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なぜ、山崎豊子だけが、本物の〈男〉を描くことができたのか?

山崎豊子と〈男〉たち

大澤真幸/著

1,404円(税込)

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発売日:2017/05/26

読み仮名 ヤマサキトヨコトオトコタチ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 238ページ
ISBN 978-4-10-603807-5
C-CODE 0395
ジャンル ノンフィクション
定価 1,404円
電子書籍 価格 1,123円
電子書籍 配信開始日 2017/11/10

『白い巨塔』『大地の子』『沈まぬ太陽』……。人気作品を読み解きながら、また三島由紀夫、井上陽水、谷崎潤一郎、松本清張、カント、鶴見俊輔、さらに半沢直樹とも比較しつつ、誰も気がつかなかった、〈男〉たちの秘密を明かす。戦後日本が解決出来ず、今に続く様々な難問(ねじれ)を解く鍵が、「山崎文学」の中にあった!

著者プロフィール

大澤真幸 オオサワ・マサチ

1958年、長野県松本市生まれ、社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。専門は理論社会学。2007年、『ナショナリズムの由来』で毎日出版文化賞を、2015年、『自由という牢獄――責任・公共性・資本主義』で河合隼雄学芸賞を受賞。主な著書に『〈自由〉の条件』『夢よりも深い覚醒へ』『日本史のなぞ』『可能なる革命』『〈世界史〉の哲学』、共著に『ふしぎなキリスト教』などがある。

書評

なぜ、「男らしい男」を描けたのか?

平尾隆弘

 山崎豊子は、半世紀を越える作家生活で、ひたすら長編小説を書き続けた。長編には必ず個性的なヒーローが登場する。『白い巨塔』の財前五郎、『華麗なる一族』の万俵大介、『不毛地帯』の壹岐正、『大地の子』の陸一心、『沈まぬ太陽』の恩地元……。
 著者は、そうした主人公たちをすべて「男らしい男」だと言う。そして、以下のような問いを投げかける。
 ――なぜ、戦後作家の中で、ほとんど山崎豊子だけが、あれほどめりはりの効いた「男」を、男らしい男を、描くことができたのか? まるで自身が男であるかのように、男の視点から「男」を描きえたのはなぜなのか?
 意表を衝く問いかけだ。「そう言われれば……」と思い当たるフシもある。が、「そう言われても……」と戸惑う気持ちにもなる。男らしい男? しかし船場を舞台にした初期作品、『暖簾』『花のれん』『女系家族』には男らしい男は出てこない。むしろ「男らしい女」が描かれているはずだ。それに『白い巨塔』の財前も、『華麗なる一族』の万俵大介も、権力欲にとりつかれた「悪」ではないか。それでも「男らしい」と言えるのか。そもそも「男らしい男」って何なのだ?
 大澤真幸は、自らの叙述方法に触れて、「読者にいったん『宙吊り感』を味わってもらう」と述べている。「そう言われれば」と「そう言われても」――この2つも一種の「宙吊り感」にほかならない。宙吊り状態のまま、読者は「われわれ」という主語の中に組み込まれる。冒頭の問いに続き、「なぜなのか」「どうしてか」「どういうことか」といったQ&Aが繰り出される。補助線に引かれるのは『砂の器』(松本清張)、『氷点』(三浦綾子)、『ビルマの竪琴』(竹山道雄)、ドラマ『男たちの旅路』(山田太一)等々。疑念が氷解したとたん、次の宙吊り感がやってくる。読了後、既知の風景が、次々に未知の風景に入れ替わるような知的興奮を覚えるだろう。
 本書の圧巻は、戦争三部作、「不毛地帯→祖国の不在→大地」への展開を追いつつ、『沈まぬ太陽』に至る分析である。
 作家論的に言えばこんな見方もできる。『白い巨塔』『華麗なる一族』のあと、山崎豊子はこれ以上魅力ある「悪人」を書くのは難しいと判断した。限界を突破するために、「悪」は個人ではなく、戦争と国家に転化された。作品のスケールは大きくなり、主人公は「悪と闘う善」になっていった、と。だが、大澤真幸の解釈はまったく違う。
 大澤は別の著書で、『東京プリズン』(赤坂真理)の主人公マリの言葉を引いている。「戦争に負けたのは、いい。しかたない。だけれど、自分を負かした強い者(註・米軍)を気持ちよくして利益を引き出したら、それは娼婦だ」。マリは、「戦争が終わったら、日本人全体がアメリカの前に“女”になったのか」とも言っている。この『東京プリズン』の主人公の慨嘆を180度逆転したのが、山崎豊子の戦争三部作になるわけだ。壹岐正をはじめ、どの主人公も「私たちは負けた」ことを否認しなかった(できなかった)。大多数の日本人と違って、敗戦を正面から・・・・引き受けた。つまり「娼婦」であることを拒否し「男」たらんとしたのである。
 さらに重要なのは、彼らが国(日本)と国(ソ連、アメリカ、中国)とのはざまに立たされた人間だったこと。
《『大地の子』は、戦争三部作の成果を総合する作品であるだけではなく、山崎豊子の最高傑作、彼女が書いた全小説の中で最も優れた作品だ。》《陸一心は、山崎が造形した人物の中でも最も魅力的な「男」である。》
 と著者は書いている。その核心は、実父に「日本へ戻って来てくれないか」と請われた戦争孤児・陸一心が、「私は、この大地の子です」と答える言葉にある。なぜ、陸一心は日本に帰らず中国に残ったのか。なぜ「中国に残ります」と言わずに「大地の子です」と口にしたのか。
 大澤真幸は、この「大地」に、中国でも日本でもない〈普遍性〉を見ている。
《ある特定の文化が、己のアイデンティティを意図的・作為的に保守しようとすれば、このとき、必ず、この文化に内在する〈普遍性〉の次元が抑圧されることになります。(略)「彼らの文化」も、そして「われわれの文化」も、それぞれの特殊性に自己を同一化しようとするや、内的な抵抗が生ずる。その抵抗、その否定性が、あらゆる文化を貫通する〈普遍性〉です。》(『「正義」を考える』)
「山崎豊子という社会現象」を、内(作品)と外(精神史)から読みといた、スリリングな好著である。

