立ち読み:新潮 2009年1月号

【特別対談】
日本語の危機とウェブ進化/水村美苗梅田望夫
(「新潮」2009年1月号より転載)

[目次]
『日本語が亡びるとき』の衝撃
「私も日本語に帰ってきた人間です」
「遅れ」を失った現代日本文学
インターネットは作家の脅威?
『ウェブ進化論』後の絶望
学習の高速道路は英語圏を走る
「すべての人々」は一億二千万人?
今、漱石は日本語で書くか
ローカルな日本語を守るパブリックな意味

『日本語が亡びるとき』の衝撃

梅田 僕は水村さんの小説の大ファンなんです。漱石の未完の遺作を書きつがれた『続明暗』は、なかなか手強かったのですが、『私小説from left to right』や『本格小説』は本当に楽しく読んでいました。今回も、初めてお会いできるということで『本格小説』を再読してきましたが、僕が住んでいるシリコンバレーも舞台になっていましたね。

水村 いまから思えば奇遇ですが、スタンフォード大学にいたときに、まさにあの辺に住んでいたんです。短期間ですが。

梅田 そうでしたか。作品に出てくる中華料理屋はどこがモデルだろう、などと思いながら、読ませていただきました。

水村 再読して下さったとは光栄の至りです。実はね、私もチャンと梅田さんの『ウェブ進化論』を読み直してきたんです。あの本はたいへん面白く、かつ勉強になりましたが、こんな風に著者にお目にかかることになろうとは、想像もしませんでした。ですからひたすら、緊張しています。なにしろ、私はまったくの機械音痴で、最近ようやく買った携帯電話も一度オフにするとそのまま忘れてしまうので、もっていても意味がない。デジカメなんかも使えない。その私が、コンピューターの専門家である梅田さんとお話するなんて、今日は、憧れのジョン・トラボルタ――あんな風にブヨブヨになる前のトラボルタですが、彼とダンスをするような気持ちで参りました(笑)。

梅田 そんな恐れ多い。私こそ、「新潮」で冒頭の三章を発表され、その後単行本化された『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房刊)を読み、実に感銘を受けました。漠然と思っていたことが、見事な分析で明晰に表現されていました。ただ、それはかなり悲観的なビジョンですね。日本語の将来に強い危機感を抱いていらっしゃると感じました。

水村 ええ、強い危機感を感じています。そして、それはアメリカで育ったのが大きいと思います。アメリカになじめず、純粋培養のような環境の中で日本の小説ばかり読んでいたわけですが、それらの小説は明治から大正、昭和初期にかけての、いわゆる日本近代文学でした。ですから、同時代の日本文学というものにはあまり触れなかった。ことにハイスクール時代はそうでした。それが、八〇年代に日本に帰ってきたら、それまで読んできた日本の小説とは似ても似つかないものがもてはやされている。そのショックの大きさが『続明暗』からの一連の作品につながったように思います。

梅田 タイムスリップしたような感じだったのでしょうか。いきなり未来にやってきたら、こんな世界だったのか、という。

水村 そうですね。でも、退化していたような印象を受けたわけですから、未来と言えるのかどうか。

梅田 でも、未来は必ずしも進歩とは限らないので。

水村 それはそう。ですから、その衝撃もあって、もう一度漱石を読みましょうという意味を込めて『続明暗』を書きました。『私小説from left to right』にも『本格小説』にも「日本近代文学」というサブタイトルがありますけど、これはもう一度そこに戻ってみませんか、というメッセージです。自分自身の作品がそこへ戻った力をもつというのではなく、みんなでもう一度そこへ戻ってみませんかという。
でも、残念ながらほとんど効果はありませんでした。数年前、なんの賞だか忘れましたが、あまたある新人賞をとった一人の若者が、「なぜこんなものが書けたと思いますか」といった質問に対し、「たぶん、何も読んでこなかったからじゃないですか」と答えていた。それを大の大人が、うん、うんと、うなずきながら聞いていた。日本では「読む」という行為こそ文学の本質であるという、もっとも基本的なことが忘れられてしまったんですね。
私はアメリカで育ったのに、わざわざ日本語を選んでしまった。文学に限らず、一般的に流通している言説という面で見ても、英語と日本語のレベルの差は、歴然としています。それなのに、なぜ自分は日本語に帰ってきてしまったのだろう、そういう後悔を引きずりながら生きることになりました。

梅田 水村さんが日本に帰ってきたのは八〇年代半ばでしたよね。それは、ちょうどプラザ合意のころですが、日本全体がバブル経済に突入していく頃なんですよね。そして多くの日本人は、その辺りの時代に戻りたいと思っています。

水村 へえっ、そうなんですか?

梅田 ええ、あの頃が一番よかったと、日本人の多くが思っている。でも、水村さんはその頃に日本に戻ってきて「こんなところに帰ってきちゃった」と思われたわけですね。

水村 ええ、愕然としました。そこから、なぜ日本語を選んでしまったのだろうか、日本語を選んでしまったことにどのような意味を与えうるのだろうかって考え始めたのです。

「私も日本語に帰ってきた人間です」

水村 いまの日本の子どもが、アメリカに連れていかれても、私のようなことにはならないですよね。かれらは、二極化しています。一方には、日本を離れても日本語の世界にどっぷりつかって暮らし続ける子どもたちがいる。ネットなどを通じてリアルタイムで日本の現実と接触し続けることができるからです。彼らは、数年のうちに、日本の牽引力に引かれて、帰国するでしょう。そしてその後は、あたかもアメリカにいなかったかのように、日本で暮らすことができると思います。

梅田 そうですね。「風景だけアメリカ」を体験したという感じで。いま、そういう人が多いですよ。

水村 そして、もう一方では、日本――さらには、日本語と切り離されてしまう子どもがいる。私がアメリカに行ったのは六〇年代ですが、いまは、当時よりはるかに、英語が世界語であり、普遍語であることが見えていますでしょう。だから、私と同じように十二歳でアメリカに渡ったとしたら、英語へと移行する子どもが増えていくのではないでしょうか。六〇年代といえば、明治に西洋に行った留学生よりはずっと近いとはいえ、日本はやはり遠い所にあった。人がそのような状況に置かれるのは、歴史のある一時期のことでしかなかったというのが、いまになって分かってきました。

梅田 それは僕も感じていることで、僕が最初にアメリカに行ったのは九一年から一年間、三十一歳のときでした。一年間アメリカを経験して、その後日本に帰ってきて二年間住みました。そして、これからどちらで暮らすのがいいのかということを夫婦二人で考えた末、やっぱり向こうに住もうってことになり、アメリカに行ったのが九四年なんです。その頃はまだインターネットは萌芽期でした。当時の感覚は、アメリカで生きていくためにはやはり英語を身につけなければいけない、という当然の意識でした。日本語だけで生きていけるという感覚はまったくありませんでした。

