方法により、彼は自国の平均所得の10倍以上の収入を得ていた。
 しかしドンゴ・ディオンムの経験上、この稼業もそろそろ切り上げ時だった。人身取引にうるさい欧米諸国のジャーナリズムが工場の存在を知ったことに勘付いたからだ。彼らが問題視する場合、遠からず対策が打たれる。ドンゴ・ディオンムが子供の頃にも、児童労働が問題視されたことで、彼の働く農園が摘発されたことがあった。プランテーションの労働環境は経営主によって異なるが、ドンゴ・ディオンムがいた農園は働きやすい部類だったと言えるだろう。監視は緩く、疲れると各自が勝手に休むため、日によって生産性にかなりの波があった。労務管理はいい加減なものだったが、作業量が少なくなりすぎれば監視の目は厳しくなった。が、それにしても一週間もすれば元の緩やかな体制に戻る。騒ぎを起こさず生産性を下げなければ、子供たちは放っておかれた。そのことに気づいた十歳のドンゴ・ディオンムは子供たちを組織し、交代で休憩を取らせ、作業量をチェックするようになる。ドンゴ・ディオンムのさんの児童就労者たちは、農園が許容する範囲内で最大化した自由を満喫していた。ある時イギリスの公共テレビ局が製作したドキュメンタリー番組がきっかけで、ドンゴ・ディオンムの住む地域で親が子供を農園に売り劣悪な環境で働かせていることが問題視された。西側諸国の世論が高まり、ドンゴ・ディオンムの働いていた農園も摘発された。出稼ぎ先を失った子供たちの家族に、彼らを養えるだけの余裕はなかった。少女たちは別の場所に売られていきその多くは自覚もないままにしょうとなって、その他の少年、例えば十七歳になっていたドンゴ・ディオンムは解放されることになった。自由になった少年や売れ残った少女たちは、自由意志によりただ同然で農園に雇われるか、ギャングのメンバーになるか、飢え死にするか、おおむねそのようなてんまつを迎えることになった。
 ドンゴ・ディオンムは行動を共にしていた少女と一緒にギャングに拾われ、様々な雑用の見返りとして与えられる食料でかろうじて口をのりした。まだ年若いというのに買い手のつかなかった少女は、その醜さゆえにギャングたちの関心の対象外で、ドンゴ・ディオンムにくっついたおまけのように見做されていた。彼女の分の食料は与えられずドンゴ・ディオンムが分け与えていたが、生まれつき病弱な少女は日に日にせ細っていった。何か手を打たねば少女は早晩死んでしまうだろう。ドンゴ・ディオンムはとても冷静にそう考え、そして対策を講じた。血眼のギャングたちに追われずに済む程度の価値しかないもの、ことによると気づきすらしないもの、ドンゴ・ディオンムはそのぎりぎりを検討し、異国のコイン数枚と銃2丁を奪い、真夜中に逃走した。醜い少女が労働から解放され、しばらく生活ができればまずはそれで良かった。ドンゴ・ディオンムが生きていくのに醜い少女は足手まといでしかなかったが、置いていこうとは思わなかった。劣悪な生育環境だったにもかかわらず頭脳めいせきかつ頑健に育ったドンゴ・ディオンムは、青年期にして、自分の生活の向上を図るのみではあきたらない精神性を有していた。ギャングの勢力圏から十分に離れた新しい土地を選ぶと、ドンゴ・ディオンムは戦略的に町に溶け込んでいった。当初は町の有力者の下でただ働き同然の小間使いをして信用をつちかい、やがて二人が食べていけるだけの仕事を得た。そうする内に、ドンゴ・ディオンムと醜い少女の間に子供ができる。二人は子供を半年間育てたが、少女の体調が日に日に悪化し、ドンゴ・ディオンムは看病のため働くこともできなくなった。彼は熟慮の末、醜い少女を優先することにし、欲しがる女性に赤ん坊を譲ることにした。しかしほどなくして、看病むなしく醜い少女は死んでしまう。ドンゴ・ディオンムが新生児を売る商売を始めるのはこの五年後のことで、「赤ちゃん工場」の実態調査が始まる十八年前のことだ。

