立ち読み:新潮 2018年7月号

野の春/宮本 輝

第八章

(二)

 三月十五日、二十日、二十五日と五日おきに房江は「ラ・フィエット」のポタージュスープ持参で須藤病院へ行った。
 熊吾は失語症によって完全に言葉を失ってしまって、もうなにかを喋ろうという気力も捨てたようで、四月五日には、房江を見るとかすかに微笑んで口をあけることで感謝の思いを伝えようとしているかに見えた。
 腹をすかせた鳥の雛が、巣に帰って来た母鳥に餌をねだって嘴をあける真似をしているのだと気づいたとき、十六のベッドすべてに患者がいるにもかかわらず、房江は夫に覆いかぶさるようにして頬ずりをしたまま、その胸を撫でつづけ、
「一本松の大きな土俵みたいな田園一面のレンゲ草を見るのは来年に伸ばすから、早よう歩けるようになってね」
 と言いながら泣いた。
 だが、熊吾は動くほうの左手で房江の頭や背を撫でながら、笑みを浮かべて首を横に振った。
 ベッド脇の小さなテーブルには何種類かの薬があったが、熊吾はそれを服もうとしなかった。看護婦たちも、薬を服まないといけませんよとは言うのだが、気休め程度の意味しかない薬を無理に服ませても仕方がないと思っているようで、それ以上には強要しなかった。
 熊吾の右隣りのベッドにいた樋口健一という大柄な男は退院したらしく、六十過ぎの小柄な男に替わっていた。その患者は痛みに耐えるように顔をしかめて、看護婦が近くに来るたびに痛み止めをくれと呻くように頼んでいた。
 熊吾の顔や首を拭いてやっていると、看護婦が、きょうの夕刻、息子さんが来てお父さんの髭を剃ってあげたのだと言った。
「へえ、お父ちゃん、ノブに髭を剃ってもらうなんて初めてやねえ」
 その房江の言葉に頷き、
「愚か」
 と熊吾は言った。
「ノブが?」
 熊吾は顔を横に振り、誰かを小馬鹿にするような笑みを浮かべて、
「愚か」
 と繰り返した。
 房江はその瞬間、「サンカク」の意味を理解した。三角。三角関係。
 夫は、こんな貧乏人ばかりの患者でひしめく病室で、この俺と森井博美と隣りのベッドの樋口という氏素性のわからない男とのあいだで三角関係が生まれているが、なんと愚かなことであろうと言いたかったのだ。
 房江はそれをなんの根拠もない突飛な想像だとは思わなかった。樋口という男の背中や一瞬の表情が、博美との関係の深まりを語っていたと気づいたのだ。
 夫が嫉妬しているのではないということは、その表情でわかった。博美は、また先の見込みのないつまらない男と結びついて、せっかく得たものを失っていくのだ。どうしてそれがわからないのだろう。どうしてそのように愚かなほうへ愚かなほうへと歩いて行くのか。
 夫はそう言いたいのだ。房江はそう思い、吸い呑みの水を新しいのに替えて戻ってくると、
「お父ちゃんがなんとか止めてやろうとしても無駄やねん。それがあの森井博美という女の宿命や。逃げても逃げても離れへん自分の影とおんなじや」
 と夫の耳元で言った。
 熊吾は房江を見つめ、何度も小さく頷いて、
「宿命」
 と驚くほど明確に言葉を発した。
「ああ、これが私の宿命やと気づいて、自分の意志でそれを乗り越えようとせえへんかぎり、宿命には勝たれへん。宿命っていうのは、ものすごい手強い敵や。命に宿るって書くんやもんねえ。自分の命に宿ってるもんを追い払うには、どうしたらええんやろ……」
 そう言いながら、なぜ自分がこのような考え方をするようになったのかを夫に説明しようとしたとき、博美が大部屋の出入り口から顔だけ突き出して房江にお辞儀をした。
 腕時計を見ると九時前だった。急がないと銭湯が閉まってしまうかもしれなかったので、
「次は十日に来るね」
 と房江は熊吾に言って小さく手を振った。熊吾も三度ゆっくりと頷いた。
 翌日の午後、藤木美千代とタネと三人で午後からずっと七十人分のハムカツを揚げつづけていると、
「大阪造幣局の桜の通り抜けに行けへん? 花見客で人、人、人やけど、きょうかあすが花は見ごろやて新聞に書いてあったわ」
 と藤木美千代が誘った。
 仕事を終えたあと、桜ノ宮まで行って造幣局の桜並木を楽しむ気にはなれなかったが、回復しない病人をかかえている私への思いやりだと思うと、
「うん、花見なんて長いこと行ってないわ。行こうか」
 そう答えて、房江はハムを三枚重ねて衣をつける作業を急いだ。
 藤木がタネを誘わなかったのは、土曜日の夜はテレビの連続ドラマを観るのを楽しみにしていることを知っているからだった。
 それでも房江はいちおうは声をかけておこうと思い、タネにも一緒に行かないかと言った。
「きょうは土曜日やで。あの連続ドラマだけはなにがあっても見逃されへんねん」
 とタネは言った。
 藤木は苦笑しながら房江の腕をつつき、
「なっ、けんもほろろやろ?」
 と言った。
 きょうの夕食の献立は、ハムカツと千切りキャベツ、ひじきと油揚げの煮物、豆腐の味噌汁だった。社員食堂で食事をする社員は新しく入社した者たち七人を加えてちょうど七十人に増えていた。
 新学年が始まるので、伸仁は昼間の多幸クラブでのアルバイトを十日で辞めることになったが、夜も新しいアルバイト先を探していた。チーフ・ボーイとのことで、ぼくが辞めるべきだという考えは変わっていなくて、大学の友人たちに夜のアルバイトを紹介してもらうのだが、ほとんどは水商売で、バーのウェイターとか、客用のおしぼりを歓楽街の各店舗に配達する仕事しかないという。

(続きは本誌でお楽しみください。)