(ひらお・たかひろ 神戸市外国語大学教員教授)
波 2017年6月号より

目次

まえがき
第一章 男を書いた女
男らしい小説/半沢直樹と比べてみると/「大衆の原像」へ/同世代のもう一人の作家
第二章 彼女は、なぜ白い喪服を着たのか
作家を作家自身と比較する/大阪商人物/原点となる作品/吉本興業をモデルにするが/天秤のように
第三章 勲章はどちらに渡されたのか
男のリターンマッチ/ぼんぼんか、ぼんちか?/結局、どちらが勝つのか/驚愕の書類/船場の外で
第四章 船場の四人姉妹の運命
船場の四人姉妹/イエの条件/イエの起源/大坂の商家/下痢が止まらない
第五章 最初のほんものの男は悪だった
「男」の誕生/財前五郎は二度勝った/和賀英良との対比/過去からの訪問者/「悪」としての「男」
第六章 男の定義
悪の諸類型/もう一つの悪/「男」の定義/なぜ「男」と「悪」とが結びつくのか/リアリズムを裏切って
第七章 悪い「男」と罪のない「女」
00年代の『白い巨塔』『華麗なる一族』/もう一つのべストセラー小説/書かれなかった小説的野心/時代のリアリティ/善の「男」の登場
第八章 不毛地帯の上で
商社マンとして/何が彼を善の「男」にしたのか/モデル問題/オー、ミステーク!/負けたのか勝ったのか?/「死んだ若い人にどんな罪があるでしょう」
第九章 祖国なき敗者
敗者の側に帰ったか?/二つの祖国の間/「私はアメリカの敵だったのでしょうか」/『男たちの旅路』/祖国は見つからず
第十章 「大地の子」になる
戦争三部作の弁証法/二つの国の「間」で/陸一心の苦難の人生/なぜ「大地の子」なのか
第十一章 太陽の光は遍く
例外的な作品/「男/女」の位置の逆転/恩地とムッシュ・クラタ/戦争の影/詫び状は書かない/太陽は大地を照らす
第十二章 反復による成熟
外務省機密漏洩事件/主人公が沖縄へ行った意味/物語の順序と論理の順序/「泣き女」のごとく/反復による救出
結章 新たなる約束
残された疑問/戦後精神史の三段階/善なる理想の欺瞞/なぜ女の作家が?/新しい約束
山崎豊子 人生&作品年表
あとがき

インタビュー/対談/エッセイ

[対談]
なぜ、山崎豊子だけが、ほんものの〈男〉を描くことができたのか?

