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暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―

彩瀬まる/著

539円(税込)

発売日:2019/02/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

私はこのとき確かに自分の死を思った――大震災を生き抜いた著者の渾身ルポルタージュ。

遺書は書けなかった。いやだった。どうしても、どうしても――。あの日福島県に向かう常磐線で、作家は東日本大震災に遭う。攪拌(かくはん)されるような暴力的な揺れ、みるみる迫る黒い津波。自分の死を確かに意識したその夜、町は跡形もなく消え、恐ろしいほど繊細な星空だけが残っていた。地元の人々と支え合った極限の5日間、後に再訪した現地で見て感じたすべてを映し出す、渾身のルポルタージュ。

目次
第一章 川と星
第二章 すぐそこにある彼方の町
第三章 再会
終わりに
文庫あとがき
解説 石井光太

書誌情報

読み仮名 クライヨルホシヲカゾエテサンテンイチイチヒサイテツドウカラノダッシュツ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 田中和義(新潮社写真部)/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-120052-1
C-CODE 0195
整理番号 あ-83-2
ジャンル ノンフィクション
定価 539円
電子書籍 価格 473円
電子書籍 配信開始日 2019/08/16

書評

町だけでなく、人間の心までをも悪夢へと変えた日

石井光太

 東日本大震災が引き起こした津波と原発事故は、それまで日本にあった平穏な現実をひっくり返した。あの日を境に、悪夢が日常となり、日常だったものが悪夢になったのだ。
 悪夢とは瓦礫の山と化した被災地の光景を意味するだけではない。押し寄せた黒い波は人間の内面にまで押し寄せ、ヘドロを浴びせかけ、破壊してしまったのだ――。
 著者の彩瀬まるが被災したのは、福島県相馬郡にある新地駅でのことだった。常磐線の電車に乗って一人旅を楽しんでいたところ、突如として激震が襲いかかってきた。周辺の家や塀は倒壊。彩瀬たち乗客は、押し寄せてきた津波から逃れるようにして内陸の高台へと走った。もし海が見えない場所にいたら確実に飲まれていただろう。
 一命を取りとめた彩瀬には、次々と震災による災難が降りかかってくる。激しい余震に見舞われ、翌日には福島第一原発一号機が爆音とともに白煙を上げる。テレビや防災行政無線は再び津波が到来するとか、放射能が広がっているという誤報をくり返し響かせるが、車もガソリンもない状況では避難することさえできない。
 ともすれば彩瀬はたった一人で絶望に打ちひしがれそうになった。だが、彼女を支えたのは地元の被災者たちだった。みんなが彼女を案じ、少ない食べ物を分けてくれたり、車で運んでくれたり、家に泊まらせてくれたりしたのだ。
 被災した新地町は、宮城県境の小さな田舎町だ。親密な人間関係から生まれた助け合いの精神や人情が、彩瀬を支えることになったといえる。そして、彼女は放射能が迫る中、地元の人に助けられながら福島を脱出することに成功する。
 あの日から数カ月が経ち、福島は落ち着きを取りもどしはじめた。彩瀬は六月と十一月の二度にわたってそんな福島を訪れる。彼女なりに福島での出来事をふり返ろうとしたのだ。だが、そこで感じたのは、三・一一の時とは違う現実だった。
 六月にボランティアで赴いた時、福島はすでに放射能に汚染されつつあった。依頼主の男性からボランティアのお礼に玉ねぎをもらったものの、彼女はついそれが放射能に毒されているかもしれないと不安に陥る。震災の直後にあれほど親切にしてもらったのに、疑ってしまうのだ。彩瀬は自分を責めるが、放射能の恐ろしさを拭い去ることができない。
 十一月に訪れた際は、地元の人々の混乱を見せつけられる。福島の人々が宮城県へ行っただけで車に「汚染車」と落書きされたとか、県外の駐車場に車を停めただけで「毒をまき散らすな」と罵倒されたという話を頻繁に耳にする。
 また、同じ福島県民の中でも醜い争いが起きつつあった。東京電力が特定の地域の住民だけを優遇したために、他の地域住民との間にいさかいが起きた。同じ県の中で町と町とが分裂しかけたのだ。あるいは、避難者たちが宿に頼んで偽の領収書をつくってもらい、多額のお金を東電からふんだくろうとしている現実にも直面する。
 彩瀬が三・一一で体験したのは、地元の人たちの温かい人情のはずだった。住民はやさしく、彩瀬のような部外者が困っていれば、津波や放射能が襲いかかってくる中でも手を差し伸べてくれた。だが、津波と放射能はそうした町の良心を破壊した。そこに遺されたのは、差別や欲望がむき出しになった人々の姿だったのだ。
 本書は、被災地の物理的な風景の変化だけでなく、そうした地元住民たちの関係や精神の崩壊を一つ一つ丁寧に描いていく。小説家ならではの感覚で人間の内面を見透かす。それは自ずと福島の日常が悪夢に転換した記録となっている。
 福島の変貌を全身で感じた彼女は、良くも悪くもこれから先それと無関係ではいられないはずだ。初の単行本である本書は、福島の悪夢のはじまりを描いたルポであると同時に、作家彩瀬まるのスタート地点なのである。

