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孤高の祈り―ギリシャ正教の聖山アトス―

中西裕人/著

6,380円(税込)

発売日:2017/08/31

  • 書籍

女人禁制、自給自足、千年の祈り……知られざる聖地の全貌を、初めて撮影!

原始キリスト教の伝統を色濃く残すギリシャ正教の聖地。俗世とは隔絶された環境で、家畜さえ雌を排除する徹底した女人禁制の下、生涯、この地に生きる二千人の修道士たちの祈りの日々――厳しい撮影制限のため、ほとんど知られることのなかった謎の宗教自治国の実像を、日本人として初めて公式に撮影した、驚きと感動の写真紀行!

目次
はじめに
第1章 アギオン・オロス・アトス
第2章 修道院の祈りと生活
第3章 冬のアトス 降誕祭
第4章 ケリに生きる修道士
第5章 「記憶」祈りのとき
アトス修道院に暮らして 性善説のキリスト教
日本ハリストス正教会司祭 パウエル中西裕一
写真解説
おわりに

書誌情報

読み仮名 ココウノイノリギリシャセイキョウノセイザンアトス
装幀 シモノスペトラ修道院/カバー表、中西裕人/撮影、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 芸術新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 B5判変型
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-351181-6
C-CODE 0016
ジャンル 写真
定価 6,380円

書評

時代を超えた祈りの原像

野町和嘉

 アトス。ギリシャ正教最高の聖地にして、エーゲ海に突き出たアトス半島を占有する、世界唯一の修道院自治国家である。厳しい戒律のもと、これまでごく断片的にしか紹介されてこなかったこのアトスに、ひとりの若手写真家が、「祈り」とは、「信仰」とは、といった深い自問を引きずりながら信徒となって繰り返し通った。そして修道士たちの、信仰に裏打ちされ滲み出た人間性に強く惹かれ、心開かれて、祈りの空間に踏み入ってゆく心の軌跡を写真と文章で綴ったドキュメンタリーである。
 宗教的な空気が極めて希薄な東京という環境に埋没しながら、雑誌や広告の写真を生業として暮らしてきたひとりの写真家が、アトスという異次元の宗教世界と遭遇し、あたかも吸い取り紙がインクを吸収するかのように溶け入ってゆく。
 もちろん実の父親が20年来アトスに通い続けてきた、研究者にして、ギリシャ正教の司祭職であるという稀有の環境でなかったとしたら、出会うこともなかっただろうし、その導きがあって初めて成就できた取材行なのであるが、作者の信仰と向き合う新鮮な感受性と好奇心が行間から滲み出ていて快い。さらに、それまで特別な関心も抱かず、なんとなく傍観してきた父親の、宗教者としての実像をアトスに来て初めて知るところとなり、畏敬の眼差しとともに祈りの姿にカメラを向けるようになっていく。
 じつは筆者もまた、東方正教会の祈りを近いところで見てきた。ギリシャ正教同様、降誕祭が1月7日に催され、中世さながらにおびただしい数の裸足の巡礼者たちが集う、エチオピア正教の聖地ラリベラでの祈りを何年にもわたって撮影してきた。また今から40年前には、ギリシャ正教のなかでも極めて重要な、シナイ山麓にある世界最古の修道院、聖カテリーナ修道院に宿泊を許されイコンと祈りを撮影させてもらったことがある。イタリアの出版社から依頼の仕事で、ヴァチカン経由のルートでコンタクトしてもらい実現した。神が燃える柴の中からモーセに初めて語りかけたと伝えられるその場所に建てられた由緒ある修道院であり、一神教の源流ともいえる聖地である。城壁に囲まれた砦のような修道院の一室から、暮色に包まれた峻厳なシナイ山を仰ぎ見ながら、神の声を聞こうと願う修道士にとって、シナイに勝る修道の地はないであろうことを悟らされたことだった。
 それにしても、『孤高の祈り―ギリシャ正教の聖山アトス―』に収録された、ほぼローソクの光だけで浮き彫りにされた聖堂内での祈りの姿の、なんと重厚で美しいことか。カトリックのミサの情景は、私自身も撮影してきたし、テレビなどでもしばしば見ているが、この写真集に収録されている修道士たちの姿は、時代を超えた祈りの原像を目の当たりにしている思いにさせられる。