水村 ええ、そうでしょうね。

梅田 でも、最近アメリカに来る人たちというのは本当に二極化しています。英語で生きていこうという意志を持った人たちは、意識的に日本語を遮断しなくてはいけない。インターネットにアクセスする上でも、日本語にはあえて触れないように意識している。僕らのころは、アメリカに日本語があふれてなんかいませんでしたから、意識的に遮断する必要などなかったわけです。そして今は、日本にいる知人に向けて日本語で何か発信しようと思えばいくらでもできてしまい、それで自由な時間の大半を消費できます。だから、英語修行中だと常に意識して、日本語ではなくあえて英語で書くということを自分に課したりしなければならない。
二極化のもう一つの極は、こっちのほうがマジョリティなのですが、日本企業から派遣されてきた駐在者であったり、語学留学と称して遊びに来ているような人たちは、日本語環境のPCをそのまま持ってアメリカでやっていく人たちです。アメリカで生活はしているけれども、例えばミクシィなどの日本語のネットワークに入れば、アメリカ在住の日本人のコミュニティがあって、日本語でやりとりすればいい。メールやチャットでも日本語が使えますし、最近はテレビ電話が使えます。ですから、日本にいる奥さんの両親とテレビ電話を介して食事を一緒にするのを、当たり前の習慣にしている若いカップルがいたりします。たとえ、アメリカにいる最中に子どもを産むことになっても、ミクシィなどの子育てコミュニティがサポートしてくれますから、隣のアメリカ人と助け合う必要もない。日本で出産するような感覚の人もいます。何か困ったことがあれば、日本語でネットに頼ればいい。そう生きれば、アメリカに住んでいたって、英語はほとんど必要がない。先ほど水村さんがおっしゃったように、そうした生活を送って、二、三年で日本に帰ってきます。
先ほどの話に戻りますが、もし十二歳の水村さんがいまアメリカに渡ったとしたら、日本語と英語とに二極化する環境の中でどんなふうに生きることになったと思われますか。

水村 自分の意志でアメリカに行く場合と、そうでなく、親に連れられて行くような場合では違うと思うんです。私はもちろん自分の意志とは無関係にアメリカに行きました。アメリカという国は当時はみなの憧れでしたから、行くのはいやではなかったんですが、いざ行ってみたらなじめない。それで日本語に執着し続けてしまいました。いまだったら、果たしてどっちに転んだかということは、自分でもよく考えるんです。こんな退嬰的な性格をしていても、これだけ英語の重要性が目に見えていれば、英語に移行していたかもしれないと思うこともあります。でも、そういう結論に達してしまうと、いまの自分の存在理由がなくなるようで、その辺ははっきりとした結論には達さないようにしています。
アメリカの大学で教えていたとき、どこも比較的レベルの高い大学だったこともあって、英語ができないまま日本に帰ってしまうという人はいませんでした。ただしその後、どちらの言語圏で書いていくのかという点では、二極化していますね。
英語と日本語、どちらの言語圏で育ったのかというその先に、どちらの言語で書いていくか、という問題がある。漱石は『道草』の冒頭で、「遠い所から帰って来」た人間だと主人公の健三のことを書いています。あれは、いま読むと、日本に帰ってきただけでなく、日本語に帰ってきたんだなという風に読めますね。日本語が国語として成立していたから、洋行した人が、日本だけでなく、日本語に帰ることができた。漱石のような人間が日本語に帰ってこられたのが、日本語の幸せでした。ところが、いま洋行したあと日本語に帰るとは限らない。梅田さんは、お住まいはアメリカですが、日本語で書いていらっしゃいますから、その意味では日本語に帰ってきた人だって思うのですが、いかがですか。

梅田 そうですね、そう思います。

水村 私も日本語に帰ってきた人間です。でも、若い人、中でも優秀な人は、日本語に帰らなくなってきているのではないでしょうか。日本語だけでなく、自分たちの国語に。

梅田 仕事の対象に普遍性がある分野で仕事をしている人たちは、間違いなくそうでしょうね。

水村 でも、地域文学なんかでもそうなんです。

梅田 あ、そうなんですか。

水村 不思議なことなんですけど、たとえばラテンアメリカ文学研究の中心は、もういまやアメリカなんですよ。オブジェクトレベルとメタレベルという風に分ければ、オブジェクトレベルにあるラテンアメリカ文学はスペイン語で読むとしても、そのメタレベルにくる言説、つまりそれらに関する研究は英語でなされるようになってきているわけです。仏文でも、私が勉強していた頃からそのようなシフトが生じ始めていました。

梅田 ロシア文学を研究するためにハーバードに行くってことですね。

水村 そう。ロシア文学の現状はわからないけれど、そういう状況が増えつつあるということです。それが必ずしも良いことだとは思いませんが。この『日本語が亡びるとき』で、私がフランスで行なった講演を載せています。そのとき会った日本人の学生が「アメリカに留学したかった」って言っていたのが印象的だった。何を勉強するにしても、たとえそれがフランス文学であっても、英語でやるほうが面白そうだって。
アメリカの大学では、日本人で日本文学を研究しながらも、英語で書くことを選んでしまった人を何人も見てきました。みながみな優秀なわけではないけれど、感じるのは英語の牽引力の強さです。そんな現状があるなかで、梅田さんのような方が日本語に戻ってきてくださったのは、喜ぶべきことだと思うんですが、これからの若い人で、漱石のいう「脳力」もあれば教養もある人のうち、いったいどれぐらいが日本語に戻ってきてくれるか。それを考えると、実に心細い。

梅田 僕はアメリカに住み始めて今年で十四年なのですが、その中で、とても大きな選択を迫られた瞬間がありました。それは、日本人であることを削ぎ落としてアメリカで生きるか、それとも日本人であることをアメリカという国の中で追求していくのか、というものです。それはつまり、おっしゃるようにどちらの言葉で書くのか、という問題でした。
先ほど、対象の普遍性と申し上げましたが、つまり、日本語を選ぶということは、日本人に向けて書きたいかどうかということなんです。おそらく、日本文学を対象にした場合でも、日本文学を世界の人たちに向けて知らしめたい、世界中の人たちと語り合いたい、と思えば、英語で書くことを選ぶと思います。

水村 まさしく、そう。

梅田 だから、僕の専門分野であるビジネスについても、例えばシリコンバレーの起業家精神を全世界の人に向けて……と思えば、英語で書きますが、日本人に対して伝えたいという気持ちが強ければ、日本語を使うしかない。英語で書いても、日本人にだけは伝わりませんから。

水村 ああ、それはそうでしょうね。

梅田 日本人にだけ伝わらないんです、英語は。

水村 世界の二重言語者には英語で伝えることができますが、日本人には充分な数の二重言語者がいない。だから、発信の仕方が、世界の二重言語者を相手にするときと、日本人相手に発信するときは、変わってこざるをえないということですね。
優秀な人が日本語に戻ってこないのも憂国の種ならば、それと同時に、日本に充分な数の二重言語者がいないのも憂国の種です。

「遅れ」を失った現代日本文学

水村 梅田さんの『ウェブ進化論』は台湾と韓国で翻訳されているそうですが、それらの国で多くの人に読まれているということは、台湾や韓国の読者の要請が日本と似ているということでしょうか?