大澤真幸平尾隆弘

山崎豊子で戦後問題が解ける?

大澤 山崎作品には、我々が克服できないコンプレックスを克服してくれる主人公がいます。だから、みんな山崎さんが書いたような男になりたいと思う。だけど、誰もなれない。なぜだろうと。この本の執筆は、そこから始まりました。
 もともと僕は、山崎さんのことをいずれ書こうとか思いながら読んでいたわけではないんです。一番は自分が知らない世界に対する興味。例えば日本人の大半がサラリーマンですが、自分は社会学をやっているのに、そういう生活を余り知らない。社会勉強をしながら楽しめる小説、みたいなのが最初でした。
 そのうちにだんだん、何で山崎さんだけがこんなにメリハリのきいた男を描けるんだろうと? ステレオタイプな部分もあるけれども、ほかの作家にこういう男は出てこない。しかも大ヒットするわけだから、みんな真似してやればいいとも思うけれど、山崎豊子にしか書けない。不思議だなと。そして、これは、山崎さんの個人的な資質というよりも、日本の戦後というものが持っている、ある種の精神の問題と密接に絡んでいるのでは? と気づくようになったんですね。
平尾 今回の本を毎日新聞が「目からうろこの一冊」と紹介していましたが、『大地の子』の編集担当だった私も、まったく同感。山崎文学を、社会現象として読み解くというのが大澤さんの方法で、文芸評論でもないし作家論でもない。あ、こういう新しい見方ができるのかと感心しました。
 山崎先生は、初対面の名刺交換の時、「私はやまきじゃなくて、やまきだから間違えんように」と仰ったんですよ。
大澤 そこが重要らしいですね。
平尾 「私は、悪役には濁点をつけとるのや。やまざきだと悪役やで」と。「先生、そう言えば財前五郎、随分濁ってますね。三つも」と言ったら喜んで、私の名刺を見て「平尾隆弘、澄んどるな」とか。「文藝春秋は濁ってますね」みたいな話で、盛り上がりました。
 先生は、56年の作家生活で長編小説の点数が15点。短編と中編はわずか9作で、エッセイや対談もほとんどありません。とにかく長編小説がすべてなんです。全生活を、長編小説にかけているというのは、山崎先生だけなのではないかと思ってまして、本当に迫力がすごかったです。
 さて、今回の本のキーワード、「男らしい男」って何やということですが。