――ここは現実世界なのか、未来なのか、過去なのか、はたまた地球上ではなく宇宙なのか、楽園なのか――

 と、初めて参加した徹夜の祈りで言葉を失った写真家は、そのときの感動と当惑をこのように記述している。
 一方、これらの完璧なまでに昇華された写真は、最新の高性能デジタルカメラによって初めて捉えられるようになった映像でもあるのだ。40年前に聖カテリーナ修道院で同じような祈りのシーンに遭遇してはいたが、当時のフイルムカメラでは写しきれる条件ではなかった。
 作者も言及しているように、このアトスは、自身を映し眺めるまたとない鏡であって、生涯関わってゆくライフワークとなるであろう。歴代の修道士たちが、神を模索しながら幾層にも重ねていった祈りの気配、イコンの数々、そして現役修道士たちの心の深層、そして自身の死生観について、写真家は、深く向き合ってゆくことになるのであろう。
 私事であるが、つい昨年秋のこと、アトスと並ぶもう一つの世界遺産、ギリシャ北部山岳にある修道院群、メテオラを訪ねた。アトスのような入域規制はなく風光明媚なため観光客が増えたことで、俗化を嫌った修道士の何人かがアトスに移っていった、という話を耳にした。

(のまち・かずよし 写真家)
波 2017年9月号より

インタビュー/対談/エッセイ

ギリシャ正教の祈りとは

中西裕人最相葉月

ギリシャ正教の聖山アトスに、日本人として初めて公式に撮影、出版の許可を得た写真家、中西裕人さんと『セラピスト』で「癒し」について考案した最相葉月さんが、ギリシャ正教の祈りの本質について語り合った。

 キリスト教といえば、日本ではカトリックやプロテスタントなどの西方教会をイメージする人がほとんどだろう。一方、キリスト教の歴史において重要なもう1つの教派が、ギリシャやロシア、東欧を中心に広まった東方正教会である。中西裕人さんの『孤高の祈り―ギリシャ正教の聖山アトス―』は、その総本山ともいえる聖山アトスに分け入り、これまで撮影禁止だった聖堂内部と約2000人の修道士たちの祈りの日々に密着した本邦初の写真集である。
 司祭しか入ることができない最も神聖な空間である至聖所や、暗闇で行われる祈りの儀式など厳粛な時間を映し出す写真もあれば、パンづくりや掃除、巡礼者の案内など、働く修道士の素顔が垣間見える写真もある。とりわけ目を引かれるのは、祈りを捧げる司祭の中に1人の日本人司祭がいることだ。日本ハリストス正教会、およびギリシャ正教会のパウエル中西裕一司祭、中西裕人さんのお父様である。本書は、中西さんの父親再発見の旅でもある。(構成・最相葉月)

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断崖の上に建つシモノスペトラ修道院

最相 ローマ・カトリック教会はよく映画化されるので日本にいても身近に感じられるのですが、正教会はせいぜい御茶ノ水にある東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)ぐらいしか知りません。司祭や信徒のイメージはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で時間は止まっていますから、21世紀の修道士の日常を知ることができたのは興味深いことでした。中西さんは日本正教会の信徒だそうですが、アトスを撮影されたきっかけはご自身の信仰と関係があるのですか。
中西 きっかけは完全に父ですね。うちは両親も兄弟もみんな正教徒なのですが、ぼくだけ反発してずっと洗礼を受けていなかったんです。父が学者として大学でギリシャ哲学や東方正教会について教えながら、20年以上アトスに通って研究していることもなんとなくしか聞いていなかった。それがある日、気づいたら、司祭になっている。ははあ、そんなことがあるんだと。
 父のデジカメの写真を見せてもらったら、これがすごいんです。畑に面した広いテラスで、修道士がにこやかにご飯を食べている。楽しそうな生活してるなあ、行ってみたいなあと思ったんです。カメラマンとして10年やってきて、そろそろテーマを持ちたいと思っていたところだったので、これだと。アトスは信徒でないと入れないので、撮影のために洗礼を受けたというのが本当のところです。洗礼は3年前、35歳のときでした。
最相 なるほど、仕事をするためにイスラム教徒になる「ビジネス・ムスリム」みたいですね。サウジアラビアの巡礼地メッカを撮影した野町和嘉さんも、撮影のためにイスラム教徒になられたとうかがっています。
中西 2014年に初めて行ったんですが、1人の修道士が協力的で、大臣の許可までとってくれた。アトスはギリシャ領内にありながら治外法権が認められた宗教自治国なので、撮影や出版にはアトスの大臣の許可がいるんです。
最相 第一印象はいかがでしたか。
中西 現実とは思えないような暮らしぶりに驚きましたね。季節によって違うのですが、祈りは1日2回、朝4時から8時まであって、朝食を食べ、夕方は4時から7時まで祈って、夕食です。降誕祭や復活祭となると徹夜で祈ります。食事も祈りのときなので、私語は許されません。
最相 クトゥルムシウー修道院の聖堂を撮影されていますが、とても荘厳ですね。
中西 中期ビザンチン建築の典型的な十字型の教会で、内部の装飾には金が使われていて豪華絢爛です。壁や天井はすべてイコンやフレスコ画で埋め尽くされています。電気は通っていないので、ろうそくの光だけ。ここに入ると修道士の表情や目つきが変わります。
最相 ええ。さっきまでにこやかだった修道士が別人のように見えました。