「赤ちゃん工場」摘発に向けた予備調査が企画された頃、ドンゴ・ディオンムの工場の初期のであるトニー・セイジは、パリ18区のクリニャンクールにいた。本人は自らの出自を知らず、確かめるすべもない。何も知らないトニー・セイジには空想する権利がある。どのような顛末で自分が孤児となったのか。トニー・セイジは、バンドデシネや日本の漫画、ハリウッドドラマや小説から刺激を受けては、想像上の自らの系譜に様々なアレンジを加えていった。トニー・セイジの幼年時代のしゃであるジョルジュ・セイジが、ル・アーブルでトニー・セイジを発見したのは、薄いぐんじょうの空気が周囲を満たすある早朝のことだった。金を多く保有する者たちがクルーザーを停泊させている入り江を散歩していた時、マリーナと海とを隔てる水門にひっかかるようにして、一そうのクルーザーが浮かんでいるのをジョルジュ・セイジは発見する。げんに思って近づくと、波が変わり、水門にひっかかっていたクルーザーが音もなく彼の方へと近づいてきた。波音にまぎれてかすかに幼い子供の泣き声が聞こえた。いや、、背骨がじんとしびれ、考える前に体が動く。加齢により弱った足腰に力が宿り、接近したクルーザーに飛び乗って、彼は声の出所を探した。コックピットの座席に置かれた、オムツだけをつけた、自分とは違う人種の赤ん坊。それが後のトニー・セイジであるのだが、この時はまだ名前がなかった。けいれんするように泣いていた赤ん坊は、ジョルジュ・セイジが抱き上げるとぴたりと泣き止み、鼻をひくひくさせながら彼を見た。トニー・セイジが発見されたクルーザーの持ち主は、ロンドンとニューヨークにオフィスを持つ証券会社の経営者だった。ジョルジュ・セイジが知りえたところによると、長期休暇の度にル・アーブルを訪れており、性犯罪の嫌疑がかかったことのある人物であるらしい。ごうかんいんこうというのがその内容だが、結局起訴はされていない。しかし、なぜそんな彼の所有するクルーザーのいかりのチェーンが切られ水門をただよっていたのか、なぜ赤ん坊を残して姿を消してしまったのか、それらは結局わからずじまいだった。彼の方こそそろそろ介護が必要になりそうな年齢に達していたジョルジュ・セイジだったが、なんの気まぐれかその赤ん坊を引き取り自分の養子にした。周囲の無関心の下、父子はさしたる問題もなく時を重ねていく。
 十歳になったトニー・セイジを前に、ジョルジュ・セイジはクルーザーの赤ん坊の話をするようになる。それはほうが始まったためであり、それまで養父は、生物学上の父親に似て頭脳明晰な息子の前でこの話をすることを固く拒んできた。痴呆が進むにつれ、話は神話的なモチーフに模されながら大仰になっていき、まるでトニー・セイジは神からの授かりものであるかのように語られた。トニー・セイジは養父の話から事実を抜き出し、それまで空想していたのとは違った経緯を推測し始めた。その中には実際に起きたことと非常に近い仮説すらあった。ジョルジュ・セイジが老衰でくなったのは、トニー・セイジが十五歳の頃のことだった。養父の庇護を失っても、ドンゴ・ディオンムから優秀な頭脳を受け継いだ彼ならば、その気になれば奨学金を得て、知識階級に属することもできたはずだが、彼が生物学上の父から受け継いだのは優秀な頭脳だけではなかった。目の前の課題に対して安易な解決を図ることで、たとえ大局的には多くの利を得ることができなかったとしてもそれで良いとする傾向。その安直さがドンゴ・ディオンムをして赤子を売る稼業に手を染めさせ、トニー・セイジをしてパリの隅っこで非正規品のキティちゃんを売る商売に手を染めさせた。彼らの優秀な遺伝子が結実し大量の金を生むことになるのは、まだずっと先の話である。

