立ち読み:新潮 2017年7月号

ナイス・エイジ/鴻池留衣

 大井町駅の東急改札を出てすぐの居酒屋が絵里の向かっている会場だった。出迎えた店員に「ご予約のお客様ですか」と訊かれて「はい」と答えただけで場所へと案内された。掘り炬燵式の宴会場には長いテーブルが四つ並び、一目見てすぐに、そのうちの三つが幹事によって抑えられたものだとわかった。スタートから一時間が経過しており、既に顔を真っ赤にしている人や、飲んでいるのかいないのかわからない大人しい人、今日数年ぶりに自分の部屋から出て来たような人など、大体絵里の想像した通りの集まりである。やはり、若い人が多い。明らかに自分の親より上の世代だとわかるのは、全体の三分の一もいない。女性も意外と多い。各テーブルをおよそ二十人ずつが占有している。
「お、来た! 未来人?」と、現れた絵里を指差した男が、酔っ払い特有の大声で言うと、彼女は一団の注目を浴びた。
「残念ながら、現代人です」掠れた声が奥の席まで届いたのかわからないが、「あー残念」という台詞に笑い声が混じっていたので、概ね歓迎されているようだと安心した。ヒールの高いロングブーツを履いて来た絵里もそれを脱いでしまえば、29歳という実際の年齢より幾分若く見える。キュロットはそれを助長するだろう。とりあえず案内されるままにコートを壁のハンガーに掛け、「じゃあ女性だから、ここへ」と指示された座布団に腰を下ろす。なるほど、女性をなるべく均等に分布させる意図か。
「いらっしゃい。コテハン(固定ハンドルネームを名乗る者)ですか?」
「いえ、コテハンじゃありません」
「良かった。どうぞよろしく」
「よろしくお願いします」
 向かいの男は饒舌で、自身の出身やら家族構成やら学歴やら趣味やらをこちらが訊いてもいないのにベラベラと喋り、周囲の人たちを苦笑いさせていた。しばらくしてから判明したが、彼は殆ど素面だった。タイムトラベルの可能性や量子論やパラレルワールドなど、この場で話題になって当然であろうことには興味が無さそうで、自分の仕事の話とか、いかに多趣味だとか、子供の頃は神童だった話とかを延々と聞かされた。何をしにここへ来たのだろう。絵里の両隣も男性だった。左の彼は近所に住んでいると言う高校生、右の彼は三十代のサラリーマンで、妻と一緒にはるばる静岡から来たのだそう。その妻も絵里のように男性の多い離れた場所があてがわれていた。
 インターネットの掲示板のオカルトを話題とする場所に立てられたスレッド、「時間旅行者をもてなすスレ」の住人たちが、ネット上から飛び出して現実に顔を合わせる企画である。そういうのをオフ会と言い、それまで絵里は幾度もオフ会に参加したことがあったが、絵里が成人向けのビデオ作品に数多く出演している事実に気付いた(あるいはその素振りを見せた)人は無かった。その殆どがニュースや雑談系の掲示板のもので、このような胡散臭いカテゴリのスレッドのオフ会は今回が初めてである。「未来人がいるかもしれないオフ」は、これが六回目の開催となるらしい。参加者同士が、もしかしたら今自分の話している相手は未来から来た人間かもしれない、という想像を膨らませつつ、自らの素性を隠したり、敢えて小出しにして相手の興味をそそったりしながら戯れるという飲み会で、内心やっぱりタイムトラベルなど不可能だと理解しているけれども、野暮なことは言わないでその場は楽しもうという動機が彼らを集める。この場の皆が日々ネットに貼りついて、顔の見えぬ誰かの予言を期待していた。そして毎日毎日無数の予言が自称霊能者や自称未来人によって書き込まれ、それらが見事に外れる様を幾度も目にしていた。その上でこのような場所に来ているということは、未来人が本物かどうかは、さして重要ではないのかもしれない。
 絵里は普段他人の書き込みを読むだけで、スレッド内では一度も発言したことが無かったけれども、名無しでは不便なのでこの場に限り「アキエ」と名乗ることにした。
「そっか、アキエさんROM専(閲覧に徹して書き込みをしない人)なのね」
「はい。すいません、一見のくせに図々しく来ちゃって」