梅田 そうです。その一方で、英語圏に翻訳するという話はありません。もしあったとしても、それは僕の意図したところではないから、英語に翻訳してほしいとは思わない。僕がアメリカで経験したこと、シリコンバレーで感じたことを、日本人に伝えたいから、日本語で書いたわけです。台湾と韓国は、アメリカに対する感覚や距離感が日本と似ているので、僕の日本語の文章を翻訳する意味があったのだと思います。

水村 八〇年代に日本に帰ってきて思ったのは、アメリカに対する距離感――実は西洋に対する距離感ですが、それが実際には存在するにもかかわらず、そのことへの意識がひどく薄くなっているということでした。八〇年代には世界一金持な国だと謳われるようになっていたから、日本近代文学の根底に流れていた「遅れ」の意識がなくなっていた。それと同時に「異質」であるという意識も消えてしまっていたんでしょうね。
それ以来感じ続けているのは、日本人は本当に日本を見ているのだろうかという疑問のように思います。思考をするのにも枠組みが必要ですが、芸術においても、枠組みがある。その枠組みは、明治以来、基本的には西洋から与えられてきたものですが、日本近代文学の黎明期、小説家は、その枠組みを使いながらも、その枠組みとの齟齬感を通して見えてくる日本の現実を描こうとしてきたと思うんです。ところが、あるときからその齟齬感が消えてしまった。西洋の小説の枠組みでは見えない日本の現実を描くよりも、西洋の小説の枠組みでだけ見える日本の現実を描くようになってきた感じ。
小説も芸術であり、芸術とは形を継承して初めて成り立つものですから、模倣という行為は、小説の根本にもあるものです。でも、それと同時に、小説には、そこにある「現実」を捉えようとする意志がないとつまらない。物語をつむぐのとはちがいますから。八〇年代に日本に帰ってきたときには、不遜な言い方かもしれませんが、なんだか、妙にリアリティのない文学が流通しているという印象を受けました。西洋語から訳された翻訳文学と、そもそも日本語で書かれた文学とのちがいがなければないほどいいといった風潮があって。
たとえば、明治時代、銘々膳で食べていたのがやがてちゃぶ台に移るという流れがありましたね。当時の人たちは自分たちはちゃぶ台で食べ、西洋人はテーブルで食べる、その二つはちがう行為であるというのを意識せざるをえなかったでしょう。ところがあるときから、日本人の多くがテーブルで食べるようになった。それでいて、日本のテーブルとは、お醤油や爪楊枝がのっている、いわばお茶の間の延長線にあるもので、翻訳文学にあるテーブルとはまったく別のものです。その差異に関する敏感さが失われていったように思います。テーブルと書いてあるのだからそれはテーブルじゃないか、と思ってしまう。
見えているようで見えていない現実を、きちんと見せましょうというのを文学では「異化作用」といいますが、日本文学はそれが希薄になっているなと思いました。日本語で書かれていることに、無意識になってしまっているからでしょうね。

梅田 なるほど。でもそれは、日本語で書かれていることを意識させない作品のほうが、翻訳された場合にも世界中の人が理解しやすい、そう考えているからではないですか?

水村 結果的に、翻訳されても失われるものが少ないものが書かれてしまうということかもしれません。たとえば、今の日本の小説って簡単にファンタジーノベルの次元に移行してしまうでしょう。現実界からふっと飛躍してファンタジーの領域に入ってしまう。それはやっぱり「現実」を捉えようとする意志の薄さを物語っているのではないかしら。リアリズムというものに伴う困難と面白さを重視していないということですね。明治期の文学者は、どんなにロマンチックな心情をもった人でも、翻訳という困難を目の前にして、どこかで言葉の指示機能、英語でいえば、referential functionですが、それに向かわざるをえなかった。翻訳するとは、たとえばこちらの文中にあるコップが日本語でいうコップと同じものを指すだろうかということを問題にせざるをえないということです。そして、言文一致体とは、究極的には、そのような言葉の指示機能、すなわち、物や概念そのものを指し示すことに重点を置いた文体なんです。言文一致体が新しいものであった明治期の文学者は、リアリズムを重視せざるをえなかった。

梅田 なるほど。

インターネットは作家の脅威?

水村 せっかく専門家とお話をしているのですから、インターネットの話に戻りますが、文学をやっている人間というのは、私のように時代遅れで機械音痴な人間が多いと思うんですよ。ことに私の世代ぐらいまでは。だから、インターネットの出現に本能的にいやだなって脅威を感じた人間もかなりいると思う。既得権益もありますしね。
私はコンピューターそのものが出てきたときは、嬉しかったんです。長いあいだずっとタイプライターを使っていたので、コンピューターで書けるようになったときは、なんて楽になったんだろうと思った。だって、タイプライターの頃には、一枚の原稿を書くのだって、一語でも文章の流れが気に入らないとその頁を全部打ち直していたんですよ。だから、一頁書くのに四十枚くらい紙を使う(笑)。紙の裏も使ってね。

梅田 それは学校に通っていた頃ですか?

水村 そうです。だから文章をいくらでも直せるコンピューターが使えるようになったのは天からの贈り物のようでした。比較的早くに使い始めたんです。イェール大学では、八〇年代の最初にはもうコンピューター・センターがありましたから。
でも、いわゆるWeb2.0に移行しつつあると知ったときには心理的な抵抗がありました。なんだなんだ、せっかく本を出版して小説家になったのに、みんなが社会に向けて表現できるようになったなんて、という感じかしら。小説家っていうのは、まったくしょうがなくって、テレビにさえ反感をもつような人種なんですよ。なんでテレビを観ているあいだに自分の本を読まないのよって思ったりする。それが、もう人がテレビを観ているのなんかに文句を言っていられるような場合じゃなくなった。誰もがブログで自由にものを書けるようになった。それは、若干脅威でしたね。
それで、あるとき心を落ち着けて、インターネットの出現で何か小説家として実害を被りうるかを考えてみたんですが、実は何にもないんですよね。インターネット時代に突入し、誰でも書き手に廻ることができるという風に一般的に言われていますが、文学においては、そのような環境はそれ以前からすでに整っていたという結論に達したんです。ことに日本ではそうですね。書こうと思えば誰でも書けるというような環境は八〇年代にはほぼ完璧に整っていて、作家になるべき人はみんな作家になっているんじゃないかって思います。

梅田 日本では出版業界が才能発掘のネットワークを既に張り巡らしていたということですか。

水村 ええ、過去何十年にわたってこれだけ新人賞があるんですもの。
日本だけでなく、先進国の中流階級においては、多かれ少なかれ、そうですね。たとえば、私が行っていたアメリカのハイスクールは裕福な地域にあり、そうすると税収入が高いから、先生たちも優秀な人を集められる。学生も九割以上大学に進学する。卒業生の多くはビジネスマンや弁護士として成功していますが、もし小説家になりたければ、なることができたと思います。彼らはインターネットがなかった頃でも、もし発信したいと思えば発信できる状況に置かれていた。ですから、こと文学の書き手という点においては、先進国では、インターネットの出現によって大きく変わることはないと思います。
いま、ブロガーの優秀な人は有名になるけれど、もし小説家になりたい人がいれば、かれらは、インターネットがない時代でも、自分が書いたものを出版するのに問題はなかったと思います。

梅田 「文学の書き手」という点においては、僕もその通りだと思います。そのことは意識して『ウェブ進化論』を書きました。

水村 私も梅田さんはわかっていらっしゃるな、って思いました。ウェブの進化によって今まで発信できなかった人が発信できるようになるってお書きになったあとで、ちゃんと「芸術的な領域を除けば」って、条件をつけていらっしゃる。

梅田 「芸術的な領域を除けば」と書いた真意をちゃんとわかって、そこをご指摘してくださったのは水村さんが初めてです。ありがとうございます。おっしゃる通り、インターネット以前から、ある種の人たちにとっての登竜門は整備されていたと思います。