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 トニー・セイジはわずかな金を求め、パリ18区クリニャンクールの露店にて非正規品のキティちゃんを売る。十九世紀のパリ大改造の際追い払われた人々が住み着いたその場所では、当時からガラクタが売られ、いつしか大規模なのみの市として知られるようになった。売れるものは何でも売ろうとする人々の意志が土地にみ込んでいるかのようで、品物を手に路上に立ち、往来する人々に押し付けようとする者も大勢いる。その多くが、トニー・セイジと同じ黒人である。駅前の広場にひしめく露店には、アラブ系も混じる。模造品のかばんや時計、民族衣装とアクセサリー、売り子も用途を知らない金物、パイプ、片方だけの靴、並べればなんでも売り物ということになる。トニー・セイジの売る非正規品のキティちゃんは品物としては上等の部類と言える。サンリオ社の有する猫のキャラクター、キティちゃんはフランスでも人気がある。中国から仕入れているキティちゃんグッズはコンスタントに売れ、トニー・セイジと仕事仲間が生活をしていくのに十分な金を得ることができている。もちろん本場の日本においてもその人気は同様だが、人々の中にはキティちゃんが好きではない者もいる。例えば高橋塔子がそうだ。キティちゃんだけではない。ミッキーマウス、ポケットモンスター、さまざまなキャラクターがはりついた筆記用具、義務教育期間中に目にしてきた、たわいない愛情のかけらたち。それらは高橋塔子に、キャラクターグッズを見せびらかす同級生らを一緒にあざ笑っていた友達のことを思い出させた。その友達が自殺したことも連想するため、今ではキャラクター商品を見るだけでまわしい気分に取り付かれるようになってしまった。これに限らず、高橋塔子が苦い経験から憎むようになった対象は多くある。その最たるものは金である。だが、言わずもがなのことだが、金を生み続けぬ限り渡世はすぐに行き詰る。金に詰まると彼女は自分の体を売った。ドンゴ・ディオンムが赤子を売り、トニー・セイジが非正規品のキティちゃんを売るように、それが高橋塔子の錬金術だったわけだ。
 高橋塔子とは対照的に、春日晴臣は金に愛着をもっている。では、春日晴臣は何を売って金を得ているのか。知識を売る、という言い方も可能なようだが、単純にそうとも言えない。彼の持つ知識の量や質は、同じ勤め先でも雇用形態の違う、客員教授や非常勤講師の平均と比べてみても、格段に低い。しかし給与は彼らよりも多いのだ。そのことからも彼が単に知識を売っているわけではないことがわかる。おまけに専任教員である春日晴臣は、定年に達するまでの雇用が保証されている。大学の運営が極端に失敗し教員のリストラが始まる可能性はゼロではないが、春日晴臣が所属する大学は志願者が多く、財務状況も良いため、その可能性は低い。だが、春日晴臣は平均的な人間であれば気にすることもないまつなことにもを抱く。投資がうまくいっていないことも、不安をあおる一因になったようだ。いかに安泰にみえるとは言え、十年、二十年のスパンで考えればどうだろう。たんする大学もちらほらと出てきている。少子化で進学人数が減っているのだから当然だ。教員数はもっと減らされるに違いない。そうなったら、果たして自分は留任できるだろうか。いや、自分が居座っていていいものだろうか。電車の振動と春日晴臣の胸の鼓動が合わさる。自分の身に降りかかっても文句の言えないさいに検討し、心底おびえることで、彼は果たさずにきた誠意を無自覚に代替しようとしている。だが悲しむべきことに、あるいは喜ぶべきことに、彼は日々図太くなっている。彼のうっくつもやがては凝り固まって小さな怯えすら生まなくなるだろう。そんな春日晴臣のもとに、ある日公的な仕事のオファーが舞い込む。国連組織が派遣する調査団への参加要請で、行き先はアフリカとのことである。評判になるような本も論文もものしたことがない彼は、このような仕事を決して断らない。シンポジウムや何かに出る度、自分の立場がより強固になっていく感覚に、春日晴臣の心は安らぐのだった。
