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「男はつらいよ」を旅する

川本三郎/著

1,540円(税込)

発売日:2017/05/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

寅さんが見たものは、もはや決定的に失われた風景、人情、そしてニッポン。

「寅さんの負け犬ぶりにいまだに共感する」という著者が、〈美しきもの見し人〉車寅次郎の旅路を追って、「男はつらいよ」全作品を詳細に読み解きながら、北海道知床から沖縄まで辿り歩いた画期的シネマ紀行文。なぜ、あのいつもずっこける放浪者はかくも日本人に愛されるのか? 映画に“動態保存”された「時代」がいま甦る。

目次
1 沖縄のことを何も知らなかった
「ひめゆりの塔」と「亀甲墓」/三本の軽便鉄道/戦争と日常の共存/「基地」と「観光」/リリーが職探しをした町/海の見える集落で
2 すべては柴又に始まる
ニャロメに通じる魅力/「近所田舎」を舞台に/江戸川の桜/水郷、葛飾/江戸川でうなぎが釣れる/京成電車文化圏
3 京成金町線を行き来して
銀座でも上野でもなく金町で/やくざ者としての寅/荒川から江戸川へ/荷風が見た風景
4 寅が福を運んだ網走
タイからの観光客/ウトロ漁協婦人部食堂/駅が消えてゆく/「お父ちゃん、泣いてないよ」
5 奥尻島「渥美清がうちに来るなんて」
破壊された町/テキヤの死/最後の蒸気機関車/「女が幸せになるには」
6 寅と吉永小百合が歩いた石川、福井
犀川畔の宿/尾小屋鉄道のバケット・カー/“動態保存”されたローカル線/吉永小百合と大工さん・・・・たち/高見順の生まれた町
7 会津若松から佐渡へ
高羽哲夫記念館/家庭劇そして股旅もの/集団就職の風景/「無法松」を踏まえて/寅と良寛
8 木曽路の宿場町
蒸気機関車の登場/老人問題と過疎化/田中絹代の住む家で
9 瞼の母と出会った京都
連れ込みホテルと実の母親/「ひりっぱなしにしやがって」/寅の「人助け」/二枚目のつもり、渡世人のつもり
10 岡山の城下町へ
因美線の小さな駅/荷風の八月十五日/「のれん」商店街/タンゴのかかるうどん屋で/博の実家がある町/寅の気分になる
11 播州の小京都と大阪へ
赤とんぼだらけ/岡田嘉子の「後悔」/引き際が肝腎?/寅さん版「キッド」
12 寅が祈った五島列島
仏壇に手を合わせた渥美清/恋の指南役/本土最西端の駅/「悪人」の灯台
13 伊根の恋
「舟屋」のある漁師町/「度胸のないかた」か/温泉津の風情/校正の神様、神代種亮/真面目なヒロインの系譜
14 「さくら」も旅する
彼女は五度、旅に出た/五能線に乗って/寅の後ろ姿/登場しないヒロインだが
15 「渡世人」の迷い
美人のためなら/茨城の寅さん/「旅の夜風が身に沁みる」/廃線を辿って
16 九州の温泉めぐり
机上のポケット時刻表/筑前の小京都/山頭火も来た温泉地/秘湯田の原温泉
17 加計呂麻島で暮す寅とリリー
「男はつらいよ」と「おはなはん」の町/珍しく濃艶/「背のびして大声あげて虹を呼ぶ」/最終作の舞台へ
あとがき

書誌情報

読み仮名 オトコハツライヨヲタビスル
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮45から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-603808-2
C-CODE 0395
ジャンル 演劇・舞台、映画
定価 1,540円
電子書籍 価格 1,232円
電子書籍 配信開始日 2017/11/10

インタビュー/対談/エッセイ

[対談]
「源ちゃん」が語る「寅さん」

川本三郎佐藤蛾次郎

運命的な山田洋次との出会い、渥美清の素顔、さくらの水着(!)……貴重な証言多数です!