水村 面白い表現を使っていらっしゃいましたね、高速道路でしたか。

梅田 ええ、知の高速道路、学習の高速道路です。

水村 先進国の文学では既にそういうことは起こっていたわけですね。才能の持主を送り出すシステムは既にあった。「ライブラリー・オブ・アメリカ」というアメリカ文学の古典をペーパーバックのシリーズにしたジェイソン・エプスタインという有名な編集者がいて、数年前「ブック・ビジネス」(邦題『出版、わが天職』)という本で書いています。いわく、編集者になり、次から次へと送られてくる作品を読むようになったとたんにわかったことは、実際に小説を書ける人間などほんの一握りだということだそうです。もう、原稿の最初の数ページを読むだけでそれが分かると。私、小説なんか誰でも書けるもんだとずっと思っていたので、それを読んでほっとしました。ブログが溢れるようになってきたあとで読んだんですけれど。
梅田さんがお好きな将棋という世界では、知の高速道路ができれば、今までとは比べられないほど大勢の人間が競争に参加して、最後のほうで大渋滞がおこる。ところが、文学にはそれがない。しかも、勝ち負けがすべてだという勝負の世界ではないという点でも、文学は恵まれています。勝ち負けはないんですもの。漱石の世界もあれば、谷崎の世界もある、さらに、ジェーン・オースティンの世界もある。頂点がひとつじゃないんです。そういう意味で、競争が激化することはない。

梅田 そうですね。豊かな環境で育ち、芸術家になろうという意志を子どもの頃から持っていた人たちにとっての登竜門は、インターネットとは関係なく存在してきた。他の分野だって、強い意識を持った人たちにとっての登竜門的な仕組みはあったと言えます。

水村 別の見方をすれば、そのような登竜門が今まで存在しなかったところからは、今後、インターネットを通じて大きな才能が出てくるかもしれませんが。

梅田 学問の世界でも、昔から高速道路はありました。数学でも経済学でも、大学院を卒業するくらいまででしたら、二百年ぐらいの歴史の中で偉大な先生たちが教科書を書いてきたわけですから、インターネットがなくてもそれを読んで勉強すればいい。ですから、インターネットが登場したことの意味というのは、そういった、ある種の人々に特権的に与えられていた可能性がより大きく広がったということと、芸術や学問の少し外で誰もが自由に表現・発表ができるようになったことだと、僕は書きたかったわけです。

水村 そういうことなんですね。心を落ち着けて考えれば、実際、小説家にとって、インターネットというのは、実害がないどころか、よいことだらけだというのがわかってきました。
たとえば、私はものすごい図書館嫌いなんです。方向音痴だから。それが今では、インターネットでサーチエンジンを使えば、基本的なことを調べるだけなら、図書館に一度も行かずに済んでしまう。ほしい本があればアマゾンで買えばいい。本当に便利になりました。
でも、一番うれしいのは、自分が書いたものが死んだあとも流通しうるということですね。ロングテール理論については以前から聞いてはいたのですが、『ウェブ進化論』を読んで、初めてよく分かりました。あのロングテールの、長さ一キロのしっぽの先の何ミクロンか目に入り込めると思ったときの喜びといったら(笑)。作家にとって、自分の書いたものが絶版になって図書館でしか読めなくなるというのは悲しいことです。
あれはほんとうに嬉しかったわ。要するに、小説家にとってインターネットの出現は何も恐れることがない、Win-Winシチュエーションだと思うようになったんです。文句をつける作家もいるそうですけど。

梅田 ベストセラー作家でしょうね。

水村 あ、そうかそうか(笑)。たしかに、ロングテールは弱者の味方ですものね。でも、ベストセラー作家って実際は数が限られているでしょう。先ほどのジェイソン・エプスタインが書いていますが、アメリカで一九八六年から十年ぐらいのあいだのベストセラー百冊を調べると、六割以上がたった六人の作家によるものだそうです。ですからそのほかの大多数、数万人の作家はロングテールを享受して喜ぶだけですね(笑)。

『ウェブ進化論』後の絶望

水村 しかしながら、実は、手放しで喜ぶべきことではなかった。英語の支配という問題があるからです。以前から英語の支配という問題は私の中で重要なテーマでしたが、当然のことながら、インターネットの普及は、それをすごい速さで押し進めるものだったんです。インターネットが普及すればするほど、英語以外の言葉はその存亡を脅かされますよね。
今日、英語がいかに「優位」かという話のために持ってきたものがあるんです。ペレルマンという数学者がいますよね。現代数学最大の難問といわれたポアンカレ予想を数年前に解決した人です。この人についていろんな言語のウィキペディアで調べてみたのですが、日本語版の記事だとこれだけ、読める大きさの字でA4にプリントしても一枚くらいにしかなりません。それが英語版だと五枚になるんです。中国語版の記事は日本語版と同じ程度、そもそもポアンカレを生んだフランスは昔は数学が強かったのに、フランス語版は英語版の半分です。彼の出身であるロシア語版も、せいぜい一枚半。これは一例ですが、英語での情報量が圧倒的なんです。
日本に関することはもちろん日本語版で調べられますが、そうでないものに関しては、圧倒的に英語版が詳しい。叡智を求める人は二重言語者になるだろうと私は書きましたが、こんなところでも、圧倒的な英語の力を感じます。

梅田 このプリントアウトが象徴していますね。コンピュータはアメリカで発明されましたから、コンピュータに関することは、とにかくアメリカ発で何でも始まるものだというのは、誰もが当然のように思ってきました。そしてそれが遅れて日本にやってくる。どのくらい遅れるのかはいろいろですが、こうした図式はコンピュータ産業が始まって以来五十年以上、ずっと続いてきた真理のようなものです。
僕の専門はコンピュータ産業の戦略や将来像を考えることですが、なぜ僕がシリコンバレーにいるかというと、革新的なことが一番起こっている、先端的な場所だからです。そこで起きたことは数年後に必ず日本にやってくる。だから、日本に起こり得る未来をシリコンバレーから予見してそれに備える。そんなことができるわけです。しかし、インターネット上に載る内容(コンテンツ)に関してだけは、それが起こらなかった。つまり、時間差はあるにせよ、日本も同じようになる、という前提が崩れてしまった。たとえば、水村さんがお持ちになられたウィキペディアの記事について言えば、日本語版はこれからも英語版の分量には追いつかないだろう、ということです。

水村 ならないでしょうね。

梅田 三年前に『ウェブ進化論』を書いていたときは、なってほしいと思っていました。『ウェブ進化論』に対する感想を、出版されて以来二年半以上にわたって、ウェブで二万件以上読みました。それで最近の顕著な傾向として、もちろん日本の読者ですが、「『ウェブ進化論』の中に書かれていることは日本でぜんぜん起こっていないじゃないか」という感想が増えました。ところが、英語圏ではあそこで書いたことが全て実際に起こっているんですよ。
『ウェブ進化論』を書いた二〇〇六年初めには、僕はいずれ日本でも同じようなことが起こるだろうから、いま英語圏で起ころうとしていることをきちんと知らしめればいい、そういう希望を持っていました。例えば、ある程度のレベルより上の、叡智を求める人々、僕は「総表現社会参加者層」という表現を使いましたが、そういう人たちが日本にだって数百万人はいるだろう。その人たちに、ブログという手段を使えば、別に小説を書くようなことでなくても、もう少し日常知に近いようなことを表現して、それを人々に届かせることができるんだよと、そんなことを伝えたかった。英語の世界ではそういうことが起こっている。だから、そのことをある程度明確にして分かりやすく伝えれば、日本のネット社会も変わるのではないだろうか、そう思ったわけです。危機感もありましたし。このまま、日本で誰もグーグルについて知らないでいるのはまずいんじゃないか、そう考えた。だから説明をしたのだけれど……。