 同じ頃、高橋塔子にも海外での仕事が入った。柳原未央香の売り出しに失敗した損失をてんするために画策された仕事の一つである。芸能事務所社長の愛田創太は、あるエージェントに雑誌の巻頭を飾るはずだった柳原未央香の写真を渡していた。写真加工ソフトの小技もいていて、写真の中の彼女は実物を知る愛田創太が見てもしばらく目が離せなくなるほどのなまめかしい肢体、胸を突く美しさだった。だがいつまでも悔しがっていても仕方がない。成り行きによっては、損失を一挙に穴埋めできる。仕事を持ってきたエージェントは、中国の富裕層への太いパイプを持つ、日中ハーフの男である。中国の成金たちの欲望をかなえることで金を得るその男は、これまでも愛田創太に多額の金を稼がせてきた。ありていに言えば、愛田創太が紹介する女性を成金にあてがうのだ。女性が拒否すれば無理強いはしないが、うまく後援者をつかめばかなりの金をみつがせることができる。日本の芸能人というだけで、ある層には受けが良い。高橋塔子が柳原未央香として撮影しお蔵入りとなった巻頭グラビア用の写真は、いわば身分証みたいなものだった。春日晴臣との一件で怒りをめ込んだ高橋塔子にしても、今の状況からは早く抜け出したいと思っていた。自分にその義務はないのかもしれないが、損失分を回収しない限り愛田創太はいつまでも自分にアクセスしてくるはずだ。なんにせよ早めに終わらせてしまいたい。金についてはもう考えたくない。今回のオファーは一風変わっている。通常は日本か中国のどちらかで密会することがほとんどだが、今回は仕事を兼ねてパリ観光する男性のお供をすることになっていた。こうして、高橋塔子と春日晴臣は偶然にも、時を同じくしてパリへ旅立つことになった。
 高橋塔子と成金男性は、シャルルドゴール国際空港のロビーで落ち合うことになっている。彼女はここ二日ほど食事らしい食事をしておらず、機内食も食べなかった。鈍い痛みのような空腹を覚えるが、それに反抗するように何も口に入れずにいた。ベンチに腰掛け、空港をうろつく人々を眺めながら、この世にはゴミのような人間しかいないと胸中でつぶやいている。電話が鳴った。中国人男性は連れもなく一人だった。若い頃に日本に遊学していたことがあるそうで、十分コミュニケーションをとれるレベルの日本語を話した。その成金男性、チョウ・ギレンは中国に工場を所有する事業家だった。母方のけいるいが中国共産党で出世しており、その人物からの情報と口利きによって資産を効率的に運用している。直近ではアフリカ事業向けファンドに投資しているが、親類の話によれば、必要に応じて政府が資金の補強をする方針とのことで、かなり手堅い案件と言えた。そのファンドによって近々、ドンゴ・ディオンムが住む町に紳士靴の組立工場が設置される予定となっている。
 春日晴臣が向かっているのもまさにその土地である。高橋塔子のいるパリでのトランジットを数時間で終えた春日晴臣は、長旅の疲れから機内で熟睡し、気がつけばアフリカに到着していた。国連職員に指定された待ち合わせ場所のコーヒーショップへと向かい、かべぎわの席に陣取ってエスプレッソを飲みながらiPhoneでポルノサイトを見て時間をつぶす。疲労がたまると彼の性欲は高まるのだった。
 一方の高橋塔子は成金男性相手に体を開いている。滞在先であるシャンゼリゼ通りの四つ星ホテルで早速チョウ・ギレンに体を求められたからだ。高橋塔子は行為の間、ずっとチョウ・ギレンの様子を観察していた。額から落ちる汗。つながったまゆ。荒い鼻息。私の上にいるこの男は一体何をしているのだろう?