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クトゥルムシウー修道院の主聖堂

女人禁制の聖地

最相 アトスは世界遺産に登録されていますが、女性が入れません。男性でも巡礼客は3泊4日に制限されているそうですね。
中西 マリア様が旅の途中に嵐に遭ってこの地に降り立ったときに、アトス山や半島の美しさに惹かれて自分の土地にしたっていう伝承があるんです。だから、女性はマリア様だけです。家畜もオスばかりで、ネズミ退治のために猫だけメスがいる。若い頃に修道院に入って、60年以上女性を見たことがない人もいるようです。
最相 山全体が女人禁制なんですね。
中西 ウラノーポリという町から船で渡るんですが、リゾート地なので女性が水着姿で歩いたりしてるんです。そこを修道士や男性の巡礼者だけが船に乗っていく。乗った段階で、あれ、っていう不思議な感じ。みんな楽しそうですよ。彼らは定期的にアトスに通っていて、生活の一部になってるんです。仲間で行くこともあれば、家族で行くこともある。クリスマスは息子を連れて行くという人もいます。ギリシャ人は9割以上が正教徒で、ほとんどが幼児洗礼なんです。
最相 修道士や巡礼者が中西さんに親しく話しかけていますね。日本にも正教会があるのかと興味津々で聞かれたとか。
中西 ニコライ堂の写真を見せると、ナイスナイスって言われました。東日本大震災は大丈夫だったかと心配されたこともあります。最近はスマホを持つ修道士もいますし、インターネット環境を整備している修道院もありますが、情報は主に巡礼者から入るようですね。

正教会は家族の宗教

最相 中西さんにインタビューさせていただきたいと思ったのには理由があるんです。拙著『セラピスト』でカウンセリングがなぜ日本に定着したのか調べたときに、戦後ある宣教師が持ち込んだルートがあることがわかって、キリスト教の癒やしに興味をもったんですね。いくつかの教会を歩いているうちに、正教会にはアトスという聖地があることも知った。そうしたら写真集が出たのでお会いしたいと思ったわけです。正教会は日本ではあまり知られていませんから。
中西 ほとんど布教してないですね。
最相 伝道が盛んではないのですか。
中西 とくに日本ではそうですね。信徒数は1万人、聖堂は全国に60あまりです。
最相 カトリックの信徒が約44万人で聖堂が971ですから、ずいぶん少ないですね。
中西 東欧ではほとんどが正教徒で、このあいだブルガリアにも行ったんですけど、国民の八十数パーセントです。ニコライ堂には日本在住のロシアや東欧の信徒の方がよく来ていますよ。
最相 中西家は代々正教徒なのですか。
中西 いや、父の祖父は神主で、家には神棚や鳥居がありました。
最相 へえー。研究者として洗礼を受けるところまではまだわかるのですが、お父様はなぜ司祭になられたのですか。
中西 本人に聞いたことがあるのですが、誰もやっていないことをやらないといけないと思ったそうです。アトスに半年間行ったときは、帰ってから母ちゃんに怒られてました(笑)。

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巡礼者に祝福を与える父・パウエル中西裕一司祭

最相 ご家族が洗礼を受けた順番は?
中西 最初が父で、母、兄と義姉、母方の祖父母と弟、最後がぼくです。
最相 ある神父にうかがったのですが、正教会は家族全員で入ることが多いそうですね。
中西 地方に行っても家族で入信している方が多いんですよ。父が最初にアトスに行ったとき、洗礼を受けてるのは自分だけだといったら、修道士さんたちに、家族にも洗礼を受けさせなさいっていわれたそうです。そうすれば亡くなってもみんな一緒に向こうの国で生きていくことができるんだよって。だから父親は、家族を必死にくどいて洗礼を受けさせたんですね。
最相 正教会は血縁が大事なんですね。ただ中西家はかなり特殊です。お父様が49歳で突然洗礼を受けて、司祭にまでなられた。アトスで現地の司祭に混じって祈りを捧げておられるのを見て、中西さんも「古代ギリシャ語で祈禱書を詠んでいる」「儀式の順番もしっかり頭に入っている」って驚いていますね。
中西 日本人がアトスで祈りを執り行っているのは最初で最後かもしれないと思って、夢中で撮影しましたね。プロとして、1人の男として、単純に尊敬と憧れを感じました。