水村 そのような流れって、明治から続いていますね。

梅田 はい、同じ構造かもしれません。近代文学だって、今度の本でお書きになられたように、夏目漱石を初めとした人たちが時間遅れで西欧から日本に持ってきたということですよね。

水村 そうなんです。

梅田 コンピュータの世界は、その時間遅れでやってくるということが、特にこれまでは非常にクリアに見えていました。

水村 光ファイバーなどのインフラはあっという間にやってきたのに。

梅田 はい、PCの発展もそうです。ワープロだって、日本語をコンピュータで処理するのは英語に比べて圧倒的に難しく、時間もかかる。水村さんがアメリカにいらっしゃった頃だと思いますが、アップルがマッキントッシュを出した。それで文書がきれいに表現できるようになった。しかしそれを日本に持ってこようとしても、日本語のフォントを揃えたり、プリンターの性能を上げたりしなくてはいけないので、時間遅れが生じる。でも、三年なり五年なり待っていれば、必ず日本にも同じ波がやってきました。そういう時間遅れの構造を信じて、日本でもいろんな人がさまざまなイノベーションを起こしてきたという歴史なんです。
ところが、インターネット上の内容、いわゆるコンテンツについては、ついにそれが起こらないのか、という絶望感を抱き始めていました。ちょうどそんなことを考えているときに、「新潮」で水村さんの論考を拝読したのです。僕はもう、表紙のタイトルを見たときに引き込まれてしまって、届いてすぐに、二百八十枚を一気に読んでみたら、僕が漠然と思っていたことがはっきりと明晰な文章で、全編にわたって書かれていて感動しました。
英語圏では、インターネットがとんでもなくすばらしいものになっている。単に知が蓄積しているだけでなく、その上での社会貢献の仕組みなどの、様々な分野で、インターネットのもたらす善き面というのが、英語圏では全面的に発達してきている。しかし、日本語圏ではそういうことのほとんどが起きていない。まったくゼロではないにしても、せいぜい局所的にしか起こっていないのです。
『ウェブ進化論』を書いた時期には、数年遅れで必ず日本にやってくるという信念をギリギリ保ち、希望によって自分を駆り立てていました。そして、それなりにたくさん売れましたから、反響もありました。

水村 先端を行く人たちからの、ですね。

梅田 はい。インパクトはあって、読んでくれた中には、わかった、自分も何かウェブ上で行動してみよう、という人もいました。でも、局所的な動きはあったけれど、全体の雰囲気を変えるまでのことは起こらなかった、という気が今はしています。
もちろん、グーグルについては大勢の人が注目するようになったし、多くの識者が英語圏で何が起こっているかを知るようになったのは事実です。しかし、日本語圏のネット空間では相変わらず何も起こらない。それどころか、実は悪いほうに行っている点もあって、それはとても残念なことです。それは一体なぜなんだろうと最近ずっと考えています。なぜ時間遅れで日本に来なかったのだろうと。
水村さんの論考を読む前は、日本語圏のインターネット空間の内容というのは、日本文化や日本人の特性に影響を受けている側面がとても強いから、かなりの時間遅れはある程度仕方がないから、もう少し待てばいいのかな、という気持ちもほんのわずか残っていました。しかし、『日本語が亡びるとき』を拝読したら、なんというか、がっかりしたことが腑に落ちてしまったというか……もっとがっかりしちゃいました。これはもうアウトだな、と(笑)。

水村 実は私も書いている最中、なんだか自然に意気消沈してくるのを、無理矢理元気づけながら書いていったという感じですね。第七章の「英語教育と日本語教育」で三つの解決策を示したんですけれど、その最初の一つは、国語を英語にするというものです。あれは文章の上ではかんたんに否定していますけれども、ほんとうは、かんたんには否定できない。国家百年の大計として、もう国語を英語にしてしまったほうがいいんじゃないかっていう、内なる声と戦いながら書きました。でも、やっぱり日本語は残したい。その、残したいという気持を、残すべきであるという結論、しかも、人類のために残すべきであるという結論に強引にもっていきました。二つ目の選択肢である、国民総バイリンガリズムというのは、たとえ理想ではあっても、不可能だと思うんです。日本語のような言葉を母語とする人間がみなバイリンガルになるのは不可能です。
とすれば、いくら日本はエリートが育たないといえども、少数の選ばれた人たちにバイリンガルになってもらうしかない。もし、今までのようなレベルの日本語を残すとしたら、どう考えたって、もうそれしか選択肢がないんです。まずはすべての日本人にきちんと日本語を身につけてもらう。いくらなんでも、やはり、惜しいじゃないですか。日本語を捨ててしまうのは。非西洋語圏にありながら、国語になりえた言葉は本当に少ないと思うんです。私たちが結局日本語に帰ってきてしまうように、これだけ強い牽引力を持ち続けた国語が存在したのは、希有なことだと思います。だから、西洋語のロゴスに地球が支配されないために、非西洋語の国語としての日本語を維持していく。それこそが人類的ミッションではないか、という大げさな結論です。

学習の高速道路は英語圏を走る

水村 英語圏でインターネットのいい部分がたくさん出ているのは、梅田さんが書いておられるように、西洋には、パブリックという概念がきっちりあったのも影響していますよね。ところが、日本にはパブリックという概念が欠落している。

梅田 そこが究極の差ですよね。

水村 景観がパブリックなものだという感覚だって日本にはないんです。『日本語が亡びるとき』では、法隆寺が停車場になってもいいって坂口安吾が書いているのを非難していますが、あれも景観がパブリックなものだと思っていないからでしょう。安吾の歯切れのいい口調は好きですが、ああいうのには絶望してしまう。パブリックという概念が欠落しているのは、日本のさまざまなところで露呈されていますね。国宝級の絵巻物が私蔵されていたりしている。文化遺産はパブリックなものなのに。ルネッサンス以後の西洋では、プライベートなものとパブリックなものとの領域がはっきりと意識され、人間の築いた叡智を、パブリックドメインとしてみなに開いていこうという考えが起こってきた。

梅田 そういう伝統の中でインターネットが生まれたから、知に関わる最高峰の人々は、その知をインターネット上に載せれば、すべての人たちとシェアできると考えた。これは九四、五年くらいから始まっています。それから十数年でよくここまで進化したものです。
インターネットの世界では「ドッグイヤー」という言葉があります。犬の寿命は人間のおよそ七分の一なので、犬はいわば七倍速で生きているわけですが、インターネットが本格化してから今年で、ドッグイヤーに換算すると百年なんですよ。実感としても本当に七倍くらいのスピードでこの世界は動いていて、その中でグーグルのような会社が生まれたりする。そして、パブリックな精神を持った知の最高峰の人々は、英語圏でインターネットという道具を本気で駆使しています。だから、例えばMITのオープンコースウェア(大学の全授業をウェブ上で公開するサービス)といったものが生まれているのです。

水村 怖くもありますね。アメリカに行って大学で二十分くらい話して、やれやれこれでお終いだと思ったら、これをポッドキャストでネット上に流しますって言われたりする(笑)。

梅田 映像でしたらYouTubeやグーグルビデオに載りますね。英語圏の人々には、それが当たり前、人類のためなんだという意識がある。不思議なのは、営利事業をしている人たちの中にも、どこかそういう認識があって、たとえそれが自分たちの首を絞めることにもつながっても、それでもやるというところがあるんです。一番びっくりしたのは、あるときからネット上で新聞や雑誌が全部無料で読めるようになってきたことでした。

水村 私もニューヨーク・タイムズを毎日無料で配信してもらって読んでいる。

梅田 最初はそうでもなかったんですよ。でも、次第に広がってきた。なんで自分の利益にならないようなことをアメリカの新聞社はやるのでしょうね。日本ではいまだに誰もしませんよ。だってビジネス優先だから。日本では、ビジネスを崩すことはありえないという理屈が先にある。出版社や新聞社をはじめ、知に関わる人々の中にパブリックな精神という観点からネットの意味を考えて実践している人がいない。それに代わるのが商売の精神なんですね。だから、新聞の衰退の度合いは、アメリカのほうが早い。いまはその先で、良質なジャーナリズムは非営利組織として担保すべきではないかという議論が盛んになってきています。

水村 大体、アメリカの新聞は定期購読が少ないでしょう?

