新潮 くらげバンチ @バンチ
対談 vol.1 プリニウスの魅力とは何か



とり・みき(以下「とり」) 『プリニウス』、やっと一巻目が出ますけど。

ヤマザキマリ(以下「マリ」) はい。ようやく一巻目です。

とり そもそもヤマザキさんはなぜ「プリニウス」という人物を描いてみたいと思ったんですか。

マリ 『テルマエ・ロマエ』(以下『テルマエ』)を描いていた時から、「次は、お笑いじゃない古代ローマを描きたい!」とずっと思っていたんです。『テルマエ』はコメディというかギャグの要素が多分にありましたが、そのことを負担に感じた時期もあったので、次は絶対「ガチンコの古代ローマだ!」と。それには、古代ローマの精神を丸ごと体現するような存在のプリニウスはうってつけの人物。それと私はどこか比較文化的な思考が身についてしまっていて、プリニウスを描くことで、同時にイタリアと日本がシンクロする部分も描けそうだと。

とり ともに地震と火山が多い国ですよね。

マリ はい。この第一巻の冒頭にあるように、プリニウスはウェスウィウス火山の爆発に遭遇しています。イタリアも日本と同じように、古代から絶え間なく地震や火山の爆発に悩まされてきた国で、例えば古代ローマ人たちは、その都度どのように対応して生き延びてきたかに興味があったんです。

とり 日本でも二〇一一年三月十一日に大震災がありました。

マリ 日本は世界でも有数の地震大国だけあって、迅速な対応という意味では間違いなく世界一。では、古代ローマはどうだったのか。それを知るためにも、プリニウスを描いてみたかったのです。

とり そもそもヤマザキさんはどこでプリニウスと出会ったの。

マリ 私は十七歳でフィレンツェに留学しましたが、そこでイタリアの古代史を学んでいた時だと思います。

とり 僕もヤマザキさんも好きな作家、澁澤龍彥が『私のプリニウス』(河出文庫)という著作を残していて、僕がプリニウスを知ったのは、この澁澤経由でした。

マリ 『博物誌』(註 天文・地理、動植物、鉱物、美術などを記述した百科事典的なプリニウスの著作)の中から、澁澤が選んでプレゼンテーションする部分は、イタリア人が絶対抜粋しないようなところで面白いんです。

とり 『博物誌』は、それこそ何世紀にもわたってヨーロッパの多くの知識人が参照し、引用した「古典中の古典」ですが、近世ごろから科学が発展してくると、「ちょっとここの記述は怪しい」と、非科学的な部分がどんどん切り捨てられていく。でも、澁澤や我々のような人間にとっては、その部分こそが......

マリ 面白い。だからイタリアの文学者や研究者に「『博物誌』がいかにすばらしいか」を語っても、「え、あんなのもう読まないよ」と半笑いで言われます。

とり 東洋でも中国古代に成立した「山海経」という百科事典的な地理書には、『博物誌』にも登場するような妖怪や怪物が出てくるけど、現在では「奇書」扱いです。近代になって、どんどん科学的合理主義にそぐわないものが切り捨てられるなかで、日本でも南方熊楠(註 一八六七―一九四一年。博物学者)は、オカルティックな話も科学的に実証できる話も分け隔てなく扱っていた。

マリ 私もプリニウスと南方熊楠は似ていると思います。時代も場所も離れているけど、同じDNAでできているんじゃないかと思うぐらい。「世界を丸ごと把握したい」という好奇心とそれに傾けるバイタリティが凄い。そして二人とも、愛すべき変人。

とり 科学的な考察を大事にしつつ、一方で幻想的、空想的なものを切り捨てない。

マリ 『博物誌』のイタリア語版を読んでいると、何かしっちゃかめっちゃかな感じで、言いたいことがよくわからないところも多い。第二話でも引用しましたが、「しらみに全身喰い荒らされて死んだ神話学者」とか「足の親指を部屋の敷居にぶつけただけで死んだ知り合い」とか、どうでもいい話も多い。

とり 南方熊楠の記述にも、そういう過剰な饒舌さや、話がいきなり飛ぶところがあって似ています。その並列性、分け隔てなさというのが、『博物誌』の一番の魅力ですね。自然現象や動植物の生態など、精緻な観察による科学的な記述がある一方で、ゴシップや内輪話など瑣末な話が等価に並んでいる。

マリ そう。もちろんプリニウスは「偉大な博物学者」ですが、それだけではなくて、「偉大なほら吹き」でもある。総じてかなりお茶目な人物だったはずです。

とり その好奇心のあり方が、何だか男の子っぽい。嘘だとわかりつつシャレで喋っていることもたぶんあるよね(笑)。

マリ つまり、私が大好きなタイプの"変人"ということです。

 

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