川本 「男はつらいよ」の第1作、第2作を観ると、タイトルには「源吉 佐藤蛾次郎」とありますね。4作目くらいから「源公」になります。
蛾次郎 そう、最初は源吉でした。上の名前はずっとない(会場笑)。
川本 そもそも源ちゃんは何者でしょう? 前半生があまりわかりませんよね。
蛾次郎 大阪弁を喋ってますからね、大阪とは関係があるんでしょう。御前様が大阪に行った時に出会って、そのまま連れてきた説もあるし、寅さんが「これ、頼むよ」って置いて行った説もあります。
川本 寅の弟子ではないんですね。時々啖呵売の手伝いをしたりしてますが。
蛾次郎 あれはバイトですね(会場笑)。本職は寺男で、境内の掃除したり鐘を撞いたりが本来の仕事ですよ。
川本 『「男はつらいよ」を旅する』という本は書名通り、寅の旅がテーマですが、源ちゃんは2度しか主な旅には出ていません。まず第2作で京都へ行っています。
蛾次郎 そうそう、寅さんが占いのバイをしている時のサクラでした。
川本 もう1本、長山藍子がヒロインの第5作「望郷篇」で浦安へ行きますね。
蛾次郎 あの源公は御前様にクビになった設定だったかで、柴又の場面には出てないんです。浦安の道端で何かを売っていたら寅さんに捕まって、むりやり豆腐を売らされて、すぐ逃げ出す。
川本 寅が惚れる長山藍子が豆腐屋の一人娘だから、豆腐を売るんですよね。あのヒロインはシリーズ最悪というか、寅が一番ヒドい振られ方をします。「ずっとここにいて下さい」と言われて、寅はすっかりその気になるんだけど、娘は井川比佐志と結婚して出ていく。娘がいないのに、何で浦安の豆腐屋にずっといなくちゃいけないのか(会場笑)。
蛾次郎 長山さんはテレビ版「男はつらいよ」の妹さくら役でした。テレビ版は俳優座と提携してまして、僕と渥美さん、おいちゃんの森川信さん以外は俳優座で固めてたんです。長山さんの他、おばちゃんが杉山とく子さん、博が井川比佐志さん、坪内先生が東野英治郎さんとか。
川本 すると、蛾次郎さんはどういう?
蛾次郎 山田監督との面白い出会いがあったわけですよ。50年くらい前、当時僕は全然売れてないけど、大阪でテレビに出たりはしていたんです。そしたら事務所の社長が、「山田洋次って若いけど才能ある監督が『次は神戸を舞台にして撮りたい。チョイ役だけど、大阪弁を使える男の子を使いたいから』って今度オーディションに来るから」。こっちは「山田? 知らんがな、そんなもん」(会場笑)。だって、その頃は本当に知らないんだもん。「火曜の11時に事務所に来るから遅れないでね」。全然行く気なくて、火曜の11時には大阪のミナミで友達と会ってお茶してたんです。それが1時くらいに友達がみんな用事で帰っちゃった。「そういや山田何とかが来るとか言うてたな」。もういなくてもいいやと思いながら、事務所へバスで行ったら、マネージャーが飛んできて、「何やってたんだ!」「監督帰ったろ?」「お前を待ってるんだよ!」。
川本 山田監督が2時間も?
蛾次郎 そうなんです。部屋に入っていったら、監督はじめプロデューサーとか何人かいたかな。こっちはやる気ないからね、短い足組んで、タバコにジッポで火ィつけてプカーって吹かしてさ。そしたら監督が笑いながら、「佐藤くんはどんな役がやりたい?」「おれ? 不良の役」(会場笑)。その返事が気に入ったのかどうか、10 日ぐらいして連絡が来て、「佐藤さんにぜひ、と監督が。チョイ役より大きい役です」に、事務所が「やめといた方がいいですよ」(会場笑)。映画の題は「吹けば飛ぶよな男だが」、主演がなべおさみさんで、緑魔子さん、有島一郎さん、ミヤコ蝶々さん。出来あがった台本見たら、僕は準主役になってた。
川本 山田監督は蛾次郎さんが出演したものを観たことがあったんですか?
蛾次郎 知らない。ただ、後で山田さんに「あの時、何で待っててくれてたんですか?」って訊いたら、あるプロデューサーが「大阪に一人、ふざけた面白い男がいるぞ」って吹き込んでたらしいんですよ。「でも時間なんか守らないよ」(会場笑)。そしたら案の定、ものすごく遅れてやってきて、いきなりタバコ吹かし始めた。そんなの、監督にしたら面白いじゃない? それで僕は松竹と契約することになって映画に出始めたら、ある日、山田さんが「テレビでやってる『男はつらいよ』って観たことあるか?」。僕は毎週観てて「面白いなあ」と思っていたから、「ハイ」「出るか?」で、次の週からレギュラー。