梅田 少ないですね。もともと出版部数が日本に比べて少ないということもあります。インターネットが出てきたときに、自らの使命は広く伝えることだというパブリックな精神に則って、ネットに記事を開放するということを始めたわけです。紙の新聞を買う人は残り続けるという見通しがあったのかもしれません。九〇年代の後半にはかなりの部分をネットで読むことができるようになりました。それが日本では、著作権を含むいろんな理論武装をして、結局自分の食い扶持を考えるのがまず先にあるんです。新聞社でも出版社でも、プライベートな問題しか意識していないんですよ。パブリックな精神がない。だから、ゴッホの絵を自分の棺桶に入れてくれと言った、あの人と一緒なんですよ。そう言っては厳しすぎるかもしれませんが、基本的には変わらないと思います。

水村 ヨーロッパでは、昔、ノブレス・オブリージュという言い方をしましたが、トップにいることによって生じる責任感、義務感があるという意識が強い。だから人類全体にどう貢献できるかという射程で自分の行動を考えていますよね。

梅田 より具体的に言えば、途上国援助の文脈がそこに加わってきます。例えば、教科書がない国にいたって、インターネット上で教科書を読めるようにすれば、勉強ができる。だから、教科書を公開することは地球全体に対する貢献だ。そういう意識に駆り立てられたコンテンツは英語圏に溢れている。学習の高速道路は英語圏にのみ用意されようとしているんです。

水村 途上国に100ドルでコンピューターを提供しようというようなことをMITの先生がやっていますよね。あれは、英語の覇権の拡大にもつながると思います。結果的に、アフリカの貧しい子どもたちが英語に取り込まれていきますから。

梅田 覇権というよりはもう少し無邪気だと思いますが。

水村 そう。たしかに、覇権といっても支配しようという意識があるわけではなく、受け取る側が喜んで取り入れていくわけですからね。

梅田 その一方、日本人は相変わらず、ネット空間に対して、自分のプライベートな生活やビジネスを脅かすものだと思い続けているんです。知の最高峰にいる人たちでさえ。

水村 アメリカはオタクもすごいですよね。ものすごく細かいことを調べて自分のサイトでリストを作ったり。歴史的なアーカイヴを作っているという意識がありますね。あれも、みんなパブリックな知識だと思っているからでしょうね。

梅田 その点については、日本語圏のオタクもすごいですよ。半分冗談ですが、日本ではオタクが一番パブリックな精神を持っているのかもしれません。

水村 なるほどね。おもしろいわね。その一方で、偉い人たちにはそれがないということ?

梅田 そうですね。オタクの人たちは、その行為でお金を稼いで生活を成り立たせているわけではありませんので。

「すべての人々」は一億二千万人?

水村 梅田さんは、日本語はこれからどうなると思われますか。

梅田 どうなるのでしょうね、僕は水村さんの論に完全に同感してしまったのです(笑)。

水村 国語としてはどうですか? 牽引力を持ち続けることができるでしょうか。

梅田 どうでしょうね……半年ほど前に齋藤孝さんと対談したときに、書き言葉の日本語の文章では、今の大学一年生の多くには読めない、現代国語の力があまりにも不足しているから、そう彼に言われてがっかりしたのです。今の時代は、話し言葉のようでないと、なかなか伝わっていかないのだと。教育の現場を知り尽くしている齋藤さんは、もう割り切って、書き言葉の文章に、話し言葉の文体を使っている。
先ほども触れていらっしゃいましたが、第七章で、全員をバイリンガルにするとは言わず、日本人の大半は日本語をきちんと身につける。その上で、一部をバイリンガルに育てるという策に、僕は大賛成です。

水村 実際に、母語がきちんとしている人のほうが、外国語も習得しやすいでしょう。

梅田 日本語について専門的に物申すほどの知見も教養もないのですが、僕が思うのは、日本語・日本人・日本という国土、その三つが完璧に三位一体になってしまって、人口でも経済規模でもかなりのサイズだというのは、おそらく日本しかない、ということです。まあ、小さな国にはそういうところもあるでしょうが、日本ほどの規模を持った国では、他にない。それでサイズが大きいだけに、逆にグローバル性が完全に失われている。このことへの危機感を、ビジネスで仕事をしているなかで抱くことがとても多いんです。
たとえば、日本の会社というのはどんどんグローバル化されていますけれど、どんな一流企業でも、日本語で経営されています。英語で経営しているところはまずない。それでもグローバル企業と言われている。トヨタだってそう。社員の過半数が日本人じゃないという会社も多いですけれど、経営陣は日本人です。そういった企業で、グローバルな人々を束ねるためにビジョンなりスローガンを作るわけですが、これは日本語で考えたものを英語に翻訳するわけです。

水村 でも、そういうのって訳せませんよね。

梅田 ええ。それで、かなり深刻な問題を引き起こしています。たとえ訳として文法的には正しくても、英語で読んだときの印象が、もとの日本語とは変わってしまう。「すべての人々にITを行き渡らせる」というスローガンがあったとします。「すべての人々」を英語にすると「all the people」なんですよ。みんなそう訳します。でも、その会社の人たちが日本語でものを考えているときは、この「すべての人々」は日本人一億二千万人のこと、よくて日米欧で九億人くらいをイメージしている。ところが英語に訳した瞬間、六十七億人になる。非常に大きなビジョンになります。その日本企業で働く英語圏の人々は、日本人が日本語で考えて書いた文章が英訳されたビジョンを見て「うちの企業は本当にこんなことをするのか、すばらしい」と喜ぶんですよ(笑)。まるでビル・ゲイツが提唱する新しい考え方のようだと。
マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツが最近引退してゲイツ財団というのを始めました。これは彼の個人資産の他、世界有数の社会投資家であるウォーレン・バフェットからも三百億ドルもの資産を集めているのですが、これをつかってビル・ゲイツは「貧困の終焉を目指す」「残り四十七億人の人々に」といったビジョンを実現しようとしています。それを「クリエイティヴ・キャピタリズム」と呼んでいるのですが、今までの資本主義では届かなかった世界に、ODAなどといった政府や国際機関の枠組みを使うのではなく、企業の仕組みを活かして働きかけようという考え方です。そういう思想に基づいたビル・ゲイツによる英語の文章と、日本企業が作ったスローガンの英訳が、英語としてはまったく同じになってしまう。しかし日本の企業にそんな志はさらさらない。こういう大変な問題が日常的に起きているわけです。