(いしい・こうた ノンフィクション作家)
波 2012年3月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

携帯電話で遺書を書く

彩瀬まる

――『暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―』の著者、彩瀬まるさんは現在二六歳。二〇一〇年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞してデビューした新進気鋭の小説家です。関東在住の彼女は昨年の三月一一日、ひとりで東北を旅行中に東日本大震災に遭遇しました。本書は被災時の体験記と、その後福島を二度にわたって訪れた紀行文によって成っています。
 あの日は二泊三日の旅行の中日で、仙台からいわき市に向かうはずでした。仙台駅からJR常磐線に乗り、福島県相馬郡の新地駅に停車しているとき、地震に遭いました。車両はその後、津波に襲われましたが、一緒に乗っていた人は避難していて全員助かったと後で聞きました。

――津波を背中に見ながら近くの中学校に避難し、その後親切な地元の方のご自宅に泊めてもらった著者。次の日、南相馬市にいた彼女を福島第一原発の事故が襲います。地震と事故の混乱で、五日ものあいだ被災地をさまよいました。
 五日間のうち、死を覚悟した瞬間が二回あります。一度目は新地駅から避難していたとき。一キロ後方の地面が黒くせり上がるように見え、よく見たらそれが津波でした。「津波を実際に見たら手遅れ」だと思っていたので、国道6号線を必死に走り、高台へたどりつきました。二度目は三月一四日、避難所で3号機の水素爆発の報を知ったときです。1号機は地震の次の日に爆発していました。当時は放射能についてほとんど知りませんでしたから、これ以上爆発が進めば今いる場所も危ないんじゃないか、高い放射線に被曝するんじゃないかと悪い想像が止まりませんでした。家族に遺書を書こうと思い、紙のメモだと万一のときに吹き飛ばされてしまうかもと考え、携帯電話で打とうとしたんです。なのにどうしても手が動かず、結局書けませんでした。

――そして次の日、一緒に避難していた親切なご家族と別れ、帰路につきます。
 避難中はずっとおなかをすかせていました。私たちのいた避難所では毎食炊き出しのおにぎりが配られましたが、一日二日と経つうちにそれがだんだん小さくなっていくんです。最初の日はコンビニのおにぎりぐらいの大きさだったのが、私が避難所を発った三月一五日にはピンポン玉大になっていた。なんとか福島市に出ても、ファーストフードもファミリーレストランも営業していません。店先のポスターを見ては「おいしそうな写真をこんなときに見せるなんて!」と八つ当たりしていました(笑)。次の日、自宅へ帰ってそのまま倒れました。恐怖と飢えで四キロ痩せていました。

――そんなに辛い思いをした土地を、六月と一一月の二度にわたって再訪しています。
 なにより、助けてくれた方のところにお礼に行くべきだと思ったんです。先方は「もう忘れたいでしょう、忘れていいよ」とおっしゃってくださいましたが、知らんぷりはできないと思った。そして二度目の訪問は、津波から一緒に逃げた女性と連絡が取れたのがきっかけでした。『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』(小社刊)への私の寄稿文をたまたま目にして、編集部に手紙をくださったんです。まるで悪い夢の中のような、現実感のない場所で手を取り合って生きのびた方からお手紙をいただき、「あれは本当の出来事だった」とあらためて実感しました。震災当日は携帯電話も繋がりませんでしたから、番号の交換なんて思いつきもしなかったんです。

――今後、福島とはどのように関わっていくおつもりですか。
 私にとって福島は、お世話になった人たちがたくさん暮らしている特別な場所になりました。これからも折にふれて行くつもりですが、それは遠くに住んでいる大事な人たちと交流を持つためで、ノンフィクションとして被災地を書くことは本書で一区切りにするつもりです。これからは本業の小説でも本が出せるようにがんばります。先輩作家さんに混じって短編を書かせてもらった、チャリティ小説集『文芸あねもね』が新潮文庫から出たばかりです。そちらもぜひ読んでいただけるとうれしいです。

(あやせ・まる 作家)
波 2012年3月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

彩瀬まる

アヤセ・マル

1986(昭和61)年、千葉県生れ。上智大学文学部卒。2010(平成22)年「花に眩む」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。2017年に『くちなし』で、2021(令和3)年に『新しい星』で直木賞候補となる。著書に『あのひとは蜘蛛を潰せない』『桜の下で待っている』『やがて海へと届く』『朝が来るまでそばにいる』『草原のサーカス』『かんむり』など。2023年には『花に埋もれる』所収の短編「ふるえる」がイギリスの老舗文芸誌「GRANTA」に掲載、『森があふれる』の英語版が出版されるなど海外でも高い評価を受ける。小説の他に東日本大震災被災記『暗い夜、星を数えて』がある。

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