川本 よっぽど気に入られたんですねえ。
蛾次郎 テレビ版は寅の舎弟みたいな役で、名前が源吉じゃなくて雄二郎。石原裕次郎全盛期で、「名前だけ2枚目にしてやるよ」(会場笑)。最終回、奄美でハブを捕って金稼ぎしようと、2人で奄美へ行って、寅さんだけハブに噛まれて死んじゃう。「なんで殺すんだ!」ってテレビ局の電話が鳴りっぱなし。でも死んじゃったんだから、テレビではもうできない。もったいないから、映画にしようとなったけど、監督は「テレビでヒットしたからって」とか、あんまり乗り気じゃなくて、「まあ1本だけなら」。その第1作も、監督に言わせれば、そんないい出来だと思ってなかったんですって。
川本 へえ!
蛾次郎 僕にはそう言ってましたよ。でも、封切ったらお客さんがいっぱい入って、続、第3作、第4作と、ずうっと。
川本 48作も続くとは山田さんも思っていなかったでしょう。だから、どうしても辻褄の合わないところが出てくる。
蛾次郎 マ、マ、それは……(会場笑)。
川本 もちろん、こういうことを言うのは野暮なんですが、博(前田吟)は北海道出身だったのに、いつの間にか岡山の備中高梁出身になるし、リリー(浅丘ルリ子)も最初は「父親の顔知らない」とか言っていたのに、いつの間にか「博さんと同じ印刷屋だった」(会場笑)。
 源ちゃんはずっと独身ですよね?
蛾次郎 そうですよ。だけど意外に小金を持ってるの。
川本 そうそう、寅がさくらと博が家を持ったご祝儀のために、源ちゃんから2万円強奪したこともありましたね(会場笑/第26作「寅次郎かもめ歌」)。
蛾次郎 いまだ返してもらってない(会場笑)。こんなこともありました。柴又のロケで、午前中で土手の撮影が終わり、あとは夜の鐘撞きの場面だけになった。それまで僕は時間が空いちゃったんです。いつも衣装を着替えている場所の隣が天婦羅屋なんです。ヒマだから食事に行って、「夜までないんだよ」って言ったら「1杯呑むかい?」「ま、いいか」。
 呑んでるうちにだんだん声が大きくなって、「鐘つくシーンなんて、前のフィルム使えばいいじゃない。いくらでもあるんだから、そんなもん」なんて、バカだから言っちゃった。そしたら監督が休憩で隣の団子屋にいて、まる聞こえなんだ(会場笑)。で、遠くから撮ることをロングって言いますが、「どうせロングだしね、酔っ払ってもわかるわけないよ」。源ちゃんが鐘を撞く画はだいたい下からとか、夜だとシルエットとか、いつもそんな感じでしょ? で、「蛾次郎さん、出番です」と呼ばれて行ったら、キャメラが鐘の横に上がってやんの(会場笑)。つまり僕、アップですよ。仕方がない、酔った勢いで鐘をゴオ~ン! 監督が「バカヤロー、源公はいつも嫌々撞いてるんだ。お前は何でニコニコ笑ってるんだ!」。まあ、後はつつがなく撮影を終えたら、製作の人が来て、「監督が一緒に帰ろうと言っています」。同じ世田谷ですが、普段は監督はハイヤーで、僕は電車ですよ。「これは叱られるな」と覚悟してハイヤーに乗ったら、監督はひと言、「撮影中は酒呑むなよ」。あとは何も言わない、いつものように映画の話なんかをするだけ。偉いもんでしょ?
川本 山田監督と蛾次郎さんと言えば、これは「男はつらいよ」ファンにはよく知られたエピソードですが、第10作「寅次郎夢枕」の最初に「とらや」へ近所の花嫁が白無垢姿で挨拶回りをしている場面があります。あの花嫁さんが蛾次郎さんの実の奥さま。監督が、まだ結婚式を挙げていない奥さまに出演をお願いして。
蛾次郎 籍は入れてたけど、カネがない頃で、結婚式をしてなかったんです。ちょうど、あのカット終りで食事休みだったんですよ。そしたら「メシ押し(食事を遅らせて撮影を続行すること)お願いします!」って製作が言って、監督が「蛾次郎、衣裳部まで走ってこい!」。衣裳部に唯一あった紋付袴を借りて、しかもたまたま篠山紀信さんが渥美さんの取材で撮影所にいたんですね。渥美さんが頼んでくれて、篠山さんの撮影で、白無垢のかみさんと黒紋付の僕とみんなで結婚式みたいな記念撮影をしました。やっぱり嬉しいよね、気持ちですよね。
川本 ……あれ、源ちゃんが夜、鐘を撞いているアップがあるのは第10作じゃなかったですか?(「トラのバカ」という文字と寅の似顔絵をかいた紙を鐘に貼ってある) そんな気配りをしてくれたのに、撮影中にお酒を呑んで(会場笑)。
