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漱石と日本の近代(下)

石原千秋/著

1,430円(税込)

発売日:2017/05/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

一貫して漱石が描こうとしたもの、それは「女」という謎であった――。

都市空間に住む家族の物語を描き続けた漱石。明治民法によって家の中にも権利の意識が持ち込まれ、近代的「個」の自覚、生活に浸透する資本主義、家族を離れた愛など、新たなテーマが見出されていった。中でも漱石にとって最も謎に満ち、惹かれた対象は「女の心」だった……。後期六作品を中心に時代と格闘した文豪像を発見する試み。

目次
因果と時間――『門』
正宗白鳥は激しく嫌悪した/御米は安井の妻ではなかった/「女学生」だった女たち/日曜日の物語/他者と主体と勤勉と/消費者としての宗助/宗助と立身出世/〈家〉を売る御米/因果と二つの時間/正宗白鳥が読み取れなかったもの
恋愛と偶然――『彼岸過迄』
主人公は作られる/もう一人の主人公/聴く男・田川敬太郎/視点の乱れ、文字、手紙/手紙は届かない/偶然と必然/偶然の中の千代子/嫉妬という偶然、血縁という必然
家族と権力――『行人』
二郎の「手記」をめぐる問い/長野家の人間関係=権力構造/受け継がれるハビトゥスと階級化された言葉/「二郎説話」とはなにか/「女の謎」と進化論/「謎」は「愛」だろうか/「古い歴史を有った家」/直に吹く新しい風/「ここ」と「そこ」の弁証法/「ここ」に二人はいられない
利子と物語――『こころ』
利子とヨーロッパ近代/「時は金なり」/「女のからだ」というフロンティア/「女の謎」というフロンティア/後期三部作と読者/『こころ』と読者/空虚な心/「女の謎」という空白/利子生活者の憂鬱/利子と未来/未来に開かれる「手紙」と「手記」
沈黙と交換――『道草』
奇妙な「思い出」/「細君の父」は構想にあったのか/岳父の影/語り手が作り出す「則天去私」神話/健三を批判する語り手/お住のヒステリー/不機嫌な夫婦/交換しあう親族たち/未来の読者へ
顔と貨幣――『明暗』
夢見られ、期待されてきた結末/「相対化」はなぜ起きるのか/『明暗』の問い/身知らぬ人間/「眼」の小説/隠される内面/津田と〈家〉、お延と〈家庭〉/演じられる〈家庭〉/貨幣としての津田由雄/「意味」を読む人/お延は自分の翅で飛べるか/誤配される手紙
おわりに

書誌情報

読み仮名 ソウセキトニホンノキンダイ2
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-603806-8
C-CODE 0395
ジャンル ノンフィクション
定価 1,430円
電子書籍 価格 1,144円
電子書籍 配信開始日 2017/11/10

書評

歴史と小説を同時に読み直す飛翔力

小森陽一

「近代が終わろうとしている。近代文学も終わろうとしている。漱石文学も終わろうとしている」という、衝撃的な宣言から始まる本書は、選書としては異例の上下2巻本である。それは漱石夏目金之助の主要な小説12篇を、周到かつ一気に読み切らせる筆力で論じているからだ。
 しかし上巻と下巻の分け方に、漱石愛読者は異和感を覚えることになる。なぜなら下巻が『』から始まっているからだ。これまでの漱石研究の常識で言えば、『門』は『三四郎』『それから』と共に、前期三部作として分類されて来た。短篇を連ねて長篇とする後期三部作『彼岸過迄』『行人』『こころ』と一線を画すのは、その間に「修善寺の大患」という生死の境の体験もあり、漱石の創作方法と思想上の転換があったとされて来た。
 著者は「『門』以降の小説が家庭を書いている」として、あえて後期に位置づける。そして「家庭小説が大流行」した「明治三〇年代」に対して、「明治四〇年からはじまる『朝日新聞』連載の漱石文学が当時『新しい』と感じられていた」のは「ポスト=家庭小説」、「家庭が女によって壊される物語だった」からだと言い切るのだ。
「スウヰート、ホーム」という英語の翻訳語であることを忘れて日常語として使い、その崩壊が日々明らかになる「家庭」という漢字2字熟語が、日本近代文学史の忘れ去られたジャンルとしての「家庭小説」に飛び、それを解体して構築されたのが、「家庭が女によって壊される物語」という、漱石小説のまったく新しい意味づけに飛翔する。この三段飛びが本書の最大の魅力である。
 漱石の同時代読者の思考と感情の動き方を、新聞雑誌はもとより、双六のような印刷媒体までを、著者が徹底して精査した成果が本書には結実している。漱石が新聞小説家であり、その読者がかつて読み、そして小説と同時進行で読む小説欄以外の現実のニュース記事を、巧みにフィクションとしての物語に織り込んでいった特質を踏まえながらの分析が、この三段飛びを可能にしている。
「家庭」は、古くから漢字文化圏において、家の庭、すなわち家族の生活している空間やその様態を表す言葉として使われて来た。漱石の小説が発表された時代の中で、長い歴史を持つ言葉に、どのような特別な意味が付与されていたのかが、12篇の小説それぞれのキー・ワードに即して分析されていく。
 漱石の小説が発表された時代を、「明治民法に規定された遺産相続」の時代と位置づけているところに、12篇を貫く、人間関係の分析の著者独自の視点がある。すなわち「漱石文学は家族小説=明治民法小説」であるという認識が、漱石の小説における金銭の授受という茶飯事を、「近代」をめぐる世界史と日本史の火花散る交戦点として本書は描き出していく。
 私たちがいつの間にか自明化してしまっていた「近代」の2文字が、思考と感情の枠組を根底からゆるがす装置として蠢き始める。

(こもり・よういち 東京大学教授)
波 2017年6月号より

著者プロフィール

石原千秋

イシハラ・チアキ

1955(昭和30)年生れ。成城大学大学院文学研究科国文学専攻博士課程中退。早稲田大学教育学部教授。日本近代文学専攻。現代思想を武器に文学テキストを分析、時代状況ともリンクさせた“読み”を提出し注目される。著書に『学生と読む「三四郎」』『秘伝 大学受験の国語力』『名作の書き出し』『読者はどこにいるのか』『漱石と日本の近代』など。

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