宮部さんはかつて法律事務所にお勤めでしたから、この大作法廷ミステリーに、いわば運命的なものを感じます。
宮部 実は私、法廷ミステリーは初めてなんです。ただ、中学校三年生の生徒たちが課外活動という名目をもらって、許可を得て学校内裁判をやるという設定なので、我が国で行われている実際の裁判とは全く違いますし、陪審員制ではあるのですが、陪審員も十二人でなく九人しかいないんですね。とても変則的な形になっています。でも、海外の法廷ミステリーによく出て来るシーンを自分が書いているということは、とても楽しかったです。
この大胆な設定、何かに触発されたということは?
宮部 一九九〇年に神戸の高校で、遅刻しそうになって走って登校してきた女子生徒を、登校指導していた先生が門扉を閉めたことで挟んでしまい、その生徒が亡くなるという事件がありました。その後、この事件をどう受け止めるかというテーマで、校内で模擬裁判をやった学校があった。それがすごく印象に残っていたんです。
警察捜査というような次元での事件解決と、生徒たちにとっての解決では、当然意味合いが大きく違いますよね。
宮部 実社会だったらこのぐらいのことでは起訴されない。関係者が事情を聞かれることはあっても、物証がないし、あるのは風聞だけ。その風聞や根拠のあいまいな告発状だけで、関係者の生徒が殺人者だと言われている。そこを何とか解決しようとするわけで、物的証拠がない状態でどうやってこの裁判を進行するのかという点に一番苦労しました。筋書き上の苦労というよりは、登場人物の気持ちの整理ですね、心のよりどころをどこに持っていかせるか。特に主要登場人物の一人で、この作品をずっと引っ張っていく女子生徒が、最初は弁護側にいて、事情があって自分が検事にならなきゃならなくなる。そのときの彼女の気持ちの整理のつけ方が難しかったです。段階的に、ここまでは割り切って引き受けよう、ここではもっと踏み込まなきゃならないとか……。最後までいろいろ書き直すことになりました。



学校という空間は、聖域という側面ばかりが強調されがちですが、実社会と相似形になっている点に気づかされます。
宮部 ちょうどこの作品の最後の仕上げをしているときに、滋賀県の大津の中学校で生徒さんが自殺して、最終的に警察が捜査に踏み切ることになった。報道を見ていて、学校に司法警察が入るというのは大変なことなんだなということを改めて実感しました。この作品の中では警察はあまり役に立たないんですね。私が何とかしましょうと、個人的に介入した女性刑事も大したことが出来ずに、むしろ事件を混乱させる要因の一つになっていたりする。ただ大津の事件は、彼女に「私たち警察官は、学校内の活動には軽々に介入できない。警察が学校の活動に介入するのは由々しい事態なのだ」と言わせるきっかけにはなったんです。それぐらい学校というのは本来自律的なものであるはずですよね。
 でも、大津の中学校の、特に同級生たちは、大人たちよりはるかにしっかりしていましたね。亡くなった同級生のために至らなかったところを悔やんだり、事実をはっきりさせてほしいと願う言葉が、アンケートや取材で出てきていました。この作品でも、裁判に関わる中学生たちって先生よりよほどしっかりしているんですが、大津の学校の事件で勇気を持って発言した生徒さんたちのおかげで、私の書いたフィクションが一〇〇パーセントの作り物にはならなかった。頭が下がるような気持ちでした。



生徒たちが教師を向こうに回して、障害をはねのけて法廷を形成していこうじゃないかという第II部「決意」、その法廷要員のリクルート話がすごく面白いです。
宮部 作中でも、さっきの女子生徒の母親に「七人の侍」と言わせているんですけれども、実際、「七人の侍」みたいにしたかった。あるいは「大脱走」。トンネルを掘る掘り手を探し、書類を偽造する人を探し、また土の処理の仕方を考えるとか、いろいろ手分けして最終目的に向かってゆく。ただ、第I部で事件がよくない方へよくない方へ転がっていって暗澹とした気分が広がる後を受けて、生徒たちが立ち上がる第II部、ここはうまく転がしていかないと法廷までつながりませんから、やはり勝負どころだなと思っていました。
シチュエーションを読者に提示した段階ですでにワクワク、宮部さんはそういう作家。法廷のキーパースンの劇的な登場が局面を変えてゆくところなども実に読ませます。
宮部 ちょっと匂わせておいたんです。ミステリー好きな読者なら、すぐに、ああこいつが臭いなと感づくでしょうし、犯人が誰だかわかると思うんです、多分。ただ、なぜこの人なのかということだけは、やはり法廷でしかわからない。最近、書評などで指摘されるんですけれども、現代物でも時代物でも犯人隠してないよねって。実際、隠してないんです(笑)。周りがこの人が犯人だと気づいていく経過を書くことのほうが自分では楽しくなっている……。