蛾次郎 そうでしたかね(会場笑)。
川本 山田監督は呑まないし、渥美さんも……。
蛾次郎 呑まない。
川本 すると監督と主演俳優で撮影後に呑んだりすることはなかった?
蛾次郎 ええ。みんなで食事には行ってたでしょうけどね。でも僕は渥美さんと呑みに行ってましたよ。渥美さんは呑まないけど、いつも払ってくれて。絨毯バーというのが流行ってた頃、六本木のその手の店へ行ったらバンドが入ってた。渥美さんが「蛾次郎、『寅さん』歌えるか」「もちろんです」「じゃ、おれが仁義切ってやるから、歌はお前が歌え」。で、渥美さんが「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です」とかやって、歌は僕が歌った。お客さん、大喜びですよ。でも、「そんなことする人じゃない」って、松竹の誰も信じないんだ。渥美さんの古い仲間の関敬六さんでさえ信じなかった。
川本 これはよほど蛾次郎さんが渥美さんをリラックスさせていたのか……。
蛾次郎 渥美さん、倍賞さん、監督、キャメラマンと僕でタヒチ旅行にも行きましたよ。初日、プールに倍賞さんがワンピースの水着を着て現れたから、「さくらさん、ここはタヒチですよ」って僕が言ったら、翌日からビキニ(会場笑)。だからって写真を撮るのも失礼じゃない? でも僕、たまたま8ミリを持って行ってたんですよ。こないだ確認したら、ちょっと写ってる(会場笑)。
川本 今度の本のために撮影現場となった土地を歩いて回りましたが、渥美さんについて、みなさん揃って近寄りがたい雰囲気だったと言います。例えば佐渡で、ロケに使われた食堂のおかみさんは「(ヒロインの)都はるみさんには平気でサインを頼めたけど、渥美さんは寡黙だし、そんな雰囲気じゃなかった」と。
蛾次郎 みなさん、そう仰いますね。僕は平気でしたけどねえ。松田優作と渋谷の小さなライブハウスでコンサートをやった時は、渥美さんが花束持って現れて、舞台に上がって「蛾次郎をよろしく」って挨拶もしてくれた。やっぱり関さんは「嘘だろ」(会場笑)。渥美さん、コンサートも芝居もよく観てましたね。
川本 映画の試写室でもお見かけしました。バレないように野球帽を目深にかぶったジャンパー姿で、スッと帰る。
蛾次郎 衣装とかメークの部屋で会うと、僕は本名の「田所さん」って呼んでいました。そっちの方が喜ぶから。とにかく会話は「昨日、何観た?」「あれは観た?」って舞台、映画、テレビの話ばかり。
川本 山田監督でも渥美さんの自宅を知らなかったと言いますね。
蛾次郎 おれ、知ってたけど(会場笑)。松竹の人が迎えに行ったら、生ゴミの袋を持った渥美さんが出てきた。慌てて持とうとしたけど絶対触らせてくれない。まだ田所康雄なんだね。一旦家に戻って、また出てきたら、もう渥美清になってたって。渥美さんって、僕らにも「こうやるんだよ」と演じて見せてくれるんです。しかも、こっちが目立つような芝居もしてくれる。監督はやらせるだけだからね。やっぱり渥美さんに一番教わりました。
川本 寅のセリフには古い言葉や、意外な言葉遣いが沢山あります。タコ社長に「仕事は払底しているかい?」とか、食事の場面で「そろそろ、おつもりにしましょう」とか、おいちゃんに「タクシー代、按配してくんねえかな」とか。ああいうのは監督ですか、渥美さんですか?
蛾次郎 これは監督ですね。「さくら、ミドリ取ってくれ、ミドリ……あ、ムラサキ(醤油)だ」とか、いろいろありましたね。
川本 初期だと森川信が素晴らしい。
蛾次郎 森川さん、良かったねえ! 監督も言ってましたよ。「見ろ、あれが本当の役者だ。画面で決して邪魔にならない。邪魔ではないけど、存在感はちゃんとある」って。
川本 「おい、枕、さくら取ってくれ。いや、さくら、枕取ってくれ」とかね。
蛾次郎 ああいうのは僕らがやるとあざとくなるけど、森川さんは自然なんです。
川本 源ちゃんだと、寅さんと区の結婚相談所に行く第37作や、寅さんにボコボコにされる第2作が忘れがたいです。
蛾次郎 僕はやはりリリーさんの出た「寅次郎相合い傘」の有名なメロンの場面ね。(寅さんの声音で)「このメロン、誰のとこへ来たもんだと思うんだ」(会場笑)。あそこは何度観ても笑うねえ。
川本 こんな話をしていたら、キリがありませんよねえ。