善人のリアリティを出すのは難しい

大澤 最初にすごく印象に残ったのは、やはり『白い巨塔』です。そこから後のものを読むと、とにかくキャラが立った男ばかり出てくる。浅田次郎さんが書いた追悼文に、「山崎豊子という人は本当に男を書けた人だ。自分は脱帽だ」とある。浅田さんだってかなり格好いい男を書いているのに、そう思うんだなと。
平尾 財前五郎は素晴らしいダーティー・ヒーローで、ワルなのに魅力があるわけですよね。財前に比べたら、例えば『大地の子』の陸一心は、余りにも善の権化といいますか、類型化されているんではないかと、連載当時は心配していました。悪役なら書き込んでいくと、魅力が増してくるのですが、善人の方は、善をどんどん書いていっても、こんなのいるわけないだろう、単に“御立派”みたいな感じにとられてしまうのではと悩んだのです。ところが、大澤さんは、戦争三部作以降の主人公は善人だが格好良く、それには理由があると分析されました。
大澤 それから、山崎作品についていろいろ考えるようになったのです。一方で、日本はとにかく戦後という問題をずっと引きずっているということがとても気になっていました。何とか、片づけなければいけないと。日本では戦後と言えば太平洋戦争以後を指しますが、もし皆さんがアメリカかどこかに行って「ポスト・ウォー」と言ったら、どの戦争のことかって訊かれると思います。70年も戦後が続いている国は世界中で日本だけなんですよ。これは、僕らが戦争に負けたことが原因で生じた何かの困難を、まだ克服できないでいるからなのです。やがて戦後という問題と山崎豊子にだけ男が描かれているという謎とは実は深く結びついているのだ、と気づいたのです。
 日本が「戦後」を克服できないのはどうしてか、ということを書いた本はたくさんありますが、この謎を山崎豊子で解くことには特別な意味がある、例えば憲法で戦後の問題について論ずるとする。その時はみんな「戦後」を意識するじゃないですか。でも山崎豊子を読んでいる時は、僕らは無邪気に楽しんでいるだけなんです。意識的に戦後を考える時よりも、単に小説にのめり込んでいる時の方が、自分の克服できない無意識の相が実は現れる。それを解明出来たら、我々は、70年以上経っても敗戦という罠にまだはまったままなんだと、戦後生まれの者でさえもその罠に深くはまっているんだと気づくことになるのです。
 例えば、今回の共謀罪の成立の仕方は、日本が戦争に流された時と同じなんですね。いかに、僕らが戦争の前の日本人と同じ行動様式かと思うわけです。戦後生まれの人の方が、そうと自覚することなく、むしろ敗戦のコンプレックスの中に生きている。そういう意味でも、「戦後」を片づけたい。そのためには、戦争によって受けた何かを僕らが克服することで、ブレイクスルーをしなければいけない。そのことを、山崎豊子というエンターテインメントを材料にして考えてみたということなんです。
平尾 そこから、日本人の戦争との向き合い方の話になりますね。
 山崎先生は、何でもうちょっと財前的なダーティー・ヒーローを書かなかったのだろうと疑問に思い、お聞きしたことがあります。先生は「私は船場ものを書いて、社会派になって、次に行くためには国際性。これを取り入れなかったら作品がもたんと思った。国際性ということを考えると、財前みたいなワルはもう書けない」と答えられた。大澤さんのように理論的な分析ではないけれど、直観の凄さがあるんです。
 そうすると、悪は人間ではなく、日本という国家、それから戦争。誰もが納得する悪に対して立ち向かうと、善のヒーローが際立つ。戦争三部作はそういう構図なのかなと、私は思っていました。
 ところが大澤さんは、山崎先生が意識的であれ無意識的であれ、「戦争の受けとめ方」をキーに、リアリティのある善を作っていったと別の捉え方をされた。
大澤 『不毛地帯』以降は、男はみんな格好よくて広い意味での正義のヒーローなんです。ただ、難しいはずです。善人で魅力的な男を書くと、そんな奴いるわけないよみたいになってしまう。
 実は、山崎さんにとっては、敗戦という主題の前に、男を描きたいというモチーフがあったと思います。それに最初に成功したのが『白い巨塔』。しかし、『華麗なる一族』の万俵大介もそうですが、男らしい男はどうしても悪の方へと向いてしまう。これにも、実は戦後の精神史というコンテクストが――、「理想の時代→虚構の時代→不可能性の時代」という「精神史の三段階」論が私の持論ですが、この三段階の転換が作用しています。
 ともあれついに山崎さんは、いやほとんど彼女だけが成功した。正義の男を描くことに。どうしてかと考えた時に、詳しいことは本を読んで頂きたいですが、基本的には、敗戦に対してどういうふうに関わったかということが鍵なんです。
 どうも日本人全体としては、あの敗戦に対して、何が問題だったのか、何を反省すればいいのか、よくわかっていなかったと思えるんです。そういう所からは、けちで臆病な男しか出て来られない。ところが、敗戦に対して主体的な覚悟がある男を前提にすると、そこに初めてリアリティのある善が宿る。
 もう一つ、僕が山崎さんに注目したのは、日本の戦後を考える時のキーになる世代だったということです。戦争が終わった時に、20歳前後になる人たち。吉本隆明三島由紀夫もそうです。
平尾 戦中派ですね。
大澤 山崎さんもまさにその世代。ただ、最初のうちはご自身でもそんなに戦争のことを意識されてなかったと思います。なのに、自分では気がつかないうちに、戦争という主題が発酵してきた。

暖簾を通じて男になる!