これまで多くの少年少女とその家族を描いてこられた宮部さんは、アンバランスな家族を描く天才で……。
宮部 十三歳か十四歳くらいのときは、どんな子でもうちの家庭は変だと思っていますよね(笑)。大人になるとあの程度の変さはみんな普通だと思うようになるけれど、自分ほど変な家庭で苦労している子供はいないと固く信じ込んでいる。その感じを是非出したかった。それから『小暮写眞館』でも使ったテーマですが、家族の中である子供がスポットライトを浴びてしまうと、その皺寄せが他の兄弟にいく。発達障害のある子がいたり、早くに亡くなった子供がいるといった場合、ずっとその影を残りの兄弟姉妹が引きずっていかなければならない。アメリカのメンタルな医療機関には、そうした兄弟関係の心理学的アンバランスをフォローしてゆく体制があるそうです。私は作中で、ある家族についてこのテーマを使いました。家庭って選べない。親兄弟を選んで生まれてくることは誰にも出来ませんよね。自分がどうすることもできないことの最たるものだと思うんです。一方、血縁はないが固い絆で結ばれた家族、これもよく書くんですが、今回も登場させました。家族は素晴らしいものだけれど、血縁だけが素晴らしいものじゃないという意味で。
この作品の人物像、家族像は、そうした宮部ワールドの流れを発展させたものということになりますね。
宮部 一番好きなのは、少年少女と大人を組み合わせて書くことですね。そこに一人、老人が入ってきたり、ちっちゃい子が入ってきたりする、そのパターンがすごく好きなんです。今回は多くの登場人物の中で、ああ、わかるわかる、私の担任もこういう先生だったとか、同級生にこういう子いたなとか、こいつに一番共感できる、というふうに読んでいただければ嬉しいですね。
宮部さんは『龍は眠る』以外、一人称を用いない作家ですが、あえて言えば御自分を投影した登場人物って誰でしょう。
宮部 極力自分は消えていたいというタイプなんですが、部分的に、ああ、こいつは私だと思ったのは茂木悦男です。こいつの思い込みの強さ、俺が俺が、みたいなところは、ああ、もうコイツ私、という感じでした(笑)。強引なところ、腹黒いところ、でもそれなりに一生懸命に正義を求めている……。そして学校が嫌いなんです、この人は。



本作の現在は一九九〇年です。宮部作品の中でも重要な『火車』や『理由』もバブル前後の日本がベースでしたね。
宮部 事件がまず一九九〇年のクリスマスに起こります。連載のスタート時点が二〇〇二年。その時点で既に大人になっている人たちが、自分たちの中学時代を振り返るという形にしようというのが当初からの構想でした。「そういえばバブルの真っただ中って私書いたことなかったね」なんて言いながら書き始めたんですよね。バブルを背景にポジションを決めてみたら、例えば土地狂乱ブームが、あることをする人物の動機づけとしてうまく時代にはまった。また、中学生たちもその空気を十分に吸っているからこそ、物語を推進するいろんな要素が立ち上がってきました。
逆に今現在では成立しえない点もありますね。
宮部 ちょうど今、週刊誌で連載している『悲嘆の門』という小説で、学校裏サイトが絡む話を書いているんです。インターネットがこれだけ普及し、ツイッターあり、動画投稿サイトあり、学校裏サイトあり、学校の公式サイトもある。そんな状況では、この学校内裁判はまず実現できないでしょう。やはり九〇年にしてよかったんだなと思います。