「Dr. Kasuga」
 名前を呼ばれた春日晴臣はiPhoneのディスプレイを暗転させ、悠然とイヤフォンを外す。国連組織の調査団は、アメリカ、イギリス、フランス、インド、デンマーク、日本から招集されていた。アメリカとフランスからは各二名が来ている。合計八名の有識者の全員がそろった時には、待ち合わせ時間から三十分が過ぎていた。頭脳レベルを図る尺度の一つであるところのIQで比較すると、今回の八人は一人を除き、赤ちゃん工場の元工場主ドンゴ・ディオンムとはうんでいの差がある。デンマークから参加したトマス・フランクリンのみIQ200を超えているが、残りは100~140で、並~上の下といったレベルである。もしも彼らがドンゴ・ディオンムと同様の生育環境にあったならば、早々に今生から退場していたか、あるいは生き残っていても、ドンゴ・ディオンムほどの所得や生活は望むべくもなかっただろう。そんな彼ら調査団が実態調査するのは「赤ちゃん工場」についてだ。これについて、国連組織は重大な人権侵害があるとみているが、ドンゴ・ディオンムがそれを聞いたなら鼻で笑うに違いない。哲学者や作家たちが思いを巡らせた問いや苦悩の多くを独自に考え尽くしている彼には、なぜそれほどに人間を特別であるとみるのか、という持論がある。他の種に対しては増やし減らし時に改造しと好き勝手やっているにもかかわらず、自分たち人間に対してのみその傍若無人さが発揮されない。では、「自分たち」とはなんだ? 人間というカテゴリで絞るなら、例えば人種は関係ないはずだろう。余裕があれば俺を含めた黒人も「自分たち」のはんちゅうに入れてもらえるというものだ。しかし、余裕がなくなれば「自分たち」の範囲はどんどん狭まっていき、自分の人種、自分の国、自分の家族、自分、という具合に限定されるのではないか? 普段からせっせとそういったカテゴライズをしておくのは、状況に応じて「自分たち」以外を防壁にして切り捨てるためなのだろう。人間だけを特別視するということはつまりそのような特権化、ふるい分けにつながっていくのではないか。それが大多数の人間の性向ということなのであれば、俺はその究極をいく。自分かそれ以外。人間だろうが動物だろうが植物だろうがなんだろうが関係ない。自分かそれ以外。俺はどこまでも自分自身を特別視する。そしてその特別な遺伝子をこの世に大量に送り出す。これは、耳触りのいいスローガンで、その実どこまでも切り捨てに向かう概念に対しての闘争でもあるのだ。おまけに誰がどう言おうが、俺がこのように考え、このように行動してこなければ生まれなかった命がある。その命がどのような顛末を迎えるのかは知らないが、彼または彼女があなた方の「自分たち」の中に入れてもらえなくて結構だ。どれだけ差別されようがしいたげられようが、乗り越えてみせる者がいるかもしれない。とても偉大なことを成し遂げることもあるかもしれない。彼または彼女の代ではなくとも、その子供が、その孫が。俺はいくらでも送り出す。
 実際、ドンゴ・ディオンムから数えて9代後の子孫、やまミシェルがばくだいな金を生むことになるのだが、この時は当然誰もそのことを知らない。まもなく春日晴臣ら調査団を乗せたジープが赤ちゃん工場の一つに到着するが、残念ながら鼻のきく工場主らは既に手仕舞いを終え、ほとぼりが冷めるまでやり過ごす腹を決めている。最も抜け目のない工場主であったドンゴ・ディオンムに至っては既に清算の最終段階にある。国連機関の調査は、散々な結果になりそうである。

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 ドンゴ・ディオンムの息子、トニー・セイジはパリの外れのクリニャンクールでこの日も非正規品のキティちゃんを販売している。その前を通りかかったチョウ・ギレンは、店に並ぶぬいぐるみやTシャツ、毛布などを指差して、「あれ、私のところで作ってるものね」と高橋塔子の気をひこうとする。整形手術を行う前から十分に美女で通っていた高橋塔子を男性は放っておけない。ある者は単に美しい女性と交わりたいために、ある者は彼女の美しさを利用するために、高橋塔子に近付く。当然のことながら、美は金にもなる。