平尾 村上春樹さんによれば、作家には、横に広がる時と垂直に飛ぶ時がある。垂直に飛ぶのは、難しいけどとても重要なことです。山崎先生は少なくとも2回は確実に垂直に飛んでいる。最初は生まれ育った船場のこと。そこから、社会派の『白い巨塔』を書き、1回垂直に飛んでいます。次に垂直に飛んだのが『不毛地帯』ですね。大澤さんの分析にありますが、ここで戦争、というよりも敗戦と正面から向き合った。
大澤 そうですね。
平尾 今回のご本と内田樹さんの『日本の覚醒のために』を読んで、なるほどと思ったことがあります。
 山崎豊子はなぜ、初期の船場ものから脱却していったかという話です。先生には「暖簾の思想」というべきものが強固にありました。その根本は暖簾の本家本元は自分だという自負です。戦災によって船場は焼けてしまいましたが、そういった現実の問題と同時に、戦後の日本は、いわば本家本元の暖簾をアメリカに奪われてしまったわけでしょう。
 日本は、ご主人(アメリカ)の言うことを聞いて、信用を勝ち取って、そのご褒美に「暖簾分け」して頂く立場に変わりました。なので、対米従属による自立こそが、戦争直後、アメリカに占領された日本の目標だった。その目標は、サンフランシスコ講和条約による占領の終結で、ひとまず達成されたことになります。したがって、アメリカに暖簾分けしてもらうまで、あるいは60年安保の頃までは、先生の船場ものには確かなリアリティがあったわけです。
 しかし、講和後もずっと「暖簾分け」状態で、本家の意向を伺っているのが、今の日本ではないか。だから、小説の舞台が船場に留まる限り、カッコいい人物を描くことは困難となった。本家はアメリカにいるのですから。
 大澤さんの文脈に置きかえると、真の本家たり得るためには、船場から脱出し、「敗戦」(戦争)とどうしても向き合う必要があったと思うのです。
大澤 面白いですね。暖簾というのは、商家にとってイエの象徴です。伝統的には日本人は全て、ある意味でイエというものに所属していました。だからイエを媒介にして、男になるというのが、成熟するモデルだった。
 山崎さんは恐らく、最初は日本的な粋な男の生き方を描きたいなと考えていた。作家を始めた頃は、自分は一生暖簾のことを書くと思っていたでしょう。
暖簾』の主題が、暖簾を我が物にすることを通じて男になるという話でした。日本がこの先もずっとアメリカから暖簾分けしてもらう方法でやっていては、永遠に男にはなれないですね。
平尾 『二つの祖国』というのは、祖国が二つあるのではない、日米どちらの国にも祖国を見出すことができなかった人間の悲劇。『不毛地帯』は、シベリアと同時に祖国日本が不毛であると解読されていますね。
大澤 山崎さんの作品は面白くて、私はこの本を書きながら、楽しくなっちゃうという経験を何度もしました。深く考えるには、楽しむということが重要です。
 ただそれと同時に、僕がどうしても言っておきたかったのは、日本は敗戦を乗り越えなければいけないということです。日本人のほとんどは戦後生まれで敗戦なんか経験してないから、敗戦の問題なんて抱えてないと思ったら、そうではなくて逆なんです。実際に敗戦を経験している人の方がこれを乗り越えやすい。戦後生まれの我々は、自分は敗戦から何の影響も受けてないと思っているけれども、僕の見る所は、明らかに日本人は敗戦の問題を世代的に継承しちゃっていて、その結果、多くの歪みが生まれている。その問題が、山崎作品を媒介にした精神分析によって、見えてくるのです。
 そして、今それを乗り越えないといけないんです。今がラストチャンスです。戦争の時に20歳だった人たちは90歳を超えて、もうすぐほとんどの方は亡くなる。その前に、この世代を手がかりにして、我々が敗戦の問題を乗り越えないと、日本は21世紀の終わりになっても、昭和20年の敗戦を引きずり続けることになってしまう。この本を乗り越えのきっかけにして欲しい。
平尾 戦後が、いつまでも続いているということが、山崎先生をして遺作の『約束の海』まで書かせた原動力になったわけでしょうが、一方で若い世代にも「敗戦の否認」が希薄化された形で再生産されているという御指摘ですよね。そういう問題意識を持って読んで欲しいです。本当に大変面白い本でした。

6月29日(木)、ジュンク堂書店池袋本店にて
(おおさわ・まさち 社会学者)
(ひらお・たかひろ 前文藝春秋社長)
波 2017年9月号より

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