宮部さんは、人間の悪意について繰り返しテーマにされてきました。今回は、十四歳なら誰しも持っている通過儀礼のようなマイナス感情が肥大してゆくというふうに、悪意がより普遍的なものになっている印象です。
宮部 私が怖がりだっていうことが原点です。もちろん災害も怖いし、お化けも怖い、でもやはり人間の悪意がいちばん怖い。その怖さは災害とかお化けと違って自分も持っているものなので、なおさら身に引きつけて怖い。もし自分が中学二年生のときにこういう状況に置かれたら、同じことをやったかもしれないという怖さがありました。怖いからこそそれを受けとめて、十四歳の子たちを、ある期待と希望を込めて、こうだったらいいなという書き方ができたのかもしれません。
全体を通じて大きな比重を持っているのが告発状ですね。これを書いた主を知っているのは読者だけ。しかも学校という環境がその特定を阻んでいる。そこに外部からある者が事件に闖入して膠着状態が弾ける。この展開はお見事でした。
宮部 外部の悪意のある大人が余計なちょっかいを出すことで事件が拡大するのですが、その介入がなければあの告発状の件はちゃんと解決できたというふうに書いておく必要がありました。あの校長先生だったら、時間はかかったかもしれないけれども何とかできただろう。ところが横から邪魔が入って、もうお手上げになってしまう。話の展開としては最初から考えていたんですけれども、すごくアクロバティックだなと自分でも思いました(笑)。



ソロモン王というのは、神託を受けて人を裁くことを許された人物。それを「偽証」で受けたタイトルですが。
宮部 私の場合、いつもアイデアと一緒にタイトルが出てくる。これが同時に出てこない作品って、大抵ポシャるんです。今回は幸いにも全くブレなかった。敢えて説明してしまうなら、そうですね、最も知恵あるものが嘘をついている。最も権力を持つものが嘘をついている。この場合は学校組織とか、社会がと言ってもいいかもしれません。あるいは、最も正しいことをしようとするものが嘘をついている、ということでしょう。
三巻分のエピグラフ、これはまだ読者の眼には触れていませんけれども、このエピグラフにもストーリーを滲ませておいでのようで。
宮部 第I部ではフィリップ・K・ディックの短編「まだ人間じゃない」から採りました。大人の都合で子供が振り回される社会を書いた話。タイトル自体、衝撃的なんですけれども。ケストナーの『飛ぶ教室』も象徴的な作品ですからどこかで使いたいなと思って相応しい一節を探していたら、誂えたようなフレーズが見つかりました。第III部は『悪意の森』という割と新しい作品から。どんでん返しの効いた、非常によくできた心理サスペンスで、やはり子供たちが重要な登場人物なんですね。ある絆で結ばれている人たちの話で、しかも亡くなった友達が重要な要素になっている。忘れられないひと夏について触れた一節があって、あ、これだと。


ソロモンの偽証―第Ⅰ部 事件―上巻

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宮部みゆき
ミヤベ・ミユキ

1960年、東京生れ。1987年「我らが隣人の犯罪」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。1989年『魔術はささやく』で日本推理サスペンス大賞を受賞。1992年『龍は眠る』で日本推理作家協会賞、『本所深川ふしぎ草紙』で吉川英治文学新人賞を受賞。1993年『火車』で山本周五郎賞を受賞。1997年『蒲生邸事件』で日本SF大賞を受賞。1999年には『理由』で直木賞を受賞。2001年『模倣犯』で毎日出版文化賞特別賞、2002年には司馬遼太郎賞、芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)を受賞。2007年『名もなき毒』で吉川英治文学賞を受賞した。他の作品に『ぼんくら』『楽園』『英雄の書』『小暮写眞館』『お文の影』『桜ほうさら』『泣き童子』『ペテロの葬列』『荒神』などがある。

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ソロモンの偽証 第I部 事件

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宮部みゆき畢生の大作『ソロモンの偽証』の発売を記念し、オリジナルTシャツを作成! シンボルマークをさり気なくあしらったデザインで、宮部先生も“かっこいい!”と絶賛!

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