6月29日(木)、三省堂書店神保町本店にて
(かわもと・さぶろう 評論家)
(さとう・がじろう 俳優)
波 2017年9月号より

映画に“動態保存”された日本

川本三郎

――『成瀬巳喜男 映画の面影』(2014年刊)に続く新潮選書のテーマに選ばれたのは「男はつらいよ」です。川本さんが成瀬を発見したのはバブル期だったと前著にありましたが、こちらは……。

 1969年の第1作から熱心に見てきました。大学を卒業して朝日新聞社へ入った年です。当時、邦画は東映やくざ映画全盛で、洋画はゴダール、トリュフォーの時代ですよ。松竹で言えば、山田洋次ではなくて、もう退社していたけれど大島渚、篠田正浩、吉田喜重の時代。だから「男はつらいよ」が好きだなんてなかなか言えませんでした。バカにされる(笑)。ちなみに言うと、私は健さんは好きだけど鶴田浩二が苦手で、名作とされる「総長賭博」も好きではありません。組織暴力も嫌いだし、親分が殺されて子分が泣くなんて場面も大嫌いなんです。一方で市川雷蔵や中村錦之助の股旅ものは好んで見ていました。どうも単独者、それも放浪者に惹かれるんですね。

――「男はつらいよ」はそもそも、やくざ映画のパロディという面がありますね。

 ええ、寅さん(渥美清)という〈渡世人〉は、深刻きわまりないやくざ映画の登場人物のパロディ的な存在です。「男はつらいよ」が見る前の予想以上に感動的だったのは、そんな喜劇的側面だけではなく、ダメな者に対する共感があったからです。第1作で、帝釈天の御前様(笠智衆)のお嬢さん(光本幸子)にフラれた寅さんが上野駅の地下にある安食堂でラーメンをすすりながら盛大に涙を流しますよね。ラーメンと涙がまじり合うような盛大な泣きっぷり。健さんも三船敏郎も映画の中で泣いていますが、それはいわゆる男泣きで、渥美清のようにみじめな泣き方はしなかった。誰もが高倉健になれるわけではない、という人生の真実があの姿(笑)。私も多くの人と同様に健さんにはなれなかった一人として、寅さんに共感したんです。