 調査団の紅一点、カレン・カーソンも相当な美人である。実は、彼女のようぼうレベルは高橋塔子と全く同じである。カレン・カーソンは美しさを直接金に換えているわけではないが、それが今の立場を得るのに寄与したところも少なくはない。車での移動中、カレン・カーソンは自分の太ももの辺りに注がれる春日晴臣の視線に気づいていた。不快ではあるものの、いちいち気にしていられない。彼女は自分の美しさに、そしてそれに反応する人々の行動に慣れきっているため、他人の視線を意識の外におく術を心得ている。アフリカで陸路に入ってから、カレン・カーソンはまどろむふりをしてイヤフォンをつけ、COLDPLAYの「PARADISE」をリピートして聴き続けた。
 現地ガイドによって、調査団はドンゴ・ディオンムが運営していた赤ちゃん工場だった場所に最初に案内された。薄い合板でできた貧弱な建物は、長年捨て置かれたはいきょにしか見えない。採光に対しての配慮がなく、中は暗い。南側の壁には窓枠があるが、その多くはガラスの代わりに板が打ち付けられている。おおいのないわずかな窓からす太陽の光が線になっている。布切れが一枚、うな垂れた人のように床の中央に丸まっている。そこにはドンゴ・ディオンムのソファやその他の家具が置かれていた跡もわずかに残っていたのだが、元あった備品はガラス一枚に至るまで売り払われた後である。
 カレン・カーソンは事前に得た情報から、この建物内で行われたはずの蛮行を思い浮かべようとした。かどわかされた妊婦、あるいはこの場で受胎することになる女性、乳児達の泣く声。建物に間仕切りはあったのだろうか。それともまるで豚小屋のように、皆一緒くたに詰め込まれていたのだろうか。目の前のがらんどうから読み取れることはほぼ皆無である。カレン・カーソンはそれでも、ここにいたはずの母子達の姿を想像しようとした。暗い室内で僅かな光を受け止めて光る目。いずれ奪い取られる子を抱くとしもいかぬ少女たち。かわいそうに、と彼女は思う。きっと、誰もこんなことは望んでいないはずだ。貧しくて、他人の思いを想像する余裕もなくて、人間として最低限守られるべきものすら守れなくなっている。私ができることはとても限られたことだけど、やれることはきちんとやらなくてはならない。だが目の前の光景は予期に反してを与えるものではなく、カレン・カーソンの感情は長続きしない。いつの間にか彼女は夫のことを考えている。彼女は夫には知らせずにピルをみ、妊娠を避けていた。少し前までは今後のキャリアのことを言い訳にし、自分でもそう信じてきたが、そうではないことに既に彼女は気づいていた。私はあの男と別れなければならない、そうでなければ私は自分の人生を生きたことにならない、たとえ人からうらやまれる多くのものが手に入ったとしても、あの男と一緒にいては駄目だ、別れなくては、だから今は――「赤ちゃんたちが、」と国連職員の話す声で、カレン・カーソンは我に返った。そして再び、かわいそうに、から始め今度は自分の現況に惑わされることなく、じゅうりんされた少女たちへの深い同情を覚えることができた。
 客人たちが建物のあちこちをむなしく見回る横で、現地ガイドはあくびをしている。そもそもこの工場がもう使われていないことを知っていながら、現地ガイドはここに調査団を案内したのだった。赤ちゃん工場として稼働中の場所も知っているが、教えるつもりはまったくなかった。案内の対価として提示された金が、現地の人々から恨みを買うのに見合う量ではなかったからだ。ドンゴ・ディオンムの工場ほど穏便なところは他にはなく、望まぬ妊娠をした女性を堕胎してやるとだまして監禁したり、女性をした上で無理矢理妊娠させたりするところがほとんどなのだ。調査が入ったら、警察になるに決まっている。