正教会の祈り

最相 兄弟の洗礼名を聞かれて、中西さんが「アレクシー、ニコライ、ミハイルです」と答えると、司祭がそれをメモして、至聖所で祈ってくれたというエピソードが印象に残りました。正教の祈りってどういうものなのですか。
中西 自分以外の人に祝福を与えるという感じでしょうか。友だち同士で巡礼に来る人は、お互いの名前を書き合っています。ですから、絶えず祈られるかたちになる。どこかで誰かが自分のことを祈っていてくれるという想いが根っこにあるのかなと思いますね。父によると、正教の祈りの基本は「人のために祈る」だそうです。
最相 復活祭の時は40日前からかなり厳しい節食をするそうですね。
中西 ある修道士は、節食の時は空腹になるけど、体も軽くなって、復活を待つキリストと同じ気持ちになるといっていました。祈りが終わると、修道士は抱き合って称え合って、巡礼者もこれまでにない笑顔に満ち溢れた表情をして、互いに祝福し合っています。
最相 アトスへはこれまで5回行かれたそうですが、この間に変化したことはありますか。
中西 写真が変わりましたね。最初の頃は行ってきましたっていう写真でした。こんな厳しい暮らしをして喜びはどこにあるのかとか、食事はうまいのかとか、人間味が出る瞬間を探していたんです。でも修道士が家族のことを祈ってくれている姿を見るうちに、正教の祈りというのはなかなかすごいとわかってきて、行くならその想いを撮らなきゃいけないって思うようになりましたね。最初はバシャバシャ何千枚も撮ってたんですけど、だんだん撮れなくなった。ある瞬間を黙って待って、ぱっと1枚撮るという感じです。
最相 今後もアトスに通われますか。
中西 人が亡くなってからどうなるか、葬儀から埋葬までの流れを取材したいですね。
最相 墓地なのでしょうか、何人分もの骨を並べている写真がありますね。頭頂部に文字が書いてある骸骨もある。
中西 頭が十字にひび割れている人がいるらしいんですけど、その人は聖人だという話もあります。骨は誰でも触れるんですよ。
最相 どういう死生観なのでしょうか。
中西 復活を待っているのでしょうね。
最相 日本ではキリスト教徒は1パーセントにも満たないマイノリティですから、永遠の命とか復活はなかなか理解しにくいのですが、中西さんはどうお考えですか。
中西 ぼくもまだよくわからないんですが、父親を見ていると、自分はいつ死んでもいいと思っているみたいですね。死んでも復活する、永遠の命をもらえると思ってる。アトスの人たちは、死に備える気持ちの整理はできていると思います。死を悲しいと思っていないのかもしれません。
最相 神様のもとに行くのは悦ばしいことなんですね。そうそう、中西さんの洗礼名はなぜニコライなんですか。
中西 ぼくは洗礼を受けてなかったんですが、受けてるって父親がアトスで話しちゃって、洗礼名をマルコにしてたらしいんですよ。だからマルコにしたかった。でもマルコだと迷いそうで。
最相 「母をたずねて三千里」ですもんね(笑)。
中西 ええ。それで違うのにしてくれっていったらニコライになった。だからアトスの司祭や修道士は、うちは4人兄弟だと思ってるんですよ。
最相 マルコがいると?
中西 そうです。兄弟の洗礼名をメモしたときも、司祭はアレクシー、ニコライ、ミハイルのあとに、マルコって1人足してたんです。
最相 ははは。
中西 どうすんだ、父ちゃんって(笑)。

(なかにし・ひろひと 写真家)
(さいしょう・はづき ノンフィクションライター)
波 2017年12月号より

著者プロフィール

中西裕人

ナカニシ・ヒロヒト

1979年、東京都杉並区生れ。写真家。日本大学文理学部史学科卒業後、外苑スタジオ、雑誌「ハルメク」(旧「いきいき」)専属フォトグラファーを経て2015年独立。雑誌、書籍、広告、Webなどの媒体で文化、芸能人のポートレイト、ファッション、ビューティの分野で活動中。2014年に洗礼を受ける(洗礼名ニコライ)。年に数回父と共に聖山アトスを訪れ、修道士の生活に密着した取材を続け、作品を発表している。

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