――これは秘話ですが、川本さんはご自身の結婚式で「男はつらいよ」の主題歌を歌ったという(笑)。

 さすがに歌ってはいません、歌詞(星野哲郎作)を暗誦しただけ(笑)。72年1月に私はある公安事件の取材でミスを犯して逮捕され、会社を辞めざるを得なくなりました。翌年結婚したのですが、結婚式で「ドブに落ちても根のある奴はいつかは蓮の花と咲く」と(笑)。

――で、参列者の方々が泣いたり……。

 みんな、キョトンとしていました(笑)。妻も結局、「男はつらいよ」は見たことないままだったんじゃないかなあ。私はその後もシリーズをずっと見てきましたが、途中から――それこそバブル期の前あたりから、「男はつらいよ」の世界がノスタルジーになっていくんです。最後の蒸気機関車が走ったのは1975年ですが、そのSLにせよ、今はなくなった小さな駅にせよ、もはや見る影もない木賃宿や駅前食堂にせよ、ちゃんと映画の中に残っている。これは山田洋次監督がどこかで、「こういう消えゆく日本の風景を、フィルムに“動態保存”しなくては」と気づいたんだと思うんですよ。

――そう言えば集団就職で上京する少年少女が写っている回がありましたね。

 第7作の「奮闘篇」(71年)ですね。ドキュメンタリー・タッチなんだけど、実際は現地の子どもたちに演技させたのだそうです。あれは新潟の只見線越後広瀬駅でのロケ。今回、『「男はつらいよ」を旅する』という書名通り、寅さんの足跡を全作品、つまり北海道から沖縄まで(寅さんが行かなかったのは富山県と高知県だけ)辿って歩いたわけですが、実に取材がしやすい旅でした。越後広瀬でもどこでも、住民の方は撮影に来た監督や渥美さんたちをよく覚えていて、すぐ笑顔になって親身に答えてくれるんです。最終作の舞台である加計呂麻島には、シネマスコープの画面のような大きな碑が町の人たちの手によって建てられていました。寅さんがどれだけ愛されているか、つくづく感じましたねえ。むろん寅さん個人の魅力もありますが、種田山頭火や尾崎放哉といった放浪者はみんな好かれるでしょう? 末は野垂れ死にするに決まっているから、自分で放浪する勇気はないけれども、ああいう人物に対する憧れが日本人にはあるんですよ。

――今回、本書のために、改めて日本全国を旅して新しく気づいたところはありましたか。

 以前行った時にはあった店がなくなっていたり、鉄道もたくさん廃線や廃駅になったりしています。でも同時に、地方の豊かさも感じたんです。フローではなく、ストックの厚みですね。その土地できちんと幸せに生きている人々がいるのだから、あまり地方の衰退とか限界集落とか強調しすぎるのもどうかと思いました。むろん人口はもう増えないのだから、コンパクトな共同体をいかに作るかを考えていくべきなんでしょうね。

――さて、「男はつらいよ」を見ていない人に、まずどの作品から薦めますか?

 役者のアンサンブルで言えば、おいちゃん役を森川信がやっていた第8作まではどれを見ても満足できます。ヒロインで言えば、好みになるけど十朱幸代(第14作「寅次郎子守唄」74年)、藤村志保(第20作「寅次郎頑張れ!」77年)、音無美紀子(第28作「寅次郎紙風船」81年)などが良くて、そうだ、太地喜和子(第17作「寅次郎夕焼け小焼け」76年)のも中期の傑作ですね。だけど、「偉大なるマンネリ」のシリーズについて、たまたま見た一作を面白い、詰まらないと言っても仕方がないんです。結局、全作品を繰り返し見ることに尽きるんですよ。

(かわもと・さぶろう)
波 2017年6月号より

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著者プロフィール

川本三郎

カワモト・サブロウ

1944年東京生まれ。文学、映画、漫画、東京、旅などを中心とした評論やエッセイなど幅広い執筆活動で知られる。著書に『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞・桑原武夫学芸賞)、『白秋望遠』(伊藤整文学賞)、『マイ・バック・ページ』『いまも、君を想う』『成瀬巳喜男 映画の面影』『老いの荷風』など多数。訳書にカポーティ『夜の樹』などがある。

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