 報酬相応の仕事は終わったので帰ると主張する現地ガイドに、国連職員は今も稼働中の工場を教えてくれと食い下がった。現地ガイドはとぼけ続けるが、もし聞いた相手がドンゴ・ディオンムであったなら、「確かに稼働中の工場はある」と答えたかもしれない。ほら、御覧なさい、この地球そのものがそうじゃないですか。いろいろと問題山積であるとお前ら自身が決めつける世界にな赤子を送り出し続け、そう、お前らが探している赤ちゃん工場は、まさに今お前らを含めたこの地球の、そこにはびこるお前ら自身を従業員として、今も元気に稼働中じゃないですか。と、そんな風にドンゴ・ディオンムなら言うかもしれないが、国連職員が知りたいのはそういうことではない。探しているのは、この町にあるといううわさの、生まれた赤子の一部が臓器売買や迷信的儀式の犠牲となっている可能性がある工場のことであって、地球そのもののことではない。ドンゴ・ディオンムは、そもそもくつが過ぎるのだ。

 ドンゴ・ディオンムの息子、トニー・セイジの露店では、高橋塔子がチョウ・ギレンに促されるままにキティちゃんグッズを手に取っている。チョウ・ギレンの縫製工場がパリに卸し、トニー・セイジの店がその一部を仕入れた品である。チョウ・ギレンは期間限定の愛人に、周囲の露店に差を付けている上出来のグッズを買い与えようとする。ありがとうございます、と言う高橋塔子は、内心ありがたがっているわけではない。そんな高橋塔子をトニー・セイジが見詰めている。トニー・セイジが東洋人に興味を持つのはこれが初めてだが、たいそう美しいと感嘆している。耳にかけた細く長い髪が、頭を傾けるたびさらさらと流れる。太陽の光が黒くつやのある髪に溜まってまぶしいくらいだ。一度だけ高橋塔子がちらりとトニー・セイジに視線を向けた。目が合うと、トニー・セイジは思わず彼女のひとみを凝視してしまう。
 トニー・セイジが高橋塔子にれるのは好みの問題だが、高橋塔子の容貌レベルが高いのは事実である。加えて、小さなとげのようにいつまでも脳裏に残る視線、どこか不満そうな口元。芸能界を長年渡り歩いてきた愛田創太の眼力をなめてはいけない。時流に乗り運も向いていれば、ドンゴ・ディオンムがこれまで赤子を売って稼いできたのと同じだけの金を、あっという間に稼いだ可能性もあった。しかしながら、グジャラート指数が異常に高い先進国においては、何かを金に換えるための力学は複雑なバランスの上に成り立っている。だからこそ、機を見ることにけた愛田創太は流れがないと判断し、あっさり方向転換したのである。
 機を見ることにかけては、ドンゴ・ディオンムも負けてはいない。他の工場主に先駆けて、いち早く赤ちゃん工場を手仕舞いすべく全方位で動いていた。ドンゴ・ディオンムはジープに乗り、不動産ブローカーとの待ち合わせ場所に向かっている。行き先は酒とコーヒーに加えて簡単な食べ物を出す店で、常連からは「つめの先」と呼ばれているが、正式な店名はない。すなぼこりを立ててジープを停め、ウェスタンドアを開いて店内に入ると、相手は既に到着していた。これが2回目の商談で、撤退済の赤ちゃん工場の敷地を含めた所有地を、中国の政府系ファンドに売却しようとしている。交渉一発目の提示額からして内心満足のいくものだったが、もう一押しいけそうだと感じたドンゴ・ディオンムは、一週間おいたこの日に改めて商談の機会を設けたのだった。結果、当初提示額の1・7倍の金額に吊り上げることに成功し、現地通貨ではなくドルでの支払いを認めさせた。なかなかの交渉力である。