水村 国際政治経済誌の「フォーサイト」の連載で梅田さんが書いていらしたけど、飛行機が墜落したとき、日本のニュースで「日本人乗客は何人です」「日本人はいませんでした」ってくり返し報じるのと同じですよね。外国人はこれをどういう風に思うだろう、ってこの手のニュースに触れるたびに思います。

梅田 その連想ですが、笑ってしまうのは、日本の新聞が、時々社説でアメリカ政府に物申してるじゃないですか。

水村 ああ。

梅田 アメリカの人は日本の新聞なんて誰も読みませんよ。でも、アメリカはこうすべきだなんて書いている。誰も読まないという前提があるから、思い切ったことが言えるのでしょう。でも、そこには何の価値もない。

水村 ほんとうにそう。しかも、アメリカはこうすべきだなんて書きながら、アメリカでの日本の報じられ方については、鈍感なんですね。読んでいないのかもしれない。ニューヨーク・タイムズは世界の知識層に広く読まれている新聞ですが、ここ何年も、どちらかというと親日的ではない記者が日本について書いていますね。こうしたことが日本に対する世界のイメージに影響しているのは、問題でしょう。都市部のアメリカ人は日本人のことを結構好きなんですけどね。でも、日本の側に立って反論すべきときでも、それをできる人が日本にはいない。
たとえば、『マンガ嫌韓流』という本が日本で流行しているとニューヨーク・タイムズで報じられたことがありますが、その記事の中には、背景に『冬のソナタ』が大流行していたことについては触れられていない。『嫌韓流』のようなものだけが流行しているって、そうとう偏った国だってことになるでしょう? 世界の知識人はどんどんと英語のメディアを通じて世界を理解するようになっているのに、その舞台できちんと書ける人間が日本にいないというのは、恐ろしいことだと思います。
日本軍の「南京虐殺」を指弾した『レイプ・オブ・ナンキン』という本にしたって、「ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス」に、日本軍の非は認めつつ、納得のゆく批判を載せたのは、イアン・ブルマというオランダ人でした。英語圏で日本の立場をきちんと説明できる日本人の書き手がいないんです。だから言われっぱなし。少数でも優秀なバイリンガルを育てるというのは、外交上でも絶対に必要なことなんです。

梅田 やっぱり、日本語・日本人・日本語圏の三位一体の中にいると、あまりに快適だから、その外に誰も出たがらないのでしょう。

今、漱石は日本語で書くか

梅田 ちょっと話を変えると、今回『日本語が亡びるとき』を拝読して目から鱗が落ちたのは、日本語の優秀性を書いていらして、僕が日本語で書くことにこだわっているというか、日本語で書くのが好きな理由には、日本語って素晴らしいという感覚があることに気付かされました。

水村 そうなんです。日本語ってなんだかいい加減な言葉のように見えるけれど、なかなか優れている。

梅田 先ほど水村さんは人類的ミッションとおっしゃいましたが、たしかに日本語ほどすごい言葉というのは、なかなか見つけづらいなと……。

水村 おもに書き言葉ですけどね。

梅田 日本語の書き言葉というものが、歴史の中で培われてきた、その貴重さに目を向けないといけませんね。だから、日本語を守らなければならないというお話に、とても共感しました。なぜ日本語で書くのかを考えたとき、論理だけならば英語でもいいかなと思うのですが、日本語は工夫すればいろいろなことが表現でき、伝えられる。

水村 英語のようにきちきち言わなくてもいいんです。それに漢字も使えますし。

梅田 それに、僕の専門領域の本は英語でずいぶん出ていますが、英語のリテラシーで書かれたものを日本語に翻訳しても、日本人の心を打たないんですよ。英語はリテラシーというか、書くルールが非常にきっちりしていますが、日本語に翻訳するとそれがものすごく冗長に感じるんです。

水村 ああ、そうですね。

梅田 たとえば『ウェブ進化論』を書いたときに、はるか高い山ながら小林秀雄の批評の文章などをイメージしたのですが、客観的なことを扱いながらいきなりプライベートなことを書いたりしても、何を伝えたいのかがしっかりしていれば、短い文章でも相当いろいろな表現ができますね。日本語に限らないかもしれませんが、批評や評論のエクリチュールというのかな、そういう過去からの蓄積も含めた日本語を意識すれば、表現の可能性はものすごく広がりますね。

水村 日本語は、ジョイスが英語で遊んだのが児戯に等しく見えるほど、とても自由に遊べる言葉だと思うんです。その代わり、翻訳は不可能になるけれど。他にも、速読ができるとか、ぱっと見ただけで内容がわかるとか、そういう点で日本語に優るものはないでしょうね。ひらがな畑のあいだに漢字がぽつっぽつっと立っているから、重要な言葉が目に飛び込んでくるんです。それに、視覚的にも文体的にも文章にジェンダーがある。そういった面白い要素がたくさんあって、これはもう本当に貴重な書き言葉だと思います。西洋語は、ありんこのような文字が並んでいるだけですから、まずは見た目がつまらないですよ。他にも、最初から最後まで読まないと内容が掴めない。読み飛ばしがきかない。ふわっと論理の飛躍もしにくい。
私が女だから言えるのでしょうが、今、日本語の小説家で活躍しているのが目につくのは、女の人の方が多いでしょう。それを単純に喜べないんですよね。また同じことのくり返しになってしまいますが、雄々しい知性、人類について考えたり日本の国を憂えたりする知性を持った人が、これだけの可能性をもった日本語を駆使して果たして書くことがあるのか。

梅田 それこそ、明治に夏目漱石が現れたようなことが、いま起こるかどうか、ですよね。

水村 日本語を選ぶとしても、そういう人はもう文学は書かないんじゃないか。読み手のほうが、日本語の文学からは、もうそこまでのものを期待しないんじゃないかって、それが一番恐ろしいと思います。
今、アメリカが落ち目でしょう。かつてのスーパーパワーではなくなっている。まずは、イラク戦争みたいな馬鹿なことを始めるから軍事的にも頼りないものになってしまった。ほかの地域で何が起ころうと、もう抑制できる余力がない。もちろん国としてのイメージも最低なものになっている。加えて、アメリカのサブプライム・ローンから発した全世界を巻き込む不況は、アメリカの経済力の失墜だけでなく、アメリカを中心に広がっていった市場原理主義というイデオロギーの失墜をも意味するものですよね。要するに、アメリカは、実力という点でも理念という点でも王座から落ちつつある。
英語がここまで支配的になったのは、アメリカの国力があってのことですから、アメリカがここまで落ち目になったら、やはり英語も落ち目になるんじゃないかっていう疑問を人は自然にもつと思うんです。でも、英語という言葉は、アメリカの国力と無関係に、流通するがゆえに流通するという自己循環論法でもって、自動的に広がっていくところまで、すでに、きていると思います。通じるからみなも英語を使い、みなが英語を使うからさらに広く英語が通じるようになるという現象ですね。その自己循環論法が今後インターネットでさらに強化されていくわけですから、叡智を求める人にとって英語が牽引力をもつという傾向も、これからさらに強化されていくと思います。
これは、人類の一回しかない歴史の中である時起こってしまったことで、もうどうにもしようがないと思います。

