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閉された言語・日本語の世界【増補新版】

鈴木孝夫/著

1,815円(税込)

発売日:2017/02/24

  • 書籍
  • 電子書籍あり

日本語を考えることは、日本人を論じること。
知的発見に満ちたロングセラー。

日本語が、世界に稀な特徴を持っていることを知っていますか? 日本語を話す人=日本人という事実上の単一言語国家であり、侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。言語社会学の第一人者が、言葉と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして私たちの自己像を考える。時代を経ても色褪せぬ論考。

目次
増補新版の刊行によせて
第一章 日本人は日本語をどう考えているか
1 日本語を捨てる日本人
2 明治以後の日本人の国語観
3 日本人は、はたして明晰な文章を求めているのか
第二章 文字と言語の関係
1 日本語の表記体系は果して不合理か
2 日本語の表記としての漢字
3 文字は言語ではないという西欧人の文字観
4 文字も言語そのものである
   綴字発音 語源俗解 同音衝突
5 漢字語は音声と文字の交点に成立する
6 「音」とは何か、「訓」とは何か
7 外来語と漢字語との構造的な相違について
第三章 世界の中の日本語の位置
1 日本語は大言語である
2 単一言語国家と多言語国家
*言語問題をめぐる民族の対立抗争について
第四章 日本文化と日本人の言語観
1 異民族、異文化との特殊な接触形態
2 日本社会の等質性について
3 間接的な文化受容の功罪
4 両刃の剣としての原書
5 日本語は外国人に分るはずはないという偏見
6 相手依存の自己規定
7 日本人の言語観――ことば不信と「論より証拠」
第五章 日本の外国語教育について
1 日標を見失っている英語教育
2 英語はもはや「英語」ではない
3 イングリック実践の具体的方法について
4 外国語を何故学ぶのか
後記

書誌情報

読み仮名 トザサレタゲンゴニホンゴノセカイゾウホシンパン
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-603797-9
C-CODE 0381
ジャンル 言語学
定価 1,815円
電子書籍 価格 1,144円
電子書籍 配信開始日 2017/08/11

書評

日本語の合理性をめぐる予見に満ちた書

宮崎哲弥

 外国人に英語を用いて日本語を教えている友人がいる。この人によるとやはり日本語の教育は難しいという。
 その理由として挙げられるのが、第一に文字種の多さだ。ひらがな、漢字、カタカナを習得させねばならない。場合によってはこれにローマ字が加わる。
 さらに漢字の読み方が多様だ。大別して音読み、訓読みがあり、しかも音読みは一様ではない。主に漢音、呉音、唐音の三種類あることが知られている。例えば「にし」と訓読みする「西」は、音では「せい」(漢音)とも「さい」(呉音)とも、あるいは「すい」(唐音)とも読む。最後の「すい」は「西瓜」でしか使われないが。
 剰え、正書法(正字法)が確定していないので、例えば送り仮名の付け方が極めていい加減だ。ちなみに正書法というのは、簡単にいえば「音声で表現された話し言葉を、どのように書き言葉に移し替えるか」についてのルールのこと。正書法が確定していれば、ここに音声で表現された一節があったとして、これを書き取るとなったとき、誰でも常に同じように記される。しかし正書法が未確立の日本語の場合、おそらく十人十色の表記になるはずだ。送り仮名のひとつとっても何通りもの付け方、書き方があるからだ。
「あなたがここにいてほしい」という音声に対して、「貴方が此処に居て欲しい」「あなたが此所にいて欲しい」「貴方が茲に居てほしい」「あなたがココにいて欲しい」「あなたがここに居てほしい」など複数の仮名交じり表記が想定でき、どれが正規とは決めかねる。
 正書法(オーソグラフィ)が確立されている言葉、例えば英語ならばこんなことはない。書き方は一通りしかないのだ。
 そこで、この曖昧で、複雑で、非合理的で、徒に多様な国語を「改良」しようという声が出るのは無理もなかった。「日本語廃止・英語公用語化論」が初代文部大臣、森有礼によって、早くも明治年間に唱えられたのを皮切りに、今日まで様々な国語改革案が提出された。
 本書はこうした改良案を次々に斬り捨るのみか、その奥にある近現代の日本人に取り付いた日本語観(「日本語は文法的に不完全」「論理的な思考を表せない」「国際感覚を養うのに邪魔になる」「国際通用性のない遅れた文字(漢字、カナ)を使用している」などなど)を、外国語との比較から根拠に乏しい臆見と斥ける。
 例えば「日本語の表記体系は不合理か」を問うて、英語の表記体系と比較して、日本語の仮名表記は決して合理性を欠いたものでも、後進的なものでもないことが論証されている。
 日本語改良論の新ヴァージョン、梅棹忠夫の「漢字訓読み廃止論」批判も面白い。梅棹は漢字も訓読みもそれ自体は評価しながら、「漢字、ひらがな、カナモジがいっしょになって、一つの表記システムを形成している」ところを難点とみた。「これでは安定した正字法をつくり上げることが、ほとんど不可能だというのである」。
 正字法、即ち正書法の意味は前述した。鈴木は「書き言葉→話し言葉」変換に関しては、英語でもそれが多様に流れてしまう点では大差ないという。
「話し言葉→書き言葉」変換については、「何故、発音された文を書き表わす仕方が、唯一でなければならないのだろうか」と疑義を呈する。そして「表記されたものは正しく読めさえすれば、目的を達する」という。
 日本語は正書法の必要ない言語であって、そのこと自体は欠陥とはいえない、と断じている。
 鈴木は将来、日本語ワードプロセッサーの出現を言い当て、かかる問題はそうした機械(ワープロ)の普及によって解消されるであろうことを予察している。
 1975年に発刊された書物の増補版が本書だ。ただし本文は改訂されていない。あえてそのまま刊行されている。
 そこを踏まえて読むと、驚くべき予見があり、約半世紀を閲しても一向に変わらぬ事態があり、そしてもう古色を帯びてしまった記述もみえる。
 変わらないことは、日本語が使用者の数でみれば大言語であるにも拘らず、なお日本国内に「閉されて」あるという事実だ。
 冒頭に「やはり日本語の教育は難しい」という日本語教師の言葉を引いた。だが外国人の日本語習得に困難が伴うのは、日本語の構造それ自体に原因があるのではなく、教える側、教わる側双方の意識に横たわる障壁にあるのではないかと感じた。

(みやざき・てつや 評論家)
波 2023年6月号より

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著者プロフィール

鈴木孝夫

スズキ・タカオ

慶応義塾大学名誉教授。1926年、東京生。同大文学部英文科卒。カナダ・マギル大学イスラム研究所員、イリノイ大学、イェール大学訪問教授、ケンブリッジ大学(エマヌエル、ダウニング両校)訪問フェローを歴任。専門は言語社会学。著書に『閉された言語・日本語の世界』をはじめ、『ことばと文化』『日本語と外国語』『武器としてのことば』『日本人はなぜ日本を愛せないのか』『日本語教のすすめ』『人にはどれだけの物が必要か』『日本の感性が世界を変える』など多数。

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