 一方で、人身売買のそうくつを突き止めようとしている国連職員の交渉力は、いまひとつと言わざるを得ない。調査団の博士たちの目の前で、現地ガイドに良いようにあしらわれている。既払い分は一軒当たりの金額であるから、他の工場に案内して欲しければその軒数分を払えと要求されている。お坊ちゃん育ちの国連職員は、買い物で値切ったことが一度もない。人々の活動の大部分が金の奪い合いであることが、彼には理解できていないようである。現地ガイドやドンゴ・ディオンムの行動はまことに理にかなったもので、少ない労力でより多くの金を得ようとしているのだ。交渉は現地ガイド側の圧勝だった。国連職員は現地ガイドに言われるまま金を渡したのだが、最初にった金はガイドの知るすべての工場への案内を含む対価であり違うと言うのなら返還を要求する、等と居丈高に振舞っていれば、話は違っていたに違いない。少なくとも追加で支払う前に、今後はすべての工場を案内することが条件で全額を後払いとする、といった程度までは持っていけたはずだ。だが先進国に住む国連職員にとって、現地ガイドの要求する金の量はほんのはしたがねに過ぎなかった。交渉で失う時間や受けるストレスとてんびんにかけてみれば、さっさと渡した方が手っ取り早いと即断できる金額でしかないと、意にも介しなかった。しかしこれも金の奪い合いが無駄である、ということではない。金の奪い合いで勝っている側の国民に特権があるというだけのことだ。国連職員の態度は、その特権に胡坐あぐらをかいた怠慢であると非難することもできる。しかしコストパフォーマンスには見合った行動なのだし、国連職員には国連職員なりの裁量がある。むしろ問題視すべきは、追加の金を渡したにもかかわらず、またも現地ガイドに良いようにあしらわれていることだろう。
 現地ガイドは確かに約束を果たし、知っている限りの工場を案内した。だが調査団が訪れるとそれらはすべてもぬけの殻だった。ガイドが現地のネットワークを通じ、その都度逃げろと警告したためだ。調査団の一人、トマス・フランクリンはその動きに気づいていた。ガイドの動きを封じることができず、またこちら側に彼の不正を追及できる情報も手段もない以上、どれだけやっても無駄骨にしかならないとトマス・フランクリンは理解した。アプローチを変えるべきだ。このままだと大学にレポート一つ上げられない。最近交替してきた学部長は、いかに公益性の高い仕事であったとしても常に実質的な成果を重視する。行ってみたもののもぬけの殻でした、というわけにはいかない。もっとも、トマス・フランクリン個人は、今回の旅で非常に有意義な時間を過ごしていた。将来的に彼のライフワークにも関わってくる「グジャラート指数」についての着想を得たからだ。だがそれはあくまでも個人的な研究課題であって、今回の調査団の目的にかなった成果は出ていない。苦境を打開すべく、トマス・フランクリンは国連職員に断りを入れてから、現地ガイドにこう頼んだ。赤ちゃん工場について情報を持っている人を紹介してくれないか、どのような立場の人なのかはせんさくしないし問題にしない、。勘のいい現地ガイドは、トマス・フランクリンの意図を正しく理解する。報酬に折り合いがつくと、現地ガイドはすぐに携帯電話を取り出して、ドンゴ・ディオンムを呼び出した。

 ドンゴ・ディオンムはジープを運転しながら報酬の交渉をし、この仕事を引き受けた。待ち合わせ場所に「爪の先」を指定し、もと来た道を引き返す。「爪の先」の店主はドンゴ・ディオンムが再び店に入ってきても特に何も言わなかった。いつものでいいかと聞き、うなずくドンゴ・ディオンムにバーボンの水割りを黙って差し出す。それから三十分足らずで、現地ガイドに率いられた調査団がぞろぞろと店に入ってくる。国連職員を先頭に、トマス・フランクリン、カレン・カーソン、ケーシャブ・ズビン・カリ、春日晴臣、その他と続いた。ドンゴ・ディオンムは現地ガイドに目配せをし、テーブル席に移った。彼を取り囲んで各人が座る。店主が注文をとりに来る。ここ三ヶ月で多忙のストレスから3kg体重の増したカレン・カーソンがダイエットコーラを所望する。全員に飲み物が行きわたったところで、口火を切ったのはトマス・フランクリンだった。(続きは本でお楽み下さい)

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