梅田 同感です。仮にこれから政治や経済の世界でアメリカの力が弱くなっても、英語の世紀が終焉することはないと思います。

ローカルな日本語を守るパブリックな意味

梅田 『日本語が亡びるとき』で、グーテンベルクの印刷機で印刷されたのはラテン語で書かれたものだけだったと水村さんがお書きになられていて、改めて、ああそうだったのかと認識しました。
よくインターネットの世界では、インターネットは歴史上のどの発明と比べられるかという議論になるのですが、そのとき必ずグーテンベルクが引き合いに出されます。「グーテンベルク以来」と言う人が多い。でも、その印刷機で印刷された言語がラテン語だけだったというのは、インターネットの本質を考える際の補助線になります。つまり、インターネットというのは、実は英語圏だけが突出するという宿命を持ったものなのかもしれないと。だから僕は最近、「大文字のインターネット」と「小文字のインターネット」という言い方をし始めているんです。大文字のインターネットというのは英語圏でのことで、つまりグーテンベルクの時代のラテン語と同じ。そして、グーテンベルクの印刷機から派生した印刷機が、次第に各国の国語を印刷するようになったように、小文字のインターネットは国語別にいろいろな空間を作っている。そんなイメージを僕は持つようになりました。でも、これは大文字と小文字、それぞれのインターネットの分断を意味することでもあります。僕は日本語圏のインターネットの将来にまだ一縷の望みを抱いていたのですが、水村さんの論を拝読して、それも絶たれてしまったような気がしました。インターネットの技術は広がるとしても、その上に載る内容は言語圏の間で分断されてしまうのですから。まるで、切腹しようかと思っていたら、いきなり介錯されたというか、とどめの一撃を食らったような読後感がありました。

水村 切腹の介錯? おかしいわねえ。翻訳不可能ですね。
私もどうしたらいいのかわからないんです。日本語を救うためには、日本語や日本文学の無力さをいったん明るみに出さなくてはならないのではないかと、そういった意気込みでこの本を書き始めはしたのですが、書きながら日本語を救おうとすることに果たして本当に意味があるのかどうか、いつもぎりぎりのところで迷っていました。どう肯定的に書き進んだらいいのかわからなくて、暗い日々が何年も続いた。体調も悪かったし。なぜ、勉強量と知性と叡智と体力とやる気を兼ね備えた男の人が書いてくれないんだろうって思っていました。

梅田 こんなすばらしい本は僕には書けませんけれど、じつは僕も、水村さんと同じような問題提起を、別の角度からしなければならないと考えはじめていたところでした。いまサバティカルと称して期限未定の充電期間に入っていて、まとまったものを書くのをやめているのですが、それが明けたら「英語圏ネット空間」という本を書かなければならないのかなあ、と漠然と考えていました。そのための研究をいまも続けていますが、書くとすれば、悲観的な話にならざるをえないと予感していました。そんなとき、水村さんがこの本を書いてくださったので「あ、僕は書かなくていいんだ」と安心感を得たんです(笑)。

水村 そんなあ。ぜひ書いて下さい。でも、これからは差が広がっていくばかりかと思うと、さらに悲しいですね。

梅田 ええ、じつは最近は、全体に向けて何かを訴えるというのは、ちょっと諦めムードなんです。その代わり、ウェブ上で私塾をやっています。僕の本を読んだ若い人の中でも、とびきり優秀な連中が直接僕のところにやってきてくれるので、彼らといろいろ一緒に勉強しているのですが、ほとんど全員が海外に出てしまいますね。

水村 梅田さんの本で、海外に出た日本人たちの成功例がいろいろ紹介されていますね。読みながら、その人たちはその後いったいどうするのかな、と考えました。つまり、出っ放しならば要するに頭脳流出ということになるんじゃないかと。

梅田 そうですね。さっきの二極化の話で言えば、僕のところに来る若い人たちは意識して英語を話し、英語で書くようにして暮らしています。とにかく英語さえできれば、知性ではアメリカ人に絶対負けないと本人たちは思っている。事実、日本の教育は今でも相当レベルが高いですから、高校生までは日本の教育のほうが進んでいます。大学に入るとそれが逆転するので、だからアメリカの大学や大学院に行く。日本も豊かになりましたから、親がお金を出してくれたり奨学金が整っていたりして、僕が大学を卒業した頃に比べればずっと海外に出やすくなっています。大学を卒業してアメリカの大学院に行くという連中も増えていて、たとえば東大を卒業してロンドンの大学院に進むというケースもあります。

水村 そうでしょうね。

梅田 その連中がその後どうするのか。日本人を啓蒙したいとか、日本人に対して何かを伝えたいという福沢諭吉のようなタイプの人以外は、英語で書いていくんだと思います。地球全体、人類に向けて書けるわけですから。

水村 なるほど。たしかに、そういう人たちが果たして日本語で書くかどうかは、今後何をしたいかによって分かれるでしょうが、同時に、それまでに、母語でどんなものを読んできたかにもよるのではないでしょうか。小さい頃から、日本語でどんなものを読んできたのか。大したことないものばかり読んできたならば、その言葉で書きたいとは思わないでしょう。

梅田 ああ、そうだなあ。頭がいいかどうかは関係ないですね。

水村 ええ、関係ない。小さい頃からちゃんと読んでいると、やっぱりどうにもならない愛着が生まれますよね。

梅田 たしかに、僕のところにきている連中の一人で、頭がすごくいいけれど、これまで漫画しか読んでこなかったというのがいますね。

水村 ですから愛着なんてないでしょうね。

梅田 彼はまだ二十歳くらいで、物事を理解する力も含め、頭はかなりいいんですよ。だけど、高校生まではスポーツとゲームと漫画ばかりだった、小説なんて読んだことがない、と臆面もなく言う。でも自分は知的な面では誰にも負けないという気持ちも同時に抱いていて、日本語への思いがない分、逆にすっと何の葛藤もなく、英語で書く生き方を選ぼうとしています。

水村 グローバリゼーションというけれど、その一方にはグローバリゼーションに回収できないローカルというか、個別的なものがある。それは人間が地球のさまざまな土地に住み、さまざまな母語を話している限り、必然的に存在するものですよね。だから、ローカルであることを意識しつつ、そのローカルな環境で生きる運命をどう引き受けるかということを、日本語で書くことでもって人類に向けて示していかなければならない。すべての人が人類に向って直接書くのを目指す必要はない。あえて言えば、人類という抽象的な対象に向けて書かれたことと、ローカルな人間に向けて書かれたことがちがうのを日本人が日本語で読み書きして示すことが、人類への貢献にもなると思うんです。すべての人が英語という人類語で書いてしまったら、世界はとても退屈なものになってしまう。

梅田 表現の最大公約数みたいなものになってしまうからでしょうか。

水村 そうそう。だから、たとえばインド系のジュンパ・ラヒリがインド人の生活を英語で書いても、それは最終的には英語という言葉に絡め取られた世界になりますよね。英語の世界観を少しは揺るがすことはできるかもしれないけれど、限られています。もちろん、ヒンディー語なりベンガル語なりでインド人の生活を書いたものが英語に翻訳されれば、「ああ、こういう世界もあるんだ」と、人は少しちがったものを感じることができるかもしれない。でも、ヒンディー語なりベンガル語なりでじかに読んだ人は、もっともっとちがったものを感じることができる。グローバルなものに回収しきれない世界の存在を訴え続けることこそ、パブリックな行為だと思うんですよ。

梅田 とりわけ日本語は素晴らしいわけですし。

水村 しかも非西洋語なんだから、やはり、この際苦しいけれど、なんとかがんばるよりほかはないと思います。

梅田 そうですね、僕も水村さんのご本を読んでそれを実感しました。

新潮 2009年1月号より