「とんでもない! 大歓迎ですよ。前回は9月だったんですけど、その回で急に参加者が増えて、今日は余裕を持って予約しておいてよかったです」と「饒舌」が言った。会計係である彼に三千円を差し出そうとすると、アキエさんは後で結構ですよとその場では断ろうとしてきた。オフ会のルールとして、会費は来店時に支払うことになっている。経験上、嫌な予感がするので、絵里が無理矢理にでも札を押し付けると、饒舌は案の定残念そうな顔をして、受け取った。
「ところでアキエさんもそうだと思うんですけど、当然、2112氏が気になって今日、ここに来たんですよね?」と、「サラリーマン」が饒舌の饒舌を断ち切って絵里に話しかけた。
「ええ、まあ」
 既にどのテーブルでも、2112の話題で持ちきりである。
「高校生」が、「実際どう思います? 本物だと思いますか?」と、絵里に訊いた。
「正直に言ってもいいですか? 2112さんが今ここにいるかもしれないんで、あんまり大声で言えないんですけど。私は、偽物だと思うんです。じゃあお前はなんで今日ここに来たんだよって言われるかもしれないけど――」
「ペテン師の顔を見に来たとか?」
「それに近いかも。――人前で堂々と嘘吐いて、それに騙される人間のこと見て愉しんじゃえるような人間が、皆の前に名乗り出てくるその瞬間を見てやろうと思って」
 饒舌とサラリーマンは絵里の言葉に耳を傾けて頷く。
「確かに、タイムトラベルにおける2112氏の証言は、あからさまにジョン・タイターの影響が見られますからね。もう何番煎じどころの話じゃないです。彼を本物とするには、僕もやはり証拠が足りないと思います」と、高校生が言う。
「或いはわざと嘘っぽく言っているとか?」サラリーマンが絵里越しに高校生を覗き込む。「敢えて偽物らしく振舞うことで、自分の発言が歴史に与えてしまう影響を、意図的に抑えているのだとしたら?」
 高校生は早口で、「例えば、所謂いわゆる世界線の話ですよ。パラレルワールド説。タイムトラベラーは出発地とは別の世界線に到着するものだから、過去に戻ってもその世界における完全な予言はできない、とか。だからタイムパラドックスは起こり得ない、とか。それを鵜呑みにして、スレに上げられた予言の数々が、これは当たってこれは外れたって、点数つけるみたいにマルバツを数えて、それで予言者としての信頼度を測るみたいなところ、あるじゃないですか皆。だけど、一つでも外れたら、そいつは偽物なんです。そんなことを認めたら、最早誰でも本物の予言者になっちゃうわけで」
 絵里が「予言なんて、数打ちゃ当たりますしね、そもそも」と呟くと、三人とも神妙に頷いた。日本だけでも、毎日膨大な量の予言が掲示板やSNSやブログに書き込まれている。地震が起これば必ず誰かの手柄となる。高校生も「僕だって今やれと言われれば、簡単に未来人になりきれますよ」と言った。
 サラリーマンは嬉しそうに「確かに、君の言うことも一理あるね」と言い、高校生もまた微笑んで、
「ありがとうございます。歴史を変える可能性があるからと断わっておいて、都合良く情報を小出しにしたり曖昧にしたりはぐらかしたりするなら、最初から掲示板なんかに書き込むなって話で。――つまり、僕たちにできるのは、書き込まれた内容にこの世界の未来から来た人としての一貫性があるか無いかを、厳格に判断することだけなんです。予言が外れた時の逃げ道を用意する未来人なんて、たとえそいつが本物だったとしても、考察する価値は無いんです」
 しかしサラリーマンには反対意見があるようだ。「確かにそうかもしれないけど。でも俺は、その中でも2112氏だけは、本物だと思うんだけどなあ。本物の確率は、高いか低いかで言ったら、高いでしょ?」
「高いかもしれない。しかし、認めたくない自分もいます。僕もきちんと彼のレスの分析を纏めていないのでアレなんですが。――ちょっと今一度ここで、まとめwikiでも見てみますか?」
 高校生は鞄からタブレットを取り出し起動した。そして殆ど手のつけられていないシーザーサラダや焼き鳥の盛り合わせや飲みかけのグラスを退かして、広くなったテーブルの真ん中にそれを置き、ネットに繋いで2112の予言が表にまとめられているページを表示した。テーブル上のものをける際、高校生が、自分のですと言って手に取ったジョッキの中で、黄色い液体が発泡していた。
「ようやくこのオフの趣旨に近づいてきたな」サラリーマンが楽しそうだ。皆、身を乗り出して画面を覗き込む。

[→]『ナイス・エイジ